私が大学に入った昭和の末、丸山眞男は既に過去の人だった。一般教育過程で文系の学生と一緒に政治学や社会学などを聴講していたが、丸山の名前が出てきたことは記憶にないのである。彼の存在を知ったのはかなり後のこと、竹内洋さんの著作を読むようになってからだ。
竹内さんの新作は丸山の思考的甘さを様々な視点から炙り出した上で極めて冷静に批判している。出版後、新聞各社が取り上げたように戦後の進歩的文化人の転落の歴史を学ぶには最適の教科書となるだろう。
…丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」にはじまる論考が「過ちを二度とくりかえすまい」という悔恨共同体のバイブルだった…
丸山は『日本の思想』(一九六一年)のなかでコネや人的つながりによる日本社会の特殊主義をさんざん非難しているが、…普遍主義を唱えながら、所属集団(東大)については例外とする処理の仕方こそが日本的病理ではないか、とさえ思えてくる。
…丸山の敗戦感情が一般の国民感情とかなりちがっていたことは、敗戦直後の世論調査に明らかである。
敗戦直後の『日本が降伏したと聞いた時、どのように感じたか?』という質問の回答では「残念・悲嘆・失望」三〇%、「驚き・衝撃・当惑」二三%、「安堵感・幸福感」二二%、「占領下の危惧・心配」一三%、「幻滅・苦さ・空虚感など」一三%、「恥ずかしさとそれに安心感など」一〇%、「予期していた、など」四%、「天皇陛下に申し訳ない、など」四%、「回答なし、ほか」六%(合衆国戦略爆撃調査団『日本人の戦意に与えた戦略爆撃の効果』)である。「残念・悲嘆・失望」と「驚き・衝撃・当惑」が多数を占めている。
戦中を「暗い谷間」どころか「恐怖」で生きた丸山に即して見れば、敗戦は、国体からの解放だった。日本の敗北こそが解放と自由だった。そういう丸山にしてみれば、敗戦で「爽快な風が頭のなかをふきぬけた」ように感じ、「悲しそうな顔をしなけりゃならないのは辛いね」という同僚兵士の言葉に「よく言ってくれた」と言ったのは、いつわらざる感情吐露ではあったろう。しかし敗戦をめぐっての感情には丸山と一般国民の間にはかなりの距離があったことは確かである。
であるから、丸山の敗戦後の知識人の悔恨共同体論は、敗戦感情の複数性への目配りが欠けている。それどころか、戦闘体験をもたない戦後派は敗戦感情を言説によって知る以外にないから、そうした世代の読者に、敗戦感情の複数性を見えなくさせる遮蔽幕効果をもたらした。
敗戦感情の複数性への遮蔽効果は、一九四九年に刊行され、空前のベストセラーとなり、映画化もされた、戦没学徒の手記『きけわだつみのこえ』についても言える。この有名な書は「反戦」派か「リベラル」派の学生の手記のみが選択されてできたものである。「殉国」派学生の手記は意図的に選択されなかった。こうした手記を含めた悔恨共同体の輿論(意見)と世論(気分)は、戦前期の学生がはじめから反戦派ないしはリベラル派であり、「殉国」派ではなかったとして過去を捏造してしまうものであった。こうして、二度と戦争は起こすまいという侵略戦争の悔恨だけが複数の敗戦感情を押しのけていったのである。死者を正当に弔うとして感情のポリティクスに勝利した。そうして革新幻想を戦闘体験のない若いインテリの間に広めた
…一九五〇代後半は、スターリン批判やハンガリーやポーランドの民衆蜂起、六全協…による日本共産党神話の崩壊などによって、マルクス主義も、一枚岩的な絶対的信仰の対象ではなくなってきた時代である。「進歩的文化人」という言葉が嘲笑的に使用されだしたときでもある。「世界」族に代表される革新幻想の翳りは、社会主義国や共産党神話の崩壊だけでなく、前章でふれたように、花より団子(実益優先)の消費社会がはじまったことによるところも大きい。
更に潮木守一の高校時代の回想を引用して戦後民主教育の如何わしさについて触れる手法が見事である。私は笑いをかみ殺しながら即席の制度が粉砕される一節を読み、自分が屑高校で強制的に受けさせられたナンタラ教育の実態と若干似ていると思った。私達も理想(正確には歪んだ考え)を一方的に押し付けられるのは嫌で中には教師に抵抗を試みる者もいた。悲惨だったのは偏向教育を指摘された教師が反論すらできずに逆ギレしていたことだ。
…潮木守一は、『京都帝国大学の挑戦』などの名著があるすぐれた教育社会学者である。前節で詳しくふれた牧野巽教授、清水弘助教授のもとで教育社会学を学んだ。潮木は、一九五三年に東京大学文科一類に入学する。…就職にもっとも有利な法学部や経済学部への進学を止めて、わざわざポツダム学部である教育学部に進学する…
潮木の近著に『いくさの響きを聞きながら』がある。そこに潮木の敗戦後の新制高等学校時代のことが書かれている。
文化祭の催しで、同級生がどこからか借りてきたという記録映画「日本破れたれど」を観ることが提案された。学校側は、これは「逆コース」-公職追放されていた戦時中の指導者が追放解除され、再軍備が言われ、時代劇など戦前日本文化が復興した時勢について一九五一年一一月の『読売新聞』の連載が命名した用語-路線の映画ではないかと難色を示したが、誰も観ていないだけに、結局は校長も一緒にその映画を観るということで許可された。映画は真珠湾攻撃からはじまり、やがて神風特攻隊のシーンになった。ほとんどの特攻機は敵軍艦から雨あられのように浴びせられる砲弾で木っ端微塵になり、海に落ちる。英雄から程遠い、無残な死。そんなシーンをつづけて観ているうちに、生徒のあいだには期せずして大合唱が起きる。「当たれー!、当たれー!」……。
このままおわれば「校長先生にお説教をくうだろうな」とその場の誰しもが思った。しかし、映画がおわると、校長は何も言わずに、そっと退席してしまったのである。なぜ、校長は黙って出て行ってしまったのか。なぜ、生徒のあいだに「当たれー!当たれー!」という叫び声が沸き起こったのか。
潮木はつぎのように言っている。
たしかに我々の学生は、戦後占領下で始まった新しい学校制度の第一期生だった。新制中学では民主主義を習い、平和教育を学び、男女共学を体験した。新しい時代は、戦前、戦中にない明るさと朗らかさがあった。戦争はいけないことだというせりふは、耳にたこができるほど聞かされていた。戦争を讃美することなど、もってのほかと叩き込まれていた。その戦後教育の申し子ともいう我々が、なぜ特攻機に向かって「当たれー!、当たれー!」と叫んだのか。その時、付け刃の民主教育、平和教育は、ものの見事に砕け散ったのである。それ以来、我々は自分の身の丈を越えたものは信じなくなった。(前掲書)
潮木は戦後、進歩的教育学者の牙城東大教育学部に進学しながらも、三Mに代表される進歩的教育学者たちの授業はほとんど受講せず、独自の学を培った。わたしは、その理由の一端を潮木の近著から知り得たように思えたのである。…
作者自身の体験が随所におり込まれることでこの本は輝きを増しているように感じた。サブタイトルの【リベラルだが超俗的だった京大教育学部】や【「忌まわしきことは研究するな!」という風潮】はなかなか刺激的で面白い。終盤の皮肉は(既に存在意義を失った)虚臭・恫喝団体へ向けられたものと取れなくもない(笑)
わたし自身もそんな教育学の雰囲気を感じたことはある。…二〇〇四年に、戦前、「思想検察官」と大学知識人に蛇蝎のようにおそれられ、嫌われた蓑田胸喜(一八九四~一九四六)の著作集を若い研究者とともに復刻した(『蓑田胸喜全集』全七巻)。全集販売促進のための広告パンフレットに推薦文を書いてもらいたいと思い、…わたしが個人的に尊敬する教育学者への打診をお願いしたのだが、結局、断られた。…
蓑田のようなファシストの全集などいま読む価値はない、そんな全集を推薦するのは見識を疑うどころか、正気の沙汰とは言えない、という教育学会の雰囲気への気兼ねではなかっただろうか。しかしこれでは、ヒトラーの研究をする人はヒトラー信者であり、ファシズムの研究をする者はファシストということになる。忌まわしきことを口にすれば、忌まわしい事態がやってくるという未開社会的思惟様式そのものである。くさいものには蓋、でしかない。『蓑田胸喜全集』を一緒に編集していただいたメディア社会学者佐藤卓己は、マルク・ブロック『歴史のための弁明』からの一節を自著『言論統制』の冒頭エピグラフにしている。それはこうである。「ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ」
Ⅳ章:旭丘中学校事件、Ⅵ章:小田実・ベ平連・全共闘も読みどころ満載である。竹内さんは終章:革新幻想の帰趨でこう述べて愚民に警告を発している。
原子化され、非合理化され、等質化された大衆が政治的に操作されて出現した、ナチス・ドイツに代表される全体主義国家は「大衆国家」と名づけられたが、いまの日本は幻像としての大衆からの監視による「大衆幻想国家」である。日本人の国民宗教や国民的教養だった「日本人らしさ」が霧散したあとに、「幻像された大衆」の予期や想定が代位されるまでになりつつある。だからこそ、身振りや感覚、発話が「上から目線」ではないかと自己点検される。「高い身分にともなう義務」ならぬ「大衆であることの義務」が前景化する。いまの指導者がポピュリズム狙いの「パフォーマンス」に走るか大衆圧力をかわす「保身」にだけ走りがちなのも、指導者の資質の問題というより、層としての中間インテリや中間エリートを欠き、劣化した大衆社会圧力によるのではないか。
繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例は歴史に満ち満ちている。衰退と没落の原因は各種各様であるが、ローマについては、パン(食料)とサーカス(娯楽)という大衆社会の病理により、漸次知的水準低下がはじまり、天才の焔は消え、軍事精神が消滅することで滅んだと言われる。その再現がいま極東のこの地で起こりかけてはいまいか。パンとサーカスならぬ「幻想としての大衆」に引きずられ劣化する大衆社会によって……。
本書はぜひ優秀な高校生・大学生(真のエリートの卵)に読んでもらいたい。分からない所がたくさんあるのは当たり前で、大切なのはそれをコツコツと調べる癖をつけることなのである。真の知識というものは与えられるもの(受け売り)ではなく、本来自らの努力と情熱によって掴む(様々なデータを集めて検証を行い消化する)ものだ。ニセモノを見抜き己にとっての害毒を撥ね付ける能力はこうした地道な作業を通して身につくと言ってもよい。左おねじり的思考から一向に脱却(また大失敗の反省も)できない50代以上の連中が既に手遅れなのは先に述べた理由から明らかであろう。
竹内さんの新作は丸山の思考的甘さを様々な視点から炙り出した上で極めて冷静に批判している。出版後、新聞各社が取り上げたように戦後の進歩的文化人の転落の歴史を学ぶには最適の教科書となるだろう。
…丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」にはじまる論考が「過ちを二度とくりかえすまい」という悔恨共同体のバイブルだった…
丸山は『日本の思想』(一九六一年)のなかでコネや人的つながりによる日本社会の特殊主義をさんざん非難しているが、…普遍主義を唱えながら、所属集団(東大)については例外とする処理の仕方こそが日本的病理ではないか、とさえ思えてくる。
…丸山の敗戦感情が一般の国民感情とかなりちがっていたことは、敗戦直後の世論調査に明らかである。
敗戦直後の『日本が降伏したと聞いた時、どのように感じたか?』という質問の回答では「残念・悲嘆・失望」三〇%、「驚き・衝撃・当惑」二三%、「安堵感・幸福感」二二%、「占領下の危惧・心配」一三%、「幻滅・苦さ・空虚感など」一三%、「恥ずかしさとそれに安心感など」一〇%、「予期していた、など」四%、「天皇陛下に申し訳ない、など」四%、「回答なし、ほか」六%(合衆国戦略爆撃調査団『日本人の戦意に与えた戦略爆撃の効果』)である。「残念・悲嘆・失望」と「驚き・衝撃・当惑」が多数を占めている。
戦中を「暗い谷間」どころか「恐怖」で生きた丸山に即して見れば、敗戦は、国体からの解放だった。日本の敗北こそが解放と自由だった。そういう丸山にしてみれば、敗戦で「爽快な風が頭のなかをふきぬけた」ように感じ、「悲しそうな顔をしなけりゃならないのは辛いね」という同僚兵士の言葉に「よく言ってくれた」と言ったのは、いつわらざる感情吐露ではあったろう。しかし敗戦をめぐっての感情には丸山と一般国民の間にはかなりの距離があったことは確かである。
であるから、丸山の敗戦後の知識人の悔恨共同体論は、敗戦感情の複数性への目配りが欠けている。それどころか、戦闘体験をもたない戦後派は敗戦感情を言説によって知る以外にないから、そうした世代の読者に、敗戦感情の複数性を見えなくさせる遮蔽幕効果をもたらした。
敗戦感情の複数性への遮蔽効果は、一九四九年に刊行され、空前のベストセラーとなり、映画化もされた、戦没学徒の手記『きけわだつみのこえ』についても言える。この有名な書は「反戦」派か「リベラル」派の学生の手記のみが選択されてできたものである。「殉国」派学生の手記は意図的に選択されなかった。こうした手記を含めた悔恨共同体の輿論(意見)と世論(気分)は、戦前期の学生がはじめから反戦派ないしはリベラル派であり、「殉国」派ではなかったとして過去を捏造してしまうものであった。こうして、二度と戦争は起こすまいという侵略戦争の悔恨だけが複数の敗戦感情を押しのけていったのである。死者を正当に弔うとして感情のポリティクスに勝利した。そうして革新幻想を戦闘体験のない若いインテリの間に広めた
…一九五〇代後半は、スターリン批判やハンガリーやポーランドの民衆蜂起、六全協…による日本共産党神話の崩壊などによって、マルクス主義も、一枚岩的な絶対的信仰の対象ではなくなってきた時代である。「進歩的文化人」という言葉が嘲笑的に使用されだしたときでもある。「世界」族に代表される革新幻想の翳りは、社会主義国や共産党神話の崩壊だけでなく、前章でふれたように、花より団子(実益優先)の消費社会がはじまったことによるところも大きい。
更に潮木守一の高校時代の回想を引用して戦後民主教育の如何わしさについて触れる手法が見事である。私は笑いをかみ殺しながら即席の制度が粉砕される一節を読み、自分が屑高校で強制的に受けさせられたナンタラ教育の実態と若干似ていると思った。私達も理想(正確には歪んだ考え)を一方的に押し付けられるのは嫌で中には教師に抵抗を試みる者もいた。悲惨だったのは偏向教育を指摘された教師が反論すらできずに逆ギレしていたことだ。
…潮木守一は、『京都帝国大学の挑戦』などの名著があるすぐれた教育社会学者である。前節で詳しくふれた牧野巽教授、清水弘助教授のもとで教育社会学を学んだ。潮木は、一九五三年に東京大学文科一類に入学する。…就職にもっとも有利な法学部や経済学部への進学を止めて、わざわざポツダム学部である教育学部に進学する…
潮木の近著に『いくさの響きを聞きながら』がある。そこに潮木の敗戦後の新制高等学校時代のことが書かれている。
文化祭の催しで、同級生がどこからか借りてきたという記録映画「日本破れたれど」を観ることが提案された。学校側は、これは「逆コース」-公職追放されていた戦時中の指導者が追放解除され、再軍備が言われ、時代劇など戦前日本文化が復興した時勢について一九五一年一一月の『読売新聞』の連載が命名した用語-路線の映画ではないかと難色を示したが、誰も観ていないだけに、結局は校長も一緒にその映画を観るということで許可された。映画は真珠湾攻撃からはじまり、やがて神風特攻隊のシーンになった。ほとんどの特攻機は敵軍艦から雨あられのように浴びせられる砲弾で木っ端微塵になり、海に落ちる。英雄から程遠い、無残な死。そんなシーンをつづけて観ているうちに、生徒のあいだには期せずして大合唱が起きる。「当たれー!、当たれー!」……。
このままおわれば「校長先生にお説教をくうだろうな」とその場の誰しもが思った。しかし、映画がおわると、校長は何も言わずに、そっと退席してしまったのである。なぜ、校長は黙って出て行ってしまったのか。なぜ、生徒のあいだに「当たれー!当たれー!」という叫び声が沸き起こったのか。
潮木はつぎのように言っている。
たしかに我々の学生は、戦後占領下で始まった新しい学校制度の第一期生だった。新制中学では民主主義を習い、平和教育を学び、男女共学を体験した。新しい時代は、戦前、戦中にない明るさと朗らかさがあった。戦争はいけないことだというせりふは、耳にたこができるほど聞かされていた。戦争を讃美することなど、もってのほかと叩き込まれていた。その戦後教育の申し子ともいう我々が、なぜ特攻機に向かって「当たれー!、当たれー!」と叫んだのか。その時、付け刃の民主教育、平和教育は、ものの見事に砕け散ったのである。それ以来、我々は自分の身の丈を越えたものは信じなくなった。(前掲書)
潮木は戦後、進歩的教育学者の牙城東大教育学部に進学しながらも、三Mに代表される進歩的教育学者たちの授業はほとんど受講せず、独自の学を培った。わたしは、その理由の一端を潮木の近著から知り得たように思えたのである。…
作者自身の体験が随所におり込まれることでこの本は輝きを増しているように感じた。サブタイトルの【リベラルだが超俗的だった京大教育学部】や【「忌まわしきことは研究するな!」という風潮】はなかなか刺激的で面白い。終盤の皮肉は(既に存在意義を失った)虚臭・恫喝団体へ向けられたものと取れなくもない(笑)
わたし自身もそんな教育学の雰囲気を感じたことはある。…二〇〇四年に、戦前、「思想検察官」と大学知識人に蛇蝎のようにおそれられ、嫌われた蓑田胸喜(一八九四~一九四六)の著作集を若い研究者とともに復刻した(『蓑田胸喜全集』全七巻)。全集販売促進のための広告パンフレットに推薦文を書いてもらいたいと思い、…わたしが個人的に尊敬する教育学者への打診をお願いしたのだが、結局、断られた。…
蓑田のようなファシストの全集などいま読む価値はない、そんな全集を推薦するのは見識を疑うどころか、正気の沙汰とは言えない、という教育学会の雰囲気への気兼ねではなかっただろうか。しかしこれでは、ヒトラーの研究をする人はヒトラー信者であり、ファシズムの研究をする者はファシストということになる。忌まわしきことを口にすれば、忌まわしい事態がやってくるという未開社会的思惟様式そのものである。くさいものには蓋、でしかない。『蓑田胸喜全集』を一緒に編集していただいたメディア社会学者佐藤卓己は、マルク・ブロック『歴史のための弁明』からの一節を自著『言論統制』の冒頭エピグラフにしている。それはこうである。「ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ」
Ⅳ章:旭丘中学校事件、Ⅵ章:小田実・ベ平連・全共闘も読みどころ満載である。竹内さんは終章:革新幻想の帰趨でこう述べて愚民に警告を発している。
原子化され、非合理化され、等質化された大衆が政治的に操作されて出現した、ナチス・ドイツに代表される全体主義国家は「大衆国家」と名づけられたが、いまの日本は幻像としての大衆からの監視による「大衆幻想国家」である。日本人の国民宗教や国民的教養だった「日本人らしさ」が霧散したあとに、「幻像された大衆」の予期や想定が代位されるまでになりつつある。だからこそ、身振りや感覚、発話が「上から目線」ではないかと自己点検される。「高い身分にともなう義務」ならぬ「大衆であることの義務」が前景化する。いまの指導者がポピュリズム狙いの「パフォーマンス」に走るか大衆圧力をかわす「保身」にだけ走りがちなのも、指導者の資質の問題というより、層としての中間インテリや中間エリートを欠き、劣化した大衆社会圧力によるのではないか。
繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例は歴史に満ち満ちている。衰退と没落の原因は各種各様であるが、ローマについては、パン(食料)とサーカス(娯楽)という大衆社会の病理により、漸次知的水準低下がはじまり、天才の焔は消え、軍事精神が消滅することで滅んだと言われる。その再現がいま極東のこの地で起こりかけてはいまいか。パンとサーカスならぬ「幻想としての大衆」に引きずられ劣化する大衆社会によって……。
本書はぜひ優秀な高校生・大学生(真のエリートの卵)に読んでもらいたい。分からない所がたくさんあるのは当たり前で、大切なのはそれをコツコツと調べる癖をつけることなのである。真の知識というものは与えられるもの(受け売り)ではなく、本来自らの努力と情熱によって掴む(様々なデータを集めて検証を行い消化する)ものだ。ニセモノを見抜き己にとっての害毒を撥ね付ける能力はこうした地道な作業を通して身につくと言ってもよい。左おねじり的思考から一向に脱却(また大失敗の反省も)できない50代以上の連中が既に手遅れなのは先に述べた理由から明らかであろう。