飛田新地の大門跡から最も遠い位置にひっそりと建つ慰霊碑。私は暗闇の中で静かに手を合わせて様々な運命について思いを馳せた。
慰霊碑・慈母観音(無縁仏)の由来について
以前は、高野山のお寺付近に無縁仏として慰霊碑があり数回おまいりを
致しておりましたが、数年ご無沙汰していましたところの所在が
不明となってしまいました。
慰霊碑は、いろいろな事情により飛田遊郭で働き、居住をしていた
多くの男、女(遊女)の方々が様々な事情や世間の風評で
遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと
願い建てられたものです。
また慈母観音は地域に貢献されながらも、身内にも見取られないまま
亡くなられた多くの遊女たちの霊を供養し、彼女たちの苦労を決して
無駄にしないように、地域が一丸となって奉って行きたいと思い、合わせて
地元であります西成区山王三丁目に建てたものです。
ここに安らかに眠って頂きたいと心よりお祈り致します。
飛田社会福祉協議会 平成二十年八月吉日
![飛田新地の慈母観音](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/da/f25377b51ac7954865a02a691c431ef5.jpg)
歩行者の少ない通りに出たまでは良かったが、自分がどこに居るのか判らなくなってしまい、とある料亭の玄関先を訪ねた。眼鏡をかけた遣り手婆が暇そうに腰掛けていたので冷やかし(登楼する意思もないのに料亭の前を何度も通り過ぎる無粋な男)ではないことを伝え太子への戻り方を訊いた。
少し笑みを浮かべた彼女は「ビジネスホテルへ帰るんか」と言って頗る簡潔に道を教えてくれた。婆さんの話では新地で方向感覚を失う旅人は結構いるみたいだった。熟女通り(北)を西へ歩いて突き当たりを右折。彼女の説明通り「祇園寿し」という店があり胸を撫で下ろした。
慰霊碑・慈母観音(無縁仏)の由来について
以前は、高野山のお寺付近に無縁仏として慰霊碑があり数回おまいりを
致しておりましたが、数年ご無沙汰していましたところの所在が
不明となってしまいました。
慰霊碑は、いろいろな事情により飛田遊郭で働き、居住をしていた
多くの男、女(遊女)の方々が様々な事情や世間の風評で
遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと
願い建てられたものです。
また慈母観音は地域に貢献されながらも、身内にも見取られないまま
亡くなられた多くの遊女たちの霊を供養し、彼女たちの苦労を決して
無駄にしないように、地域が一丸となって奉って行きたいと思い、合わせて
地元であります西成区山王三丁目に建てたものです。
ここに安らかに眠って頂きたいと心よりお祈り致します。
飛田社会福祉協議会 平成二十年八月吉日
![飛田新地の慈母観音](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/da/f25377b51ac7954865a02a691c431ef5.jpg)
歩行者の少ない通りに出たまでは良かったが、自分がどこに居るのか判らなくなってしまい、とある料亭の玄関先を訪ねた。眼鏡をかけた遣り手婆が暇そうに腰掛けていたので冷やかし(登楼する意思もないのに料亭の前を何度も通り過ぎる無粋な男)ではないことを伝え太子への戻り方を訊いた。
少し笑みを浮かべた彼女は「ビジネスホテルへ帰るんか」と言って頗る簡潔に道を教えてくれた。婆さんの話では新地で方向感覚を失う旅人は結構いるみたいだった。熟女通り(北)を西へ歩いて突き当たりを右折。彼女の説明通り「祇園寿し」という店があり胸を撫で下ろした。
![にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ](http://diary.blogmura.com/hitorigoto/img/hitorigoto80_15.gif)