寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

呉市の音戸渡船口バス停から呉駅前に戻る(前編)

2012年09月05日 | 
渡船乗り場を出た左手が小田商店(呉市警固屋8丁目7‐13)である。音戸てんぷら・ちりめん・いりこは倉橋島の名産品であるが、福山市の走島もちりめんの産地だ。音戸町を参考にしてもっと備後ブランドをPRする必要があろう。

音戸渡船乗り場(警固屋側)

小田商店前の音戸渡船口バス停で呉駅前行きの時刻を確認する。「宮原経由」に乗れば待ち時間は5分ほどで済む。

音戸渡船口バス停

呉駅前行きのバスの時刻表

呉の土地勘に乏しい私は宮原がどの辺りに位置するのかは全く知らなかった、そして「宮原経由」が遠回りになるということも同様に。私は前方に座ることができた。既に席の3分の1は埋まっている。呉市営バスは国道487号の呉交タクシー警固屋営業所前にさしかかろうとしていた。

呉交タクシーの手前付近(国道487号)

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古老(ころう)の意味

2012年09月05日 | 日記
手持ちの辞書では、古老について次のように解説している。ころう【古老・故老】①としより。②昔のことをよくおぼえている老人。

私自身は3番目の意味として「年長者として尊敬できる人」を付け加えている。これら3条件を満たすか否かは、昭和7年(1932)生まれが大体境になる。つまり旧制中学に入学可能だった世代は一本筋が通った人が多いということなのだ。

新制高校1期生以降は徐々に質の低下がみられ、団塊に至っては(大きな声で言いたくはないが)最悪の部類である。何度でも同じ間違いを繰り返しては開き直る連中につける薬はない。戦前の教育の全否定がこのような中途半端な大人を増産したと思うとぞっとする。故に私が古老と呼ぶことのできる人はほんの一握りである。

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