寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市営三之丸駐車場(鞆鉄道・三之丸駅跡)に残る西外堀の内側石垣

2012年09月09日 | 郷土史
釣人像から更に西へ進むと左手に市営三之丸駐車場(300台収容)が見える。この南側に福山城の堀跡に関する説明板が取り付けられているのだが、意外に存在を知る人は少ない。

福山市営三之丸駐車場南側

福山城西外堀跡の石垣に関する説明


福山城西外堀跡の石垣

 福山城は、本丸・二之丸を残し、内外の堀はすべて埋められ市街地となっています。この石垣は、西外堀の石垣の一部で、城郭の縄張りを示す貴重な遺構です。
 大正二年に野上駅まで開通した鞆軽便鉄道が、翌三年四月には福山駅まで延長され現在地へ駅舎が建設されました。>
 昭和六十三年、市営立体駐車場が三之丸の現在地に建設されるに先立って発掘調査を実施しました。その結果、石垣の上半部は失われておりましたが高さ約2m程が残存しておりました。
 築城時はこの角部で、堀の深さ3m、幅は東西54m、南北96m程の規模がありました。ここに保存している石垣は、現在県立歴史博物館南の福塩線高架下に保存されている出枡型櫓台より南へ約70m延びた地点で、東へ約20m折れ曲がり、さらに南へ続く西外堀の内側石垣です。

一九九〇(平成二)年三月
福山市教育委員会

福山城の内堀と外堀の配置図

福山城西外堀内側の石垣

備後国福山城外堀の遺構の一部を柵ごしに見られること、また広島市(安芸国)とは大きく異なる独自の文化を育んできた歴史について、もっともっと多くの人に知ってもらいたい。鞆鉄道の路線跡を辿りながら福山の隠れた魅力についてボチボチ語ってゆこうと思う。

昭和11年頃の福山市街地図(旧キャスパ南側通用口横にパネルあり)より三之丸周辺を拡大

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広島県福山市三之丸町と福山城の関係

2012年09月09日 | 郷土史
三之丸という地名は福山城と大いに関係がある。『新版 福山城(付 城背地域) / 福山市文化財協会(2006年9月30日発行)』では次のように解説している。

4、三之丸

 内堀と外堀に挟まれた平地が三之丸であるが、今、その面影はない。わずかに町名にそれと知るのみである。戦災後の区画整理で地割も変わっていよいよ影を失ってしまったが、それでも古い地図と対照しながらながめてゆくとその面影は浮かんでくる。

※城郭を形成する外堀に面した三之丸は、北側を除いて城主や家老たちの居宅があった。この城郭内の門一棟が、現在、鞆の商家の建物(市重文・岡本家長屋門)として利用されている。

三之丸町はJR福山駅南口にあたり最近地下送迎場が完成しバス・タクシー乗り場が変更された。平櫛田中作の釣人像は昔から街のシンボルであり、駅前の待ち合わせ場所として利用する市民は多い。

平櫛田中作「五浦釣人像」

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