この歳になっても知らないことは多い。つい先月のこと、南手城町の裏道を通っていた時に偶然地神さんと常夜灯が目に入った。急いでいた私が足を止めたのは背後の赤い建造物が気になったからだ。
「あれ、たこと違うか」
何と手城中公園にはたこの滑り台があったのである。
千間土手(国道2号線)より南の手城新涯(※干拓地)の石造物調査中に思いも寄らぬ物を発見することができた。
なお南側のフェンスに取り付けられたプレートにはご丁寧に「通称:たこ公園」という表示があった。手城名物の一つとして皆さんにご紹介しておく。
※太平の世において福山藩では領地を増やすため盛んに干拓が行われた(現在の福山市中心部の原型となっている)
「あれ、たこと違うか」
何と手城中公園にはたこの滑り台があったのである。
千間土手(国道2号線)より南の手城新涯(※干拓地)の石造物調査中に思いも寄らぬ物を発見することができた。
なお南側のフェンスに取り付けられたプレートにはご丁寧に「通称:たこ公園」という表示があった。手城名物の一つとして皆さんにご紹介しておく。
※太平の世において福山藩では領地を増やすため盛んに干拓が行われた(現在の福山市中心部の原型となっている)