矢掛高校の西側に位置するネバーランドやかげ児童遊園(矢掛町大字矢掛2543‐1)。父兄に見守られ幼児らが立派なすべり台の周辺ではしゃいでいる。
公園の一角(南西)に木村清四郎翁の像(初代の像は戦時中の金属供出の憂き目に遭っている)が建立されている。木村氏は文久元年小田郡横谷村に生まれた。慶應義塾を経て日銀副総裁までのぼりつめた人物である。明治三十五年(1902)四月一日、岡山県立矢掛中学校が開校したのには木村氏の力が大きかったと言われている。当時村に(旧制)中学が出来るということは大変名誉なことであった(当然莫大な資金も必要だった)。福山においても藩校の流れを汲む誠之館(せいしかん)が唯一の中学であり成績優秀者や金持ちの子弟がこぞって入学しており序列のトップだった。
像の西隣りに建つ社団福祉法人あすなろ園は築100年位ではないだろうか。建造年代は不詳だが、旧矢掛町役場として使用された木造二階建である。矢掛観光の折にぜひ見て欲しい穴場だ。
公園の一角(南西)に木村清四郎翁の像(初代の像は戦時中の金属供出の憂き目に遭っている)が建立されている。木村氏は文久元年小田郡横谷村に生まれた。慶應義塾を経て日銀副総裁までのぼりつめた人物である。明治三十五年(1902)四月一日、岡山県立矢掛中学校が開校したのには木村氏の力が大きかったと言われている。当時村に(旧制)中学が出来るということは大変名誉なことであった(当然莫大な資金も必要だった)。福山においても藩校の流れを汲む誠之館(せいしかん)が唯一の中学であり成績優秀者や金持ちの子弟がこぞって入学しており序列のトップだった。
像の西隣りに建つ社団福祉法人あすなろ園は築100年位ではないだろうか。建造年代は不詳だが、旧矢掛町役場として使用された木造二階建である。矢掛観光の折にぜひ見て欲しい穴場だ。