私は岡山県道35号倉敷成羽線から外れて左の道に入った。神子ヶ峠(みこがたわ)花壇の背後を美山川が流れている。私が歩いて来た道をどうやら神子ヶ峠というようである。峠は「たお」あるいは「とうげ」と読むが、はるか昔は「たわ」と発音した。「たお越え」が変化して「とうげ」になったと考えらえる。備後国・福山にも城下と神辺宿を結ぶ(江戸時代の)主要な街道に「奈良津大峠(ならづおおたお)」「薮路大峠(やぶろおおたお)」があった。
美山川に架かる望橋(のぞみばし)は昭和六十一年(1986)に出来た。橋を渡り北へ向かうと鵜飼と書かれた道路標識が目に入る。
かつては美山川に鵜が飛んで来ていたのだろうか。鵜飼集落には広大な畑が広がっている。時おり軽トラがゆっくり走る農道沿いは極めて静かだった。
美山川に架かる望橋(のぞみばし)は昭和六十一年(1986)に出来た。橋を渡り北へ向かうと鵜飼と書かれた道路標識が目に入る。
かつては美山川に鵜が飛んで来ていたのだろうか。鵜飼集落には広大な畑が広がっている。時おり軽トラがゆっくり走る農道沿いは極めて静かだった。