林の中に建つ「史蹟 備中 國分尼寺址」の石碑。側面に「史蹟名勝天然記念物保存法ニ依リ 大正十一年十月内務大臣指定」の刻銘あり。
史跡 備中国分尼寺跡
大正一一年一〇月一二日指定
奈良時代に聖武天皇の発願により造営された備中国の尼寺跡です。
寺域は東西一〇八メートル・南北二一六メートルを計り、築地土塀で囲まれた境内には南から北へ南門・中門・金堂・講堂などの建物が一直線上におかれた伽藍配置をもっていました。それらの建物は南北朝時代の戦火で焼失したと伝えられていますが、この尼寺跡には創建時の金堂の礎石をはじめ、南門・中門・講堂・築地土塀などの遺構が、現在も比較的良好な状態で保存されています。
平成三年三月 文部省 岡山県教育委員会
金堂跡の説明板の後ろには大きな礎石が残っている。石の上には太さ70cmの柱が建っていたと推定され天皇と仏教との深い関係をうかがい知ることができる。静かな空間で想像力を膨らませる者が私の他にも数名いた。
史跡 備中国分尼寺跡
大正一一年一〇月一二日指定
奈良時代に聖武天皇の発願により造営された備中国の尼寺跡です。
寺域は東西一〇八メートル・南北二一六メートルを計り、築地土塀で囲まれた境内には南から北へ南門・中門・金堂・講堂などの建物が一直線上におかれた伽藍配置をもっていました。それらの建物は南北朝時代の戦火で焼失したと伝えられていますが、この尼寺跡には創建時の金堂の礎石をはじめ、南門・中門・講堂・築地土塀などの遺構が、現在も比較的良好な状態で保存されています。
平成三年三月 文部省 岡山県教育委員会
金堂跡の説明板の後ろには大きな礎石が残っている。石の上には太さ70cmの柱が建っていたと推定され天皇と仏教との深い関係をうかがい知ることができる。静かな空間で想像力を膨らませる者が私の他にも数名いた。