寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

総社市の中心部を流れる東川水路(農業用水路)

2014年04月29日 | 
総社1丁目10‐28のお宅の前に建つ「史跡探訪 松山往来筋」の石柱。側面に「是より東へ田町 北へ門田」の刻銘あり。

松山往来筋を示す石柱

ヒゲ題目

往来をしばらく西へ進む。私は塀に囲まれた空き地に南無妙法蓮華経のヒゲ題目を見付けた(中央2丁目20‐2の隣、向かいが山陽設計の総社営業所)。脇の石灯籠は明治四十一年製だが、供養塔の方はどう見ても江戸期のものだろう。

住友生命前の説明板

住友生命保険相互会社岡山支社新総社支所(駅前1丁目6‐43)前を流れる東川水路。源流は高梁川で数ヶ所の分水ポイントを経て市の中心部へと広がっている。福山市の芦田川同様に総社では高梁川が母なる川なのである。川の水は畑の作物を実らせる他に庶民の文化的生活を維持するためにも重要であった。

東川用水

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福山市千田町大字薮路・天神坂馬供養碑

2014年04月29日 | 郷土史
赤血谷から峠に下りた私は市内(旧松永エリア)にもっと強烈な地名が存在することを思い起こした。羽原川上流に「血吹地」という場所を発見した時には背筋が寒くなったものだ。血を含む地名には御仕置場や古戦場の言い伝えが残っている例が非常に多いのである。

ヒゲ題目

北美台から千田町大字薮路にかけての坂道を「薮路大峠」といい、かつては城下から横尾方面に抜ける主要な街道であった。旧村境付近に南無妙法蓮華経のヒゲ題目があり、そこから先は緩やかな下りが続く。「天保十三壬寅正月…」の文字が刻まれた石塔は赤間(現下関市)の人が建立したものである。

薮路大峠

にごり池

坂から平地に変わった先にフェンスで囲まれたにごり池が見える。池のすぐ近くの山裾には2つの石造物が祀られ、傍らに説明板が立つ。仏さんの隣の小さな石(可愛い馬が彫り込まれている)は過酷な荷運び中などに息絶えた馬を供養したものという。

千田薮路天神坂馬供養碑

当時斃牛馬の捨て場(草場とか旦那場と称した)は明確に定められており、農民が勝手に処分することは許されなかった。遺骸の回収場所が当地かどうかは不明だが、江戸期の庶民の暮らしぶりや資源リサイクルを理解する上で重要な文化財と言えよう。

説明板

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雨で始まった昭和の日

2014年04月29日 | 日記
4月29日に家族でイベントや旅行に出掛ける人は多いと思う。私も外出するつもりだったが、ぐずついた天気ゆえに予定変更も考えている。しかし、小雨が似合う観光地(岩国錦帯橋)もある。錦川沿いの割烹で地酒を飲みながらくつろぐのはある意味贅沢と言えよう。

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