総社1丁目10‐28のお宅の前に建つ「史跡探訪 松山往来筋」の石柱。側面に「是より東へ田町 北へ門田」の刻銘あり。
往来をしばらく西へ進む。私は塀に囲まれた空き地に南無妙法蓮華経のヒゲ題目を見付けた(中央2丁目20‐2の隣、向かいが山陽設計の総社営業所)。脇の石灯籠は明治四十一年製だが、供養塔の方はどう見ても江戸期のものだろう。
住友生命保険相互会社岡山支社新総社支所(駅前1丁目6‐43)前を流れる東川水路。源流は高梁川で数ヶ所の分水ポイントを経て市の中心部へと広がっている。福山市の芦田川同様に総社では高梁川が母なる川なのである。川の水は畑の作物を実らせる他に庶民の文化的生活を維持するためにも重要であった。
往来をしばらく西へ進む。私は塀に囲まれた空き地に南無妙法蓮華経のヒゲ題目を見付けた(中央2丁目20‐2の隣、向かいが山陽設計の総社営業所)。脇の石灯籠は明治四十一年製だが、供養塔の方はどう見ても江戸期のものだろう。
住友生命保険相互会社岡山支社新総社支所(駅前1丁目6‐43)前を流れる東川水路。源流は高梁川で数ヶ所の分水ポイントを経て市の中心部へと広がっている。福山市の芦田川同様に総社では高梁川が母なる川なのである。川の水は畑の作物を実らせる他に庶民の文化的生活を維持するためにも重要であった。