4月4日から県立文書館(広島市中区千田町三丁目7‐47)で第1回収蔵文書の紹介展が始まった。高野源進(内務官僚・後に警視総監となる)知事は広島に原爆が投下された時、福山に出張中で九死に一生を得た人物である。昭和20年広島に空襲がないことを不気味に感じていた知事が出した書簡などが今回一般に公開される運びとなったのはありがたい(入場無料)。福山市街は知事が広島へ急いで戻った翌日(8月8日)に米軍の空襲で焼け野原となった。
広島と福山では犠牲者の数は雲泥の差であるが、どちらも市の中心部が壊滅し一からの出直しであったことは同じだ。広島東警察署(現中区銀山町)が仮の県庁となり、敗戦後直ちに東洋工業(現安芸郡府中町)に移っている。最高責任者の非常事態の対応、敗戦処理に関して我々が資料から学び取ることは多いはずだ。
広島と福山では犠牲者の数は雲泥の差であるが、どちらも市の中心部が壊滅し一からの出直しであったことは同じだ。広島東警察署(現中区銀山町)が仮の県庁となり、敗戦後直ちに東洋工業(現安芸郡府中町)に移っている。最高責任者の非常事態の対応、敗戦処理に関して我々が資料から学び取ることは多いはずだ。
