愛知県民は残り物の○○○を味噌汁に入れて食べる!?
私は答えを「天ぷら」と予想して正解した。別に名古屋に親戚がいる訳ではないが、ウチでは昔から同様の食べ方をしていたからである。冷たくなった前日の天ぷらを熱い汁につけて衣がふやけたのを確認して箸をつける。味噌汁に独特のコクが出るのが好きで今でも続けている。
特に合うのが野菜のかき揚げだ。ゴボウと玉葱の天ぷらを多く揚げるのは翌日こうして食べることを計算に入れていたのだろう。愛知県民に益々親近感がわいた(笑)
実は私の故郷と愛知県は浅からぬ関係がある(ただし、今回の食文化は無関係だと思う)。尾張の大名(水野さん)がこちらに藩主として赴任しているのだ。ゆえに名古屋の方言に近いものが今でも使われている。
無い→にゃー
お前→おみゃー
昨日→きにょう(大正生まれの老人はこう発音していた)
食文化と方言は非常に面白い研究分野だ。
私は答えを「天ぷら」と予想して正解した。別に名古屋に親戚がいる訳ではないが、ウチでは昔から同様の食べ方をしていたからである。冷たくなった前日の天ぷらを熱い汁につけて衣がふやけたのを確認して箸をつける。味噌汁に独特のコクが出るのが好きで今でも続けている。
特に合うのが野菜のかき揚げだ。ゴボウと玉葱の天ぷらを多く揚げるのは翌日こうして食べることを計算に入れていたのだろう。愛知県民に益々親近感がわいた(笑)
実は私の故郷と愛知県は浅からぬ関係がある(ただし、今回の食文化は無関係だと思う)。尾張の大名(水野さん)がこちらに藩主として赴任しているのだ。ゆえに名古屋の方言に近いものが今でも使われている。
無い→にゃー
お前→おみゃー
昨日→きにょう(大正生まれの老人はこう発音していた)
食文化と方言は非常に面白い研究分野だ。

私が籍を置いた「総合大学」は賑やかな所だった(ただし校舎に関しては高校よりも老朽化が進んでいた)。同級生は貧乏人の方が多かった。確かにろくなものは食べていなかった(笑)
型破りな連中と馬鹿なことをして遊んでいた私に何故かお金持ちの友達ができた。異種の人間に興味を持つというのは何時の時代も同じだろう。私達は「育ちの違い」について認識を深めて行くことができた。それは友が人格者であったことが大きい。とかく卑屈になりがちな人間に対してやさしい、しかも自然な配慮があった。
私が強く影響を受けたのは「他人の話をよく聞く姿勢」と「もてなしの心」だった。それまでは気にも留めなかった無作法を次第に改めるようになった。自分よりも「優れた人間から謙虚に学ぶ姿勢」はいくら年をとろうが重要なことに変わりはないのである。
型破りな連中と馬鹿なことをして遊んでいた私に何故かお金持ちの友達ができた。異種の人間に興味を持つというのは何時の時代も同じだろう。私達は「育ちの違い」について認識を深めて行くことができた。それは友が人格者であったことが大きい。とかく卑屈になりがちな人間に対してやさしい、しかも自然な配慮があった。
私が強く影響を受けたのは「他人の話をよく聞く姿勢」と「もてなしの心」だった。それまでは気にも留めなかった無作法を次第に改めるようになった。自分よりも「優れた人間から謙虚に学ぶ姿勢」はいくら年をとろうが重要なことに変わりはないのである。

私が高校に入ると同時に「総合選抜制度(かつての旧制中学の格下げを主目的としたことは明白である))」への改革が消極的ではあるが行われた。この試みは私が卒業すると同時に消え去ったが、「横並びの教育(結果の平等を求める愚策)」からの脱却を図るためのデータ取りとしては有意義だったと思う。母校が「単独選抜制度」に戻るまでには実際に長い年月を必要とした。
高校で最も退屈だったのが、ゆとりの時間を利用した「偏向教育」だった。悪名高き某団体の影響を強く受ける日狂組による「歪んだ思想の押しつけ」を学生は自らの意思で聞き流していた。だから結論から言うと全く「時間の無駄」であった。私は以下のように考えた。
世の中には色々な考えの人がいる。この種の問題に積極的な者がいれば、当然逆の人もいる。冷静で揺ぎ無い信念を持った人間に鞭を打ったところで、生じるのは軋轢と嫌悪感だけだ。他人の思想を力ずくで変えようとするのは思い上がりも甚だしい
大学生になった私は「垢教師ども」が執拗に教えようとした事柄を丹念に調べ上げた。その結果「誇張された話が実に多い」のに呆れて苦笑した。活動家の巣窟であった高校は現在大分マシになったようである。しかし、私にとっては未だに「不浄の地」であり、卒業以来一度も訪れてはいない(笑)
高校で最も退屈だったのが、ゆとりの時間を利用した「偏向教育」だった。悪名高き某団体の影響を強く受ける日狂組による「歪んだ思想の押しつけ」を学生は自らの意思で聞き流していた。だから結論から言うと全く「時間の無駄」であった。私は以下のように考えた。
世の中には色々な考えの人がいる。この種の問題に積極的な者がいれば、当然逆の人もいる。冷静で揺ぎ無い信念を持った人間に鞭を打ったところで、生じるのは軋轢と嫌悪感だけだ。他人の思想を力ずくで変えようとするのは思い上がりも甚だしい
大学生になった私は「垢教師ども」が執拗に教えようとした事柄を丹念に調べ上げた。その結果「誇張された話が実に多い」のに呆れて苦笑した。活動家の巣窟であった高校は現在大分マシになったようである。しかし、私にとっては未だに「不浄の地」であり、卒業以来一度も訪れてはいない(笑)
