広島県道260号沿い、広陽産業西隣にポツンと川口新四国八十八カ所第十六番石仏が祀られている。広陽産業(福山市東川口町2丁目10‐7)北側は広大な空き地である(住所表記:福山市東川口町1丁目3)。関係者以外立入禁止区域の中‥‥‥福山港(内港)寄りに巨木が立つ。
「福山菱の会」のホームページによれば、ここは日本化薬の社宅が建っていた場所だが、戦前用地が軍に接収され倉があったという。歩兵第四十一聯隊兵営(現・緑町公園及びココローズ)にも近く、何らかの関係があったのだろう。栴檀(せんだん)の大木は私の生まれる遥か前から福山の発展を見てきたことになる。
現在、巡礼道路として石佛が祀られている堤防より入江の海を埋め立てた土地、すなわち日本化薬住宅、運送会社がある土地は、廿山(はたちやま)新涯といわれています。
廿山とは、福山藩の抱え力士の名です。その力士は天保二年に死んでいます。城内の阿部藩主の前で廿山が角力をとり、この川口新涯の土地の一部、すなわち文久三年(一八六三年)に埋め立てられた入江の部分を、ほうびとして与えられたので廿山新開(新涯)と呼ぶようになったそうです。
『おもしろふくやま史 / 平井隆夫(二〇〇一年)』
広陽産業から東へ約50m、広島恵友堂山田薬品(同町3丁目1‐50)脇にまた地神さんが配置されている。丸みを帯びた石には大正五年(1916)建立の銘がある。
「福山菱の会」のホームページによれば、ここは日本化薬の社宅が建っていた場所だが、戦前用地が軍に接収され倉があったという。歩兵第四十一聯隊兵営(現・緑町公園及びココローズ)にも近く、何らかの関係があったのだろう。栴檀(せんだん)の大木は私の生まれる遥か前から福山の発展を見てきたことになる。
現在、巡礼道路として石佛が祀られている堤防より入江の海を埋め立てた土地、すなわち日本化薬住宅、運送会社がある土地は、廿山(はたちやま)新涯といわれています。
廿山とは、福山藩の抱え力士の名です。その力士は天保二年に死んでいます。城内の阿部藩主の前で廿山が角力をとり、この川口新涯の土地の一部、すなわち文久三年(一八六三年)に埋め立てられた入江の部分を、ほうびとして与えられたので廿山新開(新涯)と呼ぶようになったそうです。
『おもしろふくやま史 / 平井隆夫(二〇〇一年)』
広陽産業から東へ約50m、広島恵友堂山田薬品(同町3丁目1‐50)脇にまた地神さんが配置されている。丸みを帯びた石には大正五年(1916)建立の銘がある。
若き日のロザンヌ・ザンボンさん(イタリア出身)が親から「どんなに貧乏しても靴だけはいいのを履きなさい」と言われていた話は興味深い。革靴を大事に使うと自分の代までは持つので、銭をけちらず高い品質の物を買うように子に教えるのは立派だ。当たり前のことほど実行するのは難しいのだから。
私にも多くの優秀な人達から学び取ったことがある。「どんなに安い値段がついていても傷んだ食材は買うな」という教えはこれまでずっと守ってきた。つまり、味の落ちた食材に手をかける意味はなく結局は損だということ。精神の卑しさを増長させる行為は避けるべきだと私は考える。料理の腕がある先輩はこう話してくれたものだ。
金〇の小さいバカほど能書きを垂れながら無駄な物を買う。そして自分で片付けること(≒責任)を放棄して他人の手を煩わせる(≒屑食材処理を依頼する)。犬ほどの学習効果もないこいつらは本当にタチが悪い。
私にも多くの優秀な人達から学び取ったことがある。「どんなに安い値段がついていても傷んだ食材は買うな」という教えはこれまでずっと守ってきた。つまり、味の落ちた食材に手をかける意味はなく結局は損だということ。精神の卑しさを増長させる行為は避けるべきだと私は考える。料理の腕がある先輩はこう話してくれたものだ。
金〇の小さいバカほど能書きを垂れながら無駄な物を買う。そして自分で片付けること(≒責任)を放棄して他人の手を煩わせる(≒屑食材処理を依頼する)。犬ほどの学習効果もないこいつらは本当にタチが悪い。
元町小路が小奇麗になっていることにひどく驚いた私。昔は繊維ビル同様ちょっと怪しげな雰囲気が漂っており独特の魅力があった。カレーショップデリー(元町13‐26池田ビル1階)へ行くにはこの小路へ足を踏み入れなければならない。私にとってデリーはコンフォート(喫茶店)と同じくらい思い入れのある店なのだ。
小路入口付近で真新しいフラッグ(=タペストリー・吊り下げ式広告)を見つけてから私は広島県観光課が主となって最近始めた取り組みに関心を払うようになった。確かに福山駅周辺の飲食店に新たなお客を呼び込むには郷土食「うずみ」だけでは弱い。様々な名物料理を軸としたキャンペーン(戦略)と協力体制が必要なのである。
聡明な広島県知事のおかげで次第に福山市民がのびのびと発言することを躊躇わなくなってきた。無能な左お捻り達が唱える呪文(反日思想・自虐史観)を封じることこそが街の活性化への特効薬だと私は思う。
小路入口付近で真新しいフラッグ(=タペストリー・吊り下げ式広告)を見つけてから私は広島県観光課が主となって最近始めた取り組みに関心を払うようになった。確かに福山駅周辺の飲食店に新たなお客を呼び込むには郷土食「うずみ」だけでは弱い。様々な名物料理を軸としたキャンペーン(戦略)と協力体制が必要なのである。
聡明な広島県知事のおかげで次第に福山市民がのびのびと発言することを躊躇わなくなってきた。無能な左お捻り達が唱える呪文(反日思想・自虐史観)を封じることこそが街の活性化への特効薬だと私は思う。
ホリデイスポーツクラブ福山(福山市東川口町2丁目3‐15)駐車場入り口手前にもブロック製の祠がある。ただし石仏には番号が刻まれていない。
スポーツクラブができる以前、大きな工場が建っていたのを覚えている人は結構おられるのではないだろうか。平成の初め頃安部商店の工場からは削り節のにおいがプンプン漂っていた。私が関東から地元に戻って来た時には既に経営破綻し廃業していたのである。今では地元の花がつお製造メーカーはカネソ22くらいになってしまった(旧豊田水産加工:本社は御船町2丁目で宮沢洋一さんの後援会事務所がある。工場は岡山県笠岡市茂平に移転)
川口新四国八十八カ所の第十三番石仏は番号なし石仏から少し先、クラブ駐車場の北東角辺りにある。自動車で広島県道260号を走る際には石仏には目が向かないが、道路脇を歩いてみると実に多くの石造物が遺されており意外な歴史までもが浮かび上がってくるのだ。
スポーツクラブができる以前、大きな工場が建っていたのを覚えている人は結構おられるのではないだろうか。平成の初め頃安部商店の工場からは削り節のにおいがプンプン漂っていた。私が関東から地元に戻って来た時には既に経営破綻し廃業していたのである。今では地元の花がつお製造メーカーはカネソ22くらいになってしまった(旧豊田水産加工:本社は御船町2丁目で宮沢洋一さんの後援会事務所がある。工場は岡山県笠岡市茂平に移転)
川口新四国八十八カ所の第十三番石仏は番号なし石仏から少し先、クラブ駐車場の北東角辺りにある。自動車で広島県道260号を走る際には石仏には目が向かないが、道路脇を歩いてみると実に多くの石造物が遺されており意外な歴史までもが浮かび上がってくるのだ。