寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

アコウ(キジハタ)の造り 

2014年06月25日 | 家飯
夏が旬の魚としてはハモ(鱧)やスズキ(鱸)が有名だが、瀬戸内では特にアコウ(キジハタ)が人気だ。飴色の美しい身は非常に上品な味である(私は厚く引いたものが好きだ)。一昔前は幻の魚と言われていたが、稚魚放流の効果が出て資源は回復傾向にあり比較的求めやすい価格に落ち着いた。スーパーや鮮魚店で大ぶりのアコウを見かけた時には迷わず“買い”だ。

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串カツとウスターソース

2014年06月25日 | 家飯
所謂大阪新世界の串カツとは別物の玉ネギ(がメインでわずかに豚肉が挟んである)串揚げにウスターソースをたっぷりかけると衣にどんどんしみていく。安物の揚げ物にウスターソースはよく合う(笑)。小学生の頃、給食で出るキャベツの千切りにじゃぶじゃぶソースをかけて食べたものである。甘酸っぱい味が妙に懐かしかった。

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岩佐美咲(AKB48)がエフピコRiMにやってくる!2014.7.16

2014年06月24日 | 日記
広島県福山市西町のエフピコRiMでのイベントは5月28日(水)に行なわれるはずだったが、例の事件で7月16日(水)に延期となった。警備の関係上、握手会は無くなった。福山・鞆の浦応援特別大使を務める岩佐さんも複雑な心境であろう。私は他力本願型町おこしの限界について考えずにはいられなかった。

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家庭菜園の夏野菜もろもろ

2014年06月24日 | 食材
蚊が元気よく飛び回るのを見るのは嫌なものだ。こっちも栄養をつけてバンバン撃ち落としてやろうという気になる。肉と野菜をバランスよく摂ることが私の夏バテ防止対策である。野菜は茹でたり炒めたり酢の物にして食べるが、色あいと歯触りを重視した料理を心掛けている。見た目と食感は味と同じ位重要だ。

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「今後の我が国の防衛の在り方と自衛隊の活動」2014.7.11(福山市霞町・まなびの館ローズコム) 

2014年06月23日 | 日記
7月11日(金)午後6時から広島県福山市霞町のまなびの館ローズコム大会議室で第23回防衛セミナーが開催される(無料)。講演は「新たな防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画について(芹沢清氏)」と「自然災害発生時における自衛隊の活動~フィリピンの台風被害に対する自衛隊の対応について(佐藤壽紀氏)」の二部構成。

挑発を続ける迷惑な一党独裁国家に対してどう対抗したらよいのか。結局のところ、日米同盟を基軸とした防衛力無くして都合のよい平和など有り得ないのだ。しかし、問題の多い押しつけ憲法をただ護ることが絶対正義であるかのごとく信じてきたのが団塊の世代の大半である。非常に愚かな指導者が2代続いて我が国の屋台骨はボロボロになってしまった。そこへ(昭和の妖怪と恐れられた)岸信介の孫が首相に返り咲いた。日本国憲法の大きなバグに修正パッチをあてることを義務付けられたのはまさに運命であろう。国民を最終的に守るのは憲法ではなく軍事訓練を受けたプロだということを若者は忘れてはならぬ(警察のない社会がどれほど危険であるか想像してごらんよ)。

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尾道駅と福山駅の力関係

2014年06月23日 | 郷土史
戦前の尾道の繁栄について複数の文献の記述を読んだことはあるが、戦後生まれ・福山育ちの私にはイマイチピンと来ない。学生時代、東広島から実家に車で帰る途中に見る尾道駅は小さいという印象だけだった。論文「福山地方における鉄道交通の変化 / 須原洋次」によると大正末期に尾道駅と福山駅の力関係が既に逆転しているのだ。

 福山は、備後国一〇万石の城下町として発達したが、明治維新につづく廃藩置県により、その政治的機能は消失し、都市的に繁栄をみなかった。西隣の尾道が、近世から商港、商業都市として発展を続けたのに対し、鉄道開通以前の前近代的な交通体系においては、福山の都市的重要性は低かった。
 当地域に、幹線鉄道となる山陽鉄道が開通したのは、明治二四年(一八九一)のことである。敷設時に設置された駅は、福山、松永の両駅のみであったが、明治三〇年福山・笠岡間に大門駅、大正五年福山・松永間に水越(現・備後赤坂)駅が設置された。
 開通の翌年における福山駅の旅客数は一〇〇、四一八人、旅客収入は、一七、四一二円で、尾道の一一七、七三八人、二六、八二九円を下回っているが、福山は未だ近代交通網の中心となりえず、商工業都市としての性格が弱かったことをあらわしている。

 明治二四年山陽鉄道の開通を契機に、福山と府中、鞆を結ぶ構想があらわれた。
 まず、両備鉄道は、福山をはじめ府中、神辺、高屋、井原(岡山県)などの各地方から集められた資金により、鉄道の建設が進められた。特に府中、神辺、新市、井原は備後縞や織物の産地として商工業が発達していた。また、福山は明治末期において紡績綿糸、織物類などが、移出入額、生産額の上位を占めこれら生産物の集散地であった。したがって福山の商工業者にとっても、両備鉄道への期待は大きかった。
 他方、鞆軽便鉄道は、鞆港の商港としての地位停滞に波止めをかけるべく建設されたという性格が強い。鞆鉄道の株主構成も、鞆町住民が出資額の過半数を占め、福山住民の出資額は、全体の一割強に過ぎない。

 鞆、両備の両軽便鉄道の開通当時における営業成績は、…旅客数、貨物数量など、あらゆる点で両備鉄道が、鞆鉄道を上回っている。また、運賃収入からみれば、両軽便鉄道とも…旅客輸送が中心をなしていた。そして、鞆鉄道は、当初の四国連絡鉄道としての幹線鉄道たる機能を果たすに至らず、開通当時から福山と鞆とを結ぶ局地鉄道としての性格を示すに過ぎなかった。
 さて、大正二年、大正三年と相次いで開通した両軽便鉄道に加えて、大正一一年(一九二二年)には、両備鉄道の手により、神辺・高屋間の軽便鉄道が営業を開始した。そして、大正一四年(一九二五)井笠鉄道高屋線の開通により、井原を中心とする機業地帯と福山とが鉄道で結ばれた。その結果、福山地方では、山陽本線とその支線となる三本の軽便鉄道線により、鉄道を中心とした交通網が形成された。

 大正十四年(一九二五)…福山駅…年間乗降客数は、二、二八四、六一一人である。
 この年の尾道の乗降客数は、一、二九一、六二九人で福山駅の五六・五%にあたる。山陽本線のみの乗降客数においても、福山駅は一、五二八、四二三人で尾道を上回る。先述のごとく、明治中期においては、尾道の乗降客数が福山を上回っていたが、鉄道という近代交通網の発達により、福山は次第に陸上交通網の中心となりつつあった。

空襲で焼け野原となった福山は新しい街づくりが可能だった。尾道とは違って広大な平地(干拓地や埋立地)に恵まれていたこともあり日本鋼管の誘致に成功し、急速に人口が増え団地の建設が進んだ。昭和五十年山陽新幹線開通、福山が停車駅となったことが全てを決定づけたように思う。両備軽便鉄道はその後国有化されて福塩線として存続しているが、井笠鉄道や鞆鉄道は車社会の到来で廃線となった。私鉄の消滅が町の衰微につながる例はあまたである。

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平成26年度・梅酒の仕込み完了

2014年06月23日 | 食材
青梅を洗いザルに移してよく水を切る。ペーパータオルなどで梅の表面に残った水分を拭き取り竹串を使ってヘタを取る。

青梅のヘタ取り

青梅と氷砂糖を交互に仕込む

今回私は果実酒専用の2キロの梅が仕込める10号ビン(8リットル容量)を購入した。梅と氷砂糖を交互に重ねていき最後にホワイトリカー(35度)を注ぎ蓋をする。

最後にホワイトリカーを注ぐ

あとは冷暗所に保管して1年待つ。甘さ控えめの自家製梅酒は私にとっては薬のようなものである。琥珀色の液体は疲労回復に効果ありだ。

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ニラオムレツを焼く

2014年06月22日 | 家飯
3cmの長さに切ったニラとタマネギの微塵切りをサラダ油で炒めて卵液に混ぜ込む。塩とコショウで控えめに味をつけて熱したフライパンに流し込む。卵液を箸でグルグル混ぜて全体が固まり始めたら巻き込んでいく。

スパニッシュオムレツのように仕上げることもできるが、やはり半熟にした方がニラの良さが出るように思う。ボニュームをつけたければ最初の段階でひき肉を追加するとよい。私は肉よりは挽き割り納豆を使うのが好きだ。

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昨日JR福山駅南口でくまぴーの着ぐるみを見た

2014年06月22日 | 日記
JR福山駅南口のコンビニが早くもセブンイレブン(福山市三之丸町)に変わっていた。電車を利用するサラリーマンや学生は素直に喜んだのではないだろうか。他人事だが、コンビニ激戦区で生き残るのは本当に大変なのである。

鞆行きのバス

くまぴー

バス乗り場へ移動するとPASPYのマスコットキャラクター・くまぴーが歩いており、バス会社の社員がポケットティッシュ付きのちらしを道行く人に配っていた。夏休みに高速バスで東京・横浜や京都へ出掛ける人は結構多そうだ。旅費を安く抑えてその分を食に回すのも一つの手だろう。

キャンペーン

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二日目のカレーを温めて食す

2014年06月21日 | 家飯
チキンカレーの余りを冷蔵庫(腐敗防止対策として非常に有効)から取り出し温め直した。二日目のカレーはスパイス感が落ちているので、仕上げにカレー粉、クミンなどを追加する。私は旨味よりもはるかに香りを重視する人間である。蒸し暑い初夏にはフレッシュトマトとタマネギをたっぷり使ったあっさりチキンカレーがいい。

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小魚阿も珍さんすて福山店(福山市三之丸町)

2014年06月21日 | 日記
4月15日、さんすて福山内にオープンした小魚阿も珍。昔阿も珍の居酒屋はサントーク二番街にあり、飲み会で時々利用していたことを覚えている。当時は威勢のいい女性が店を切り盛りしていた。

ちーいか天ぷら

そこではメンバーの誰かが必ず名物の「ちーいか天ぷら」を注文した。味付けが濃いので生ビールがしこたま飲めた(笑)。新店は魚弁当の販売も手掛けている。価格設定を見るとプチ贅沢の部類だが、秋口あたり何か一つ買って食べてみよう。

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第二十九回福山八幡宮薪能・2014.7.28(福山市北吉津町)

2014年06月20日 | 日記
7月28日(月曜日)午後6時半から福山市北吉津町の福山八幡宮特設舞台で薪能が演じられる。演者は能楽シテ方大島家4代目・5代目や能楽狂言方の茂山正邦氏など。市民が古典芸能に触れる絶好の機会である。

福山八幡宮と薪能
 福山八幡宮は、松迺尾山の東西に、同一の規模・様式の社殿がならび立ち、両社にそれぞれ八幡大神をお祀りする全国的にも珍しい神社です。
 東御宮は承保年中(1074~)に宇佐八幡宮より、西御宮は永亨年中(1429~)に鶴岡八幡宮より勧請されたと伝えられ、穴の海と呼ばれた内海近くに二つ宮が別々にお祀りされていました。
 元和五年(1619)福山開祖水野勝成公福山城築城に際し、二つの宮はそれぞれ延広と野上へ移され、その後ようやく城下が整った天和三年(1683)に第四代福山藩主水野勝種公により、現在地に備後福山総鎮守の社として、福山藩を挙げて造営されました。

 天和の昔、八幡宮ご鎮座奉祝の祭礼には落慶の能楽が連日催され、近郷近在より多くの参拝者が訪れて境内は大変な賑わいを呈していたとの故事があります。また、勝成公始め歴代藩主は能をとても愛され、八幡宮のご神前に上方をはじめ各地より能役者を招き、盛大に奉納されたとの歴史に因み、昭和六十一年に「ご鎮座三百年」と「福山市制施行七十周年」を記念して、第一回福山八幡宮薪能が開催されました。それ以来、多くの皆様のお力添えにより回を重ねて二十九回目を迎え、備後福山の夏の風物詩として、毎回千人を超す方々にご鑑賞いただく、西日本でも有数の薪能として親しまれております。


高校生以下の学生は1000円という嬉しい配慮。若いうちから本物を観ておくと後々為になる。郷土史研究において原書(歴史書など)をひたすら読むのと同じことだ。目を肥やすのは早いに越したことはない。


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広島県立歴史博物館の夏の展示「近世文人の世界 ‐神辺に花開いた文化‐」

2014年06月20日 | 日記
7月11日(金)から広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)で「近世文人の世界 ‐神辺に花開いた文化‐」の展示が始まる。菅茶山関係資料が国の重要文化財に指定される見込みを祝してということらしい。茶山の御膝元である神辺町の人たちも喜んでいることだろう。

茶山

県外や市外から博物館を訪れた人には福塩線などを利用して神辺まで足を延ばしてもらいたいものである。旧福山市街の住民も廉塾と神辺西本陣は見ておくべきだ。山陽道・神辺宿および矢掛宿(岡山県小田郡矢掛町 本陣脇本陣が現存する稀有な例)に更なる光が当たることを期待しよう。

広島県立歴史民俗博物館

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夏の魚・イサキの白子と真子

2014年06月19日 | 食材
瀬戸内で獲れるイサキは夏が旬である。広島では焼き物にして食べることが多いが、刺身の需要もかなりある。事実福山市内の回転寿司ではイサキの焼き霜握りがメニューとして存在する。身と皮の間の脂肪層が美味しいのは鯛との類似点だ。イサキの白子と真子がお得価格で売られていたので購入してみた。

血抜き中

調理する前に薄い食塩水に浸けて血抜きする。霜降りしてから酒と出汁を合わせた調味液で炊き薄口醤油で味を調える(臭み消しとして針生姜も使う)。

白子と真子の煮付け

滑らかな舌触りの白子と一粒一粒が小さい真子、どちらも非常に上品な味わいである。来月辺りから出回るハモ(鱧)の真子(ばらけやすい)は塩辛や卵とじにするのがよい。

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