青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

銀鱗踊る高架橋。

2025年02月26日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(生徒たちを待つ@義塾高校前駅)

沿線最大の教育施設である東奥義塾中学校・高等学校。弘前藩の藩校を出自とした、青森県でも有数の名門私学。その最寄り駅になっているのが義塾高校前駅。リンゴ畑の中に簡素なホーム一面の小さな駅ですが、朝は通学してくる学生の対応のためか、係員配置の時間があるようです。東奥義塾が弘前城址に近い場所から郊外の地にに移転してきたのは昭和62年のこと。義塾高校前の駅はそれに呼応する形で通学の便宜を図るために開設された駅ですが、学校の移転と駅の開業により、前年に比べて通学定期の輸送人員が年間15万人も増加。弘南鉄道的にも大きな需要の創出だったのではなかろうか。もっとも、昭和62年当時の大鰐線の輸送人員はピークアウトしていたとはいえ年間250万人を確保していたのだから、今となっては隔世の感がある。

義塾高校前~石川間の石川高架橋で行き交う朝の電車を。鉄柵のないプレーンな古めかしいコンクリートのガーター橋は、東急7000系の最大の特徴であるパイオニア台車の外付けディスクブレーキを光らせるには打ってつけである。朝の眩い光に銀輪を躍らせた後は、岩木山バックを狙いに高架橋の石川詰めの踏切から大鰐行きの電車を狙ったのだが、先ほどは見えていたお岩木山がみるみる雲に絡め取られて大失敗。電車にはしっかりと太陽が当たっていただけに勿体ないことをしてしまった。それにしても大鰐線の7031編成、「HIROSAKI RENGA STORY」と題して中央弘前にあるレンガ美術館のラッピングをしているのだが、車体正面上部にレンガのアーチを描くデザインがちょっと奇抜すぎやしないかと(笑)。

折り返してきたレンガ編成を石川駅で。石川駅、かつては「新石川駅」という名前だったのだが、JRの石川駅と混同を避けてのことだったのだろうか。なんか神奈川県民なので、新石川なんて言われるとたまプラーザとかあざみ野辺りの地名(横浜市青葉区新石川)を思い出してしまうのだが、そういう意味では東急繋がりと言えないこともない。鯖石駅に続いてこの駅も右側通行だね。大鰐線の交換駅、中央弘前側から弘前学院大前・千年・津軽大沢・石川・鯖石とあるのだが、石川と鯖石は右側通行で他は左側通行になっている。ここらへんの「決め」はなんか理由があるのかな。そういう謎は分からないまま、運行は終わってしまうかもしれないが・・・

ちなみに現行ダイヤでは、大鰐線の列車交換は休日が津軽大沢のみ、平日は71レ・72レの運転により、津軽大沢に加えて弘前学院大前1回(7:48)・千年1回(8:10)・鯖石2回(7:25・8:30)の交換があるので撮影の参考にされたい。わざわざ各駅に分散させるのも、交換設備の作動点検がてら、という感じもあるのだが、そう考えると現行ダイヤは石川の交換がないな。前のダイヤの時は朝に1回だけ石川交換があったんだけど。

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朝の鯖石、電光石火。

2025年02月24日 08時00分00秒 | 弘南鉄道

(雪の待合室@鯖石駅)

昨年の夏にも訪れた鯖石の駅。国道8号線から鯖石の集落へ入る道へ折れ、その集落の道からさらに細い道に入ってようやく見つかります。大鰐線の駅は、大きな街道沿いというよりも小さな集落の中の分かりにくい場所にあるものが多く、初見では探し出すのが難しい。ちなみに、ここから一つ大鰐寄りの宿川原駅も分かりにくさは相当なもので・・・そういうところも、利用しにくさの一因になっているのかもしれない。鯖石駅へのアプローチは、バイクや小さめの自動車が1台やっと通れるかな、程度の細道のみ。そもそもクルマ社会の地方都市。少ない利用者ですら、駅までは家族がクルマで送迎することは珍しくない。そうなると、駅前のロータリーの整備とか、そういった「クルマ社会との親和性」を高めることも利用促進策の一環だったと思うのだが、なかなかそうもいかなかった、というのが大鰐線の現状です。名誉のために申し上げれば、大鰐線もパークアンドライドの施策を積極的に打ってはいますけど、駅前にクルマが入れるような場所がないので「少し離れた場所に止めて歩く」みたいな傾向になりがちである。暑い日寒い日、雨の日や雪の日。そして荷物が重ければ、普段使いの乗客には「そういうところ」が微妙に嫌がられる。

そんな鯖石駅への小道を駅に向かう小学生たち。駅は平川に沿った位置にあって、駅の北側の道は平川を渡る橋に繋がっています。橋を渡ると川の向こう側にある森山という集落があるんですが、羽州街道が走る鯖石の集落だけでなく、平川左岸側からの利用も意識したのかなと。森山の集落、奥羽本線が通ってはいるものの悲しいかな駅は作られておらず・・・川を渡って歩いてくる小学生もおりましたので、こういった奥羽本線沿いの駅のない集落の住民の利用が、大鰐線の輸送需要の一つでもありました。

平日ダイヤでのみ行われる、鯖石の交換風景。小学生は大鰐方面へ乗車するようだ。大鰐町には小学校が大鰐町立の大鰐小学校の一つしかないから、必然的に電車通学になる生徒も多かろう。以前は、朝のラッシュ時を含めて頻繁な運転がありましたから、鯖石駅の交換設備も大いに活用されていました。それが、現在では平日の朝の7時台・8時台にそれぞれ1回ずつが残るのみです。鯖石駅の信号は、どちらのホームからも両方向へ出発できるようになっており、快速運転があった頃は、直線側のホームを通過線にして上下列車の退避をおこなう「一線スルー」の方式が取られていました。割れてしまったホームの行灯にも、その辺りの名残りが見て取れます。ちなみに、この駅の通行は現在は右側通行に固定されているようなので、撮影の際は注意されたし。地方鉄道だと結構あるんですよね。右側通行の駅って。

大鰐線の電車、基本的に「大鰐-中央弘前」とか「大鰐線」の表示なので、ライトでも付いてないと写真ではどっち行きの電車だか分かりづらい。運転席の運転士さんのあるなしで判断していただきたい。そして、弘南線も大鰐線も交換が早いよねえ!まさに電光石火の交換が弘南鉄道の特徴で、どっちかが着いてどっちかが出るまでピタッと並ぶことがないんだよな。交換相手が側線に入るとすぐ出発信号が変わって待ってた方が発車するから、「駅で並ぶ」みたいな構図がなかなか難しいです。その辺り、時刻表上は同時刻でも、運転士さんが持ってるスタフ上では微妙に30秒ずつくらいずらしたりしてんのかしら。この日は大鰐行きが先行して入線して、中央弘前行きがやや遅れ。ご多分に漏れず、中央弘前行きが停車する前に大鰐方面の信号が開通して、大鰐行きはさっさと発車してしまいました。

時刻はきっちり7:25。
鯖石だけに、発車時刻のサバを読んだりしてないだろうな(してません笑)。

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しばれる朝の始発駅。

2025年02月20日 22時00分00秒 | 弘南鉄道

(ワニモニ。@大鰐温泉駅)

朝6時に大坊温泉保養センターを出て、やって来たのは大鰐温泉の駅。津軽の奥座敷と言われた大鰐温泉は、弘前藩の湯治場として栄えました。開湯800年の歴史を誇る津軽の名湯は、歴史ある雰囲気を持つ街並みで、2つの共同浴場を中心に大小の旅館で形成されています。もう一つ、大鰐町と言えば大正時代からスキーの街として有名で、街の南側にある阿闍羅(あじゃら)山の中腹には大きなスキー場(大鰐温泉スキー場)があります。私は正直存じ上げないのですが、毎年学生スキーの大会が開催されていて、町内からもスキーの名選手が数々輩出されているらしい。ちなみにバブル華やかなりし1980年代後半にスキー場を中心にしたリゾート振興に手を出した大鰐町、見事に開発に頓挫し財政再建団体にまで落ち込んだ苦い実績があります。

そんな街の名前を冠する弘南鉄道の大鰐線、その始発駅がここ大鰐駅。ご存じの通り、昨年末に2027年度いっぱいでの運行停止の決定がなされました。沿線自治体が作る弘南鉄道の活性化協議会も年明けにこれを受け入れていますので、もう後戻りのできないカウントダウンが始まっています。この日は夜明けから、そんな余命宣告がなされた大鰐線に寄り添ってみようと思います。昨日は暖かかったせいか、駅前の道を濡らした雪融けの水は、夜半の寒さでカチンコチンに凍り、思わず歩幅も小さくなる。JRの大鰐温泉駅の隣りにやや粗末な農具小屋のようなしつらえの大鰐駅。こちらはJRと異なり「温泉」の名前を付けませんが、その昔は弘南大鰐駅と呼ばれていましたね。弘前電気鉄道から弘南鉄道に営業権が移った際にそうなったらしいけど。朝の始発電車は6:50と少し遅め。以前は朝の6:20が始発だったから、減便して30分繰り下げられた。この日は月曜日、早くも弘前方面の高校に通う学生が一人、軋む引き戸を開けてホームに入って行った。

跨線橋の煤けた窓から覗く大鰐線の電車。明けて行く冬の空の下で佇む大鰐線は、弘南線と違って全車が東急7000の原形顔なのが嬉しい。まあ、それにしても雪が深いね。大鰐の街は、津軽平野から平川の谷がちょうど狭まってくる位置にあって、奥羽本線はここから碇ヶ関を経て矢立峠へ向かってさらに雪は深くなっていく。国鉄時代は、それこそ日中は特急や急行列車ばかりで奥羽本線にはほとんど普通列車が走りませんでしたから、大鰐線は奥羽本線から零れ落ちた津軽平野南部の羽州街道沿いの集落の移動需要を満たす形で、30分に1本の高頻度運転を近年まで続けていました。弘南鉄道、弘南線も大鰐線も平成18年まで朝は快速電車があったんですよね。2005年の時刻表で大鰐7:45発→中央弘前8:07着とある。普通電車が30分のところを22分だから、それなりに時短にはなっていたのだろうか。

雪に埋もれたような大鰐駅の構内。引き上げ線の位置には、いつもの冬ならキ105+ED221のコンビが常駐していたはずですが・・・姿は見えず。大鰐の朝2本目の編成が留置されていました。ED221の故障で、今シーズンの冬の排雪はキ105を使うことが出来ず、専ら除雪はJRから払い下げられたMCRに任されているのは前述した通り。駅から少し歩いて羽州街道に向かう道すがらの踏切に出てみた。始発列車の鐘の音、凍て付く温泉街に、朝の訪れを告げて。

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平川の 名湯ぷかり 風邪知らず。

2025年02月18日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(黄金の稲穂揺れて・・・@津軽ウインターイルミネーション列車)

「冬の田んぼアート」を楽しんだ後は、このイベントに合わせて増発された臨時電車で弘前へ。黄金の稲穂を模したイルミネーションを配した車内は、照明を落として幻想的な世界。ちなみに、乗車には別途料金500円を所望されました。手土産に小さなお手ぬぐいのグッズ付きでしたが、正直別途料金を取って運行しているせいか、車内の乗客はまばらです。やはり臨時電車というのもあるし、別料金を取るというスタイルだと利用率はそこまでいいとは言えなかったかなあ・・・。弘南鉄道なりの増収策なんでしょうけどね。それなら、もう少ししっかりとおカネを取って「けの汁列車」みたいなイベント列車で運行した方が良かったのかも。けの汁列車、コロナで中断していて2025年の今シーズンから5年ぶりに復活したようなのですが、お座敷車両での弘南線往復にけの汁とおかずの盛り合わせの折り詰めに飲み放題までついて5,400円だから全然悪くないよね。弘前→田んぼアート(下車)→黒石まで回送して折り返し→田んぼアート(乗車)→平賀で運転停車して宴会→弘前、みたいな感じで時間を設定すれば結構楽しめるのではないかと。

「イルミネーション列車」は、黒石高校の生徒がこしらえたラッピング列車で運行されていました。この日の弘南線で唯一動いた原形顔。黒石高校ラッピングって弘南線の電車で綿々と続いてるね。黒石高校って、黒石駅に着く少し手前の右側にでっかいグラウンドと校舎が見えます。そもそも沿線に学校関連の施設が多い弘南鉄道ですが、まさに弘南線と共にあるような高校なので、結びつきも強いんでしょう。元々女学校として設立された高校で、県内の公立高校で唯一看護学科の設置があるのだとか。

さて、今日のすることやりたいことも終わったので、宿へ向かいましょうかね。弘南線のホームを駅コンコースのイルミネーションと共に。大きく窓に映り込むのはねぶた猫。折り返しの電車が出るまでの間、駅のコンビニで晩酌用のアルコールを少し仕込んでから黒石行きの電車の乗り込む。もう時刻は夜8時を過ぎて、黒石行きの電車には若いカップルの酔客の姿などもあった。都会であれば、飲んだところでこんな時間で帰宅するのはまだ早いように思うのだけど、弘前からの終電は21:40となればこのくらいの時間が頃あいか。地方都市の場合飲みに行くのもクルマであることは珍しくないので、そうなると帰りの足は運転代行だけれども、運転代行の相場は2kmで2,000円くらいでそっから1kmごとに200円だから、電車を使う方が何だかんだ安上がりでしょう。弘前からの帰りはやっぱり扁平顔の東急7000。この日は結局定期で回ったのは中間改造車顔だけでした。

この日の泊まりは平川市にある「大坊温泉保養センター」。弘前に泊まるとなれば駅近くにホテルがいっくらでもありますけど、せっかくなので温泉付きの宿泊施設に泊まりたい。幸いにして、津軽にはこのように地域の公衆浴場を兼ねながらも泊まりも出来るビジネス温泉旅館みたいなものがいくつもあって、ここもそのうちの一つ。弘南線と大鰐線のどちらにも出易い位置にあるし、大浴場にふんだんに注がれる溢れる湯量のいい温泉が入り放題。以前に泊まったこともあるんだけど部屋もきれいだし、何よりホテルじゃないので和室で畳に布団を敷いて眠れるのがうれしい。そしてこのインバウンド需要でどこも宿泊価格が高騰する中で、一泊素泊まり6,000円くらいなのはリーズナブル。弘前駅前で狭いビジホやカプセルに泊まるなら絶対こっちの方をお勧めする。唯一、鉄道利用で宿泊するのは位置的に厳しいこと(駅から徒歩は少々無理がある)は難だけど、今回はレンタカー借りてますのでね。

「風邪知らずの湯」と言われるちょっと熱めの湯が、円柱の湯口からドバドバと注がれる大浴場。入れ代わり立ち代わりやって来る津軽っ子たちの難解なお国言葉を聞きながら湯船にプカプカと浸かり、一日の垢を落として部屋に戻る。黒石のスーパーで買い込んだパックの寿司と陸奥湾ホタテ、あとは黒石焼そばにイガメンチに・・・その他ビールと地酒と適当に地のものをテーブルに並べての小宴会。ビジネス旅館なので廊下に電子レンジも置いてあるから、お惣菜物の温め直しも楽だ。旅に出てまでパックの寿司食うなよ!と思う人もいるかもしれないけど、どうしても遅くまでカメラ握ってフラフラしてしまう自分のような人間にはこういうスタイルが合っている。宿の食事の時間のために、夕暮れのいい時間帯のカットが撮れないなんて何のために出掛けてるか分かんないじゃないですか。まあ、そういう思考をしていると、旅先の食事はこうなりがちなのだが、すべて人生、いいとこ取りは出来ないってことで。それと、旅先の地元スーパーは楽しいですよ。その土地の生活に根差したいろんなものが見えて。

すっかり酔っぱらって、そのまま布団の上にダイブした一人旅の夜。旅先の寝落ちは、変な時間に目が覚める。はだけた浴衣を直して、少し酔いが醒めた体を引きずってよろよろと宿泊者専用の温泉へ。冷えた体に染みわたる大坊の湯・・・誰も入っていないので、自分が入った分だけ洗い場にザバザバと流されていく源泉に対してスマヌスマヌと思わず謝りたくなってしまう。溢れて捨てられた分だけお金払ってもいいくらいだ。そういうのを源泉徴収って言ったりするのかもしれませんが。

最近は、YouTubeで軽バンやら軽トラみたいなのをカスタムしたクルマでやる車中泊の旅の動画を見るのが好き。
行き当たりばったりに出掛けては好きなものを見て、思い付いた場所にクルマを止めて、好きな温泉入って、好きなメシ食って寝袋にくるまって眠る。
結局お出掛け好きの行きつく先って、車中泊なのかなあと思わないこともないけど、これがあるから温泉宿はやめられんね。

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凍て付いた光の中で。

2025年02月16日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(ささやかなイルミネーション@田んぼアート駅)

津軽を訪れた週末は、田んぼアートで地元のスノーアーティスト集団による「冬の田んぼアート」が開催されていました。「道の駅いなかだて」に隣接した会場は、夜のライトアップを目当てに多くのお客さんが来場していましたが、弘南線も田んぼアート駅に土日は臨時停車をおこなって会場アクセスへの便宜を図っていました。スノーアートとは、スノーシューを履いて雪原を踏み固め、雪に模様を描いて陰影でデザインを浮かび上がらせるアートというもの。夏は、普通の稲に赤米や古代米などを混ぜて稲の色の違いで表現するのが「田んぼアート」なのですが、今回は稲は関係ありません。田んぼアート駅に隣接した「弥生の里展望所」から見下ろすスノーアートはどんなもんなんでしょうか・・・?

入館料300円を払ってエレベーターで展望所に上がる。眼下には、広がる展望台に付けられた投光器によって照らし出される雪上のグラフィックアート。真冬に咲く向日葵をモチーフにしているのだろうか。大きさで言えばタテ100mヨコ200mくらいの田んぼの上の雪原で、これを一生懸命かんじき履いた足で雪踏みして作るのだから、製作時間はどのくらいかかったんだろうか。雪は冬の北国の暮らしの障害にはなるけども、やっぱり美しいものでもあって・・・そうじゃなきゃ自分だってここまで来ないですよ。この美しい幾何学の紋様を弘南線の車窓から見れたら最高だろうなあと思うが、なにぶんこういうものは高さを稼がないとその美しさを眺めることも出来ない。面倒でも田んぼアートの駅で降りていただき、この展望台へ上がってください(来年ね)。

展望台から、弘南電車が走り去る様子を「冬の田んぼアート」と絡めて。ステンレスの青い電車が、スノーアートの上を滑るように駆け抜けた。

 

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