青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

水無月・津軽大沢

2024年12月17日 17時00分00秒 | カレンダー

(霞む岩木と梅雨晴れの朝@弘南鉄道大鰐線・松木平~津軽大沢間)

6月。気まぐれに覗いた横浜の地下街のチケットショップ。株主総会前で期限が近いせいか、投げ売りになっていたJR東日本の株主優待券を使って、初夏の津軽へ。初訪問の津軽鉄道と、私の大好きな弘南鉄道。なんで大好きなのかって?と聞かれると言い表せないが、好きなんだよねえ。かつては渋谷と横浜を結んでいた銀色の電車が走る弘南鉄道は、軽やかさがありつつ、それでいてしっかりと津軽の町々を結ぶインターアーバンとして根を下ろしている。観光的には、太宰治にストーブ列車、冬の地吹雪に吉幾三のド演歌の世界が見える津軽鉄道に軍配が上がるんでしょうけど。岩木山をバックに柏農高校前の長い長い夕暮れを楽しんだり、ほろ酔い加減のりんごねぷた電車に揺られて夜の大鰐線を楽しんで、乗ったり、降りたり、撮ったり。地方私鉄の郊外電車のターミナルとしては日本一の雰囲気を持つと思っている中央弘前の駅の近くに宿を取り、翌日は朝もはよから大鰐温泉の青柳会館の熱めのお湯でシャッキリ目覚めた後は、リンゴ畑を睥睨する津軽大沢の高架橋に登った。早朝はいい感じに見えていたお岩木山も、遅めの大鰐線の始発電車が通る事には稜線も朧ろ。それでも、梅雨晴れの朝の陽射しを浴びて、銀色の電車が私の下を通り過ぎて行きました。

そして、年末に届いた大鰐線の廃線の報。
2027年度まで・・・という時間が残されて、やはり津軽は冬に行ってこそ華かなあ。と算段を練っているところであります。

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皐月・本銚子

2024年12月15日 10時00分00秒 | カレンダー

(新緑に南海グリーンを添えて@銚子電鉄・本銚子駅)

5月。ゴールデンウィークはかなり久し振りに子供と一緒に銚子まで行って遊んできた。ちょうど南海22000系が往時の南海グリーンを纏って復活デビューしたという報を聞いてましたのでね。現在の銚子電鉄、通常時は朝以外は1運用なので、目当ての編成が入らないと一日空振りで終わってしまうのだが、GW対応で日中にも増便対応があり、その増便に南海カラーが充当されたわけである。関東の西側から「とっぱずれ」の銚子まで片道4時間以上かかるのだから、関東平野は広い。夕方まで子供と一緒に電車に揺られて、ぬれ煎餅を買って、遊んで、遊んで・・・なんてこの日以来やってないのだが、いまは来年早々の受験に備えて今はひたすら勉強の日々を送っている。無事に志望の学校に合格したあかつきには、それなりの卒業旅行でもさせてやろうかなあと思っているのだが。銚子電鉄は、銀座線のお古(1000系)の時代から、伊予鉄のお古(京王グリーン車)の時代を経て今度は「角ズーム」こと南海22000系→2200系への置き換えを進めていて、この編成のほかにもう1本が導入されることが決まっている。関西私鉄の車両が関東で走ることも結構珍しいことのように思うのだが、銚子電鉄については条件と価格が折り合えばという中での出モノだったということか。

新緑のカーテンに包まれた本銚子の駅に、上り電車の銚子行きがやって来た。
「本銚子」=「本調子」とか、「上り銚子はいい銚子」なんて言って縁起物にしているようだが、この流れにあやかって学業成就と行きますかどうか。

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卯月・更地

2024年12月13日 17時00分00秒 | カレンダー

(桜は、いつまでも待っている@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)

4月。2024年の桜は、樽見鉄道を中心にした根尾谷の桜を愛でに行きました。岐阜県美濃地方の北部、根尾川の周辺は「根尾の薄墨桜」で有名な桜の名所。樽見鉄道では、谷汲口駅の桜が有名ですけど、そこにお邪魔する前に立ち寄ったのがこの駅の桜。名鉄谷汲線・更地駅跡。平成中期に全廃された「名鉄600V区間」のうち、最北の路線であった名鉄谷汲線は、谷汲山華厳寺へ向かう参詣鉄道として、廃線まで戦前生まれの旧型ツリカケ電車がのんびりと走っていた路線です。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。この駅の春の情景を旧型電車と収めた写真の情景が素晴らしくて、いつか訪れたいと思っていたんですけどね。谷汲線の廃止って2001年(平成13年)9月のことなので、それこそ笠松競馬に行くついでにでも岐阜で一泊して訪れることは出来ていたのではないか。そう思うと、戻らない時計の針を無理矢理でも戻したくなる。

春は更地の桜、夏は根尾川に作られる赤石の簗(やな)、秋は谷汲山の紅葉、そして冬は根尾谷を白く染める雪景色。
四季折々を走る谷汲線の鉄路の風景を思い浮かべながら、今なお残されたのっぺらぼうのキロポストに語り掛ける、更地の春の朝です。

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弥生・養老渓谷

2024年12月11日 17時00分00秒 | カレンダー

(石神暮色@小湊鐵道・上総大久保~養老渓谷間)

弥生三月、小湊鐵道。春になるとアクアラインを渡って、束の間の里山風景に包まれに行くことは定番のルーティーンなんですが、房総半島の里山も、私がカメラを握り始めて20年も経ちますとですね、だいぶ変わってきていますよね。コロナ前から上総牛久以南が特に顕著でしたが、小湊自慢の里山風景に翳りが見えています。田んぼが減り、畑が減り、雑草が跋扈して、空き家が増えて・・・20年前にこの風景を支えていた元気な60代が、現在80代。当たり前だけど、亡くなる人もいるのだろうし、離農して後継ぎがいなかったり、農家を捨てて老人ホームへ入ったりと、さまざまな事情によって人口がだんだん減っているんだなあという印象がありましたけど、コロナ禍以降はそれが加速度的に広がっている感じがするんです。年寄りに「コロナの5年」ってのは何かを手仕舞ういいきっかけになってしまったというか。対する小湊鐵道自身も、全線がコロナによって減便されてダイヤもそのままなんだけど、そもそも運転士不足でダイヤが戻せないんですよね。目玉商品の里山トロッコは牽引機がエンジンの重大故障で長期運休中なのですが、その代替役を担うはずだったキハ40を使った土日の観光急行が運転士不足で運行休止になっているし・・・小湊は収益の柱であったバスも要員不足が甚だしくて、度重なる減便減便で公共交通としての体を成さなくなっている悪循環。小湊鐵道グループ、首都圏に近いことが売りでもあり弱みでもあって、風の噂では給与体系のいい同業他社や運輸業界に人員が流出してるとも聞きますね。どこも人員確保をするのに給与を引き上げているけど、それができる会社とできない会社があるのは資本主義の論理。行政から低廉に運賃を抑えられている公共交通ならではの悩みと言えましょうか。

なんかつまんない話をしてしまったが、春の夕暮れの石神の菜の花畑。昼間の喧騒はどこへやら、この時間まで粘ってカメラを振り回しているのは私だけだった。
うすぼんやりした黄色の絨毯の上を、最終の中野行きのキハが通り過ぎます。

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如月・中塩田

2024年12月09日 17時00分00秒 | カレンダー

(塩田平、冬の夜@上田電鉄・中塩田駅)

2月。1月とか2月のうちは、クルマのタイヤもスタッドレスに変えて、どこかの路線の雪景色でも・・・というのが通例。そこら辺を狙って、「北陸フリーきっぷ(能登復興割)」を使って新幹線の敦賀開業直前の北陸路に行ったりしたんですよね。北陸だからね、それなりに雪景色なんかも見れるかなって思ってたんですけど、福鉄もえち鉄も雪なんか全然なかった。旅自体はそれなりに楽しかったんだけど、さすがにそこはかなりの拍子抜け・・・ということで、2月のアタマに長電に行ったついでに立ち寄った塩田平の冬景色を。長電も、山ノ内界隈にちょこっと雪があっただけでもの足りないことこの上なかったのだが。いやいや、北陸と甲信越でこんなに雪がないのなら、もうスタッドレスいらないんじゃないのかと。総体的な話をすれば温暖化ということなんだけど、本当の雪景色を見るのも楽じゃなくなってきましたねえ。2024~25の冬はエル・ニーニョでそれなりに寒く、降雪も多いという長期予報ですが、どうなりますでしょうか。

「上田ブルー」とも言える、独特の緑がかった薄水色。別所温泉・八木沢・そしてここ中塩田に残るレトロな駅舎は、「上田丸子電鉄」時代の面影。
あの頃と同じ色をした電車が、そっと夜のホームに滑り込みます。

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