青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

あいの風吹く駅舎にて

2019年10月03日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(古色蒼然と佇む@早月加積駅)

地鉄・駅探訪シリーズ。去年は浜加積駅を訪問しましたが、今年はお隣にある早月加積駅を訪問してみました。地鉄の旅は、車両もそうですが古色蒼然とした駅舎を愛でる事も楽しみの一つで、ここも来てみたかった駅でした。富山電鐵がこの区間を開通させたのは昭和10年、早月加積の駅が出来たのが戦後の昭和25年ですから、開通当時からあった駅ではないようです。それでも、富山湾から吹く潮風に当てられていい感じに侘びた雰囲気は、地鉄らしい落ち着いた佇まいをもって旅人を迎えてくれました。位置で言えば滑川市の北西の外れ、周辺は半農半住という風景の中にあります。駅前のタンクは、冬季の暖房用だったのだろうか。

駅は、相対式ホーム2面2線。待合室にいつから使われていないのか、とっくに電気の通らなくなった「電車のりば案内」と書かれた行灯がありました。雪を避けるための雁木のような通路を通ってホームに出る。この駅は行き違い設備を持ってはいますが、交換する列車がない場合は富山行きも宇奈月行きも海側の1番乗り場を使います。交換の必要がある場合のみ、海側1番線を宇奈月行き、山側2番線を富山行きの列車が使うことになっていて、特急などの通過列車はポイントを直線で通り抜けることが出来る1番線側の線路を通過する事になっています。特急列車が速度を落とさずに直線で駅をスルー出来ることから、「1線スルー型」と呼ばれる配線方式で、ダイヤによって発着する番線が異なるため、「どっちのホームからどっち方面の列車が出るか」を示すために、あの行灯は使われていた事が分かります。

駅の真横はあいの風とやま鉄道。言わずと知れた旧北陸本線。富山地鉄の線路は、西滑川の先から黒部の手前の経田まで、約15kmをほぼ北陸本線と並走する形で走っています。富山地鉄の前身である富山鐡道が滑川から先、黒部への延伸を目指した際、当時の鉄道省は「官営の北陸線と競合する」という理由で延伸の許可をなかなか下ろしませんでした。しかしながら、初代地鉄社長にて衆議院議員も務めた佐伯宗義翁の「大都市間の輸送を主目的とする官営鉄道と、地域内輸送を目的とする富山鐡道の客層は重複するものではない」という熱心な説得によって認可を得るに至ります。

あい鉄の413系電車が早月加積の駅を通り過ぎていく。富山鐡道の並行線認可から85年、日本海縦貫線の一翼を担い、大阪・名古屋方面からの特急や夜行列車が頻繁に通った北陸本線が、新幹線の開通によって第三セクター化され、同じ富山県内の地域輸送を担うライバルになるとは、さすがの宗義翁も想像だにしなかったのではなかろうか。滑川から富山までを比べても、あい鉄は15分360円、地鉄は40分610円。そりゃ線形が違うからしょうがないってのはあるとは思うけど、優等列車が消えた事で普通列車が大幅に増発されてもおり、「対富山」という観点ではあい鉄に圧倒的に分があるようです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 加積郷豊穣、2019秋 | トップ | 加積、青雲の志 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

富山地方鉄道」カテゴリの最新記事