青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

オヤジ、真夏の大冒険。

2022年08月20日 18時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(若さ、若さってなんだ@舞鶴若狭道・舞鶴東IC)

一つ前のブログ投稿で、「只見線に行ってみたい」みたいな事をほざいていた今年の夏休みですが、話は只見線の「た」の字もないような気の変わりっぷりで、何だか気が付いたら舞鶴にいたんですよ。舞鶴。しかも、最初は行きは新幹線、帰りは高速バスで行こうと思ってたんだけど、ヨメさんから「公共交通機関の長距離移動は(感染リスクとかあって)怖くない?」みたいな事を言い出したもんだから、「じゃあしょうがないね(ニッコリ)」って事でクルマで行ってしまいました。現地での諸々の移動を含めて結局往復で1,450km。最近はクルマでって言っても富山あたりの距離がせいぜいだったので、久々の大台越えである。名古屋を越えて向こうに自分のハンドルで行くなんていつ以来だろう。ちょっと記憶にない真夏の大冒険となりました。

夜の新東名を西へ。高速代の節約のため、関ヶ原ICから下道へ降りた。天候の不順な今年の夏、大気の不安定な・・・というのが天気予報の決まり文句になっているのだけど、真夜中の伊吹山山麓付近でとんでもない豪雨に見舞われた道中。対向の大型車の跳ね上げる水飛沫で前が見えなくなること数度、さすがにこれは危険だと諦めて避難かたがたコンビニの駐車場に身を寄せた。仮眠を取ろうと横になったものの、あまりにも雨の音が煩くてろくすっぽ眠れなかった。

舞鶴市の西の玄関口・西舞鶴駅。古くから日本海側の軍港として栄えた舞鶴の街。東西に分かれた舞鶴湾の入江に沿って、商業港として税関や官庁機関の機能が集まった西舞鶴と、古くは舞鶴鎮守府が置かれ、現在でも海上自衛隊の基幹組織が置かれている東舞鶴と、都市機能は東西に大きく分かれています。大きく東西に市域が分かれる都市と言えば思い出すのが広島の呉市(東の広地区・西の呉地区)なんですけど、あそこも大日本帝国海軍からの海軍の街。舞鶴も呉もどちらも背後に山を抱え、入江の深いリアス式海岸の良港。陸海の守りは固くとも、その分港湾部ごとに都市機能は分断されやすいのかな、という感じ。

今回訪問先に選んだのは、京都丹後鉄道。少し前までは「北近畿タンゴ鉄道」なんて言われていた路線です。旧・国鉄宮津線を三セク化した路線で、西舞鶴~豊岡間の旧宮津線部分と新線として建設された福知山~宮津の宮福線からなります。丹後半島の鉄道路線としては唯一の存在で、沿線には日本三景の一つである天橋立や木津温泉・久美浜温泉などの観光地を抱える観光路線ですが、宮津市や与謝野町、そして京丹後市(旧峰山町・網野町・久美浜町)への重要な公共交通でもあります。始発駅の西舞鶴では、舞鶴・小浜線に遠慮しながら駅の端っこに単式ホームを持つのみ。以前はJRからの線内乗り入れがありましたが、現在は福知山からの新線経由に取って代わられています。

軍都・舞鶴。海軍の街らしく、車両には「艦これ」のラッピングが。・・・って言ってはみたものの、「艦これ」が何なのかはイマイチ分かっていない自分。要は、海軍の艦船(軍艦)をモチーフに擬人化・美少女化を加えたアニメなんであろうと思われる。今流行りの「ウマ娘。」に通じる流れの一つであると思われるのだが、誰か違かかったら教えて欲しい。「YURA」とあるので、沿線を流れる由良川に因んだ軽巡洋艦・由良をモチーフにしたキャラクターなんでしょうね。

西舞鶴には丹鉄の車庫と車両整備部門が置かれていて、構内の機関庫にはレストラン観光列車「あかまつ」「くろまつ」や、特急用車両「丹後の海」が留置されていました。配されたアルファベットの書き文字で言わずとも分かるドーンデザイン研究所謹製。水戸岡デザイン。元々、沿線には天橋立を始めとする観光名所があり、沿線の魅力やポテンシャルは大きい路線かと思われますが、そんな観光資源がありながら三セク化されて以降はだいぶ大きな赤字を垂れ流し続けている状況なんだそうで。現在は上下分離方式によって施設と車両を県や沿線市町村が持ち、公募入札によって貸し切り観光バスや格安の夜行バスなどを運行する「WILLER」が事業運営を任されています。

まあお盆過ぎとは言え夏休みだったので、見た感じ乗った感じではそこそこの観光客の利用もありましたし、とても大赤字の路線とは見えない活況を呈していたんですけどね。沿線住民の少ない場所に通された鉄建公団線である宮福線を全線電化で運用していたり、三セク化されてすぐに専用の特急車両「タンゴエクスプローラー」を投入したりと前のめりの投資額が膨らんだ結果なのかなあ・・・。車輛はどれもこれもキレイでカネかかってますもんねえ。こんな立派な特急用車両を持ってる三セク、全国探してもここしかないと思いますもん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆休みなう。

2022年08月16日 09時00分00秒 | 小田急電鉄

 (フェルメールブルー、夏を行く@渋沢~新松田間)

関東は異常に熱かったり、その反動で北陸~北海道の日本海側では断続的に豪雨が続いていたりという8月ですが、人並みながら私にも「お盆休暇」というものが来ました。ちょっと天気が悪くて動きにくいのだけど、そこはそれ。折角頂いた休みなのでどう使おうかは思案中ではあります。まだ何にも細かくは考えてないけど、久々に只見線とか行ってみようかなあとか急に思っている。10月の運転再開に向けてシテンも始まったと聞くし・・・まあ直前になって全く反対の方向に切り替えちゃうかもしらん。全ては天気と気分。せっかくどっかに行くのなら、やっぱり夏らしい景色が撮りたいんだわさ。

川音川の流れに足を浸して、涼を取りながら撮影するのも夏らしさ。VSEが消えた今、こういうバキッとした夏光線に合うのはMSEのフェルメールブルーの強い色味。ペットボトルの麦茶を流れの緩やかなワンドに放り込んで、思いっ切り水飛沫を浴びながらシャッターを切った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも 壊れるだけじゃ やるせなし。

2022年08月11日 17時00分00秒 | アルピコ交通(松電)

(アルピコ交通・田川橋梁@西松本~渚間)

諏訪盆地と安曇平を分ける塩尻峠を源流として、松本市街から奈良井川・梓川に流れ込む田川。どこの街にでもありそうな何の変哲もない小規模河川ですが、昨年の8月、豪雨による増水で橋梁の真ん中の橋脚が洗堀により沈下。橋のガーター部分が折れ、上高地線は長期に亘って運休を余儀なくされました。経営の盤石ではない地方のローカル私鉄において、橋梁の損壊というものは土木設備の大きな損失。同じ長野県では、令和元年の台風19号で千曲川橋梁を失った上田交通が大きく報道されましたが、このアルピコ交通も田川橋梁も被災から復旧まで10ヶ月を要し、その間は松本駅~渚駅間を代行バスが結ぶという不便を強いられることとなりました。

復旧なった田川橋梁。橋の復旧とともに護岸工事も再度行われたと見えて、川の周辺は新しいコンクリートの擁壁で丁寧に整備されています。長さとしたら100mもないだろうこの橋、果たして復旧するのに10ヶ月もかかるのかな・・・突貫工事で直せばもうちょっと時間短くならないか?と思ったりするのだけど、松本市市街地の河川との事で、治水計画を見直した上で護岸工事と並行して進めないといけないだろうし、橋を直す費用だって地方自治体や国の支援を仰いだのだろうしね。このクラスの橋梁を修繕するのにどのくらいの費用が掛かったのか知る由もありませんが、収益性の高くない地方のローカル私鉄が、自力で橋梁設備を復旧する費用はさすがに負い切れないと思いますんでねえ。

復旧なった田川橋梁を渡るアルピコ交通の電車。今年も7月後半から、東北地方を中心とした日本海側に線状降水帯を伴う集中豪雨が続いていて、報道されるだけでも磐越西線の濁川橋梁(喜多方市)、米坂線の小白川橋梁(飯豊町)が落橋、そして奥羽本線の北部や五能線でも橋梁の軌道ズレや洗堀による橋脚の変異があって、北東北の交通網はズタズタになってしまいました。これも復旧には相当な時間を要すものと思われますが・・・磐越西線や米坂線のような古く明治~大正時代から走り続けていた路線の橋梁が「落ちる」という事、要は線路が敷設されて1世紀以上なかったレベルの雨と洪水が設備を破壊したという事になる。気候変動が叫ばれて久しい昨今、「数十年に一度」が毎年毎月起こるような状況に麻痺しがちになるのだけど。

特に地方私鉄・地方ローカル線については、老朽化した橋を架け替えたり線路を付け替えたりというような抜本的な災害対策は収益面からはほぼ行われず、長らく補修・修繕によって維持されて来たのが実情と思います。それこそ橋梁などは例えば下路トラスにして思い切り径間を広げ、ある程度の長さでもワンスパンで渡り切るみたいな、「洪水で流されないよう、そもそもの橋脚を減らす」ような抜本的な改良をしないと、このままではいずれみんなやられてしまうのではないだろうか。

最近叫ばれる国土強靭化ってのは、ただ橋や線路が壊れたり流されたりするのを待つだけじゃない「攻めの防災」の取り組みを、地道に進める事なのではと。ただ、公共投資を将来性も収益性も見込めない地方鉄道に注入するのかという議論が絶対に起こるので、そこを覆して行く「地方鉄道を守らねばならない理由」をみんなで考えないとならんのかなあと思います。うーん、交通インフラなんて赤字でもしょうがないと思うのですが、そうは問屋が卸さないのが昨今の地方の疲弊でもあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新車デビュー これからよろしく ニュー松電。

2022年08月06日 17時00分00秒 | アルピコ交通(松電)

(アルピニストを待つ@新島々駅)

富山からの帰り道、安房峠を抜けた前川渡の道の駅で仮眠。朝4時頃に目が覚めて山を降りたら、新島々の駅で夜が明けた。駅前にずらりと並ぶアルピコグループの路線バス。上高地を始め、乗鞍高原、白骨温泉、そして平湯・高山と北アルプスの山岳地帯へ分け入るアルピニストや観光客の重要な足。安房峠道路が開通し、信飛間の公共交通での行き来はだいぶ楽になりましたが、かつての旧道安房峠のつづら折れの坂道こそなくなったものの、奈川渡ダムの前後に残る幅員の小さい連続トンネルと大型バスが入線するにはかなりシビアな隘路。熟練のドライバーの腕が試される山岳路線でもあります。

大量の大型ハイブリッドバスが居並ぶ新島々駅前。まだ始発電車の時間ではありませんが、新島々のホームで滞泊中の上高地線の電車。ここも京王3000系。浅電の3000系と違ってパノラミックウインドウの後期型ですが、何だか少々煤け気味。アルプスの山に分け入るアルピニストたちを、JRの松本駅からここ新島々まで運ぶのがアルピコ交通・上高地線ですが、アルピコ交通ってーと何となくバスの印象が強くて、旧・松本電気鉄道(松電)の言い回しで説明した方がイメージは湧きますね。松本電気鉄道・川中島バス・諏訪バスの3社がくっついたのがアルピコ交通で、長野県における同社のバス部門の大きな営業網に比べると、元々の松本電気鉄道の鉄道事業の規模は微々たるものです。

そんな上高地線の電車を、新島々の次の駅である渕東(えんどう)駅で撮影してみることに。徐々に明るくなっていく梓川流域。田んぼの中にポツンと佇む雰囲気の良い駅。上高地線、昨年夏の豪雨で松本市街にある田川の鉄橋が落ちてしまい、6月にようやっと全線で運転を再開したばかりなのですよね。久し振りに復旧した「松電」の姿を、朝のいい光線で撮影する愉しみ。

七月の早い時期の朝、朝露にしっとりとガクアジサイが濡れる。安曇野の朝の空気の中、松本行きの始発電車としてやって来たのは今年の春に新車として投入された20100形でした。東武の日比谷線直通車として働いていた東武20000系を改造して、まずは1編成目が上高地線に投入されています。この車両によって、現在使われている元京王井の頭線の3000系は徐々に置き換え、ということになるのだそうで。

この前日に見て来た北陸鉄道の浅野川線と、アルピコ交通上高地線には大きな車両上の共通点があって、どちらも現在京王3000系を使用しており、それを最近になって東京メトロの日比谷線に関連する車両で置き換え始めています。北鉄浅野川線の営団03系に対してこちらは東武20000系ですが、おそらくどちらも京王重機整備に車両導入を依頼しているために、タネ車が似通ってしまうのでしょう。東急7000系やその後進の1000系、日比谷線3000系と03系の実績でも分かるように、オールステンレス(またはアルミ)で大量に作られ、なおかつ長年18mの3ドア車で営業して来た日比谷線の車輛は、基本的に地方私鉄が求める物を全て備えた極めてパフォーマンスの高い車両のようです。(日比谷線も後継車両は20m4ドア車が入ってしまったので、これからはサイズ感が合わなくなってくるのかな)

暁の空に向け、始発電車が松本へ向かって坂道を降りて行きます。東武の20000は大半が館林の津覇車輌で日光線ローカルの20400系に改造されたんですが、松電向けには都合4編成が導入される事が内定しているそうです。おそらく20000系→20400系への短編成化に伴って余剰となった中間電動車改造なので、後付けの運転台の妻面の表情がのっぺりしているのがやや味気ない。表情は何となく仙石線とか鶴見線の205系っぽさがありますが、サイドビューはモロに東武車が残っているのが面白いですね。おそらくは寒地用の霜取り用補助パンタが両サイドにあるので、寒い時期に前パンが上がった際なんかも見てみたいですねえ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雷鳥は ご機嫌斜めに 羽根休め。 

2022年08月03日 22時00分00秒 | 富山地方鉄道

(夜更けの駅舎@岩峅寺駅)

もう何度となく立ち寄って撮影した駅です。今回は地鉄じゃなくて北鉄に浮気してしまいましたから、富山は通過しただけみたいになってしまって、地鉄の事はろくすっぽ撮れませんでしたね。何となく罪滅ぼしみたいな気持ちもあって、この日の夜の締めに岩峅寺の駅を選んでしまいました。何の変わる事がない威風堂々とした立派な駅舎。とっくに駅員さんは引けた時間帯、これから岩峅寺に到着するのは、立山線と上滝線のそれぞれ2本ずつ。電車が着くたびに、僅かながらの乗客が降りて来て、迎えに来た家族と思しき乗用車で足早に去って行きます。

そぼ降る雨に濡れて、構内の水銀灯の灯りも雨粒で滲む。岩峅寺止まりの終電一本前は、東急8590でした。もう稲荷町にほとんどの60形が入庫してしまっているので、どうにもこうにもツモるヤマにいい配牌は残っていないという感じ。北鉄に浮気したから。60形も機嫌を損ねて早めの店仕舞いだったのだろうかなあ。そうだとしたらすまぬすまぬ(自意識過剰)。夏草が伸び放題に伸びた岩峅寺駅の上滝線ホーム。夜の雨と、湿り気たっぷりの粘りつくような空気に包まれて、上滝線の電車の到着を待っていたら、こちらも配車は東急8090系。徹底的に自社発注車は来なかった、地鉄の夜なのでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする