青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

北九州のインターアーバン。

2024年10月14日 16時00分00秒 | 筑豊電鉄

(夏の朝、那珂川を往く@井尻~大橋間)

最近はちょっと資格試験なんかの勉強をしなくてはならなくなって、勢いブログなんかを書いている暇もない。それに加えて仕事も毎日21時までの残業続きで、平日はほとんどパワーが残らない生活が続いております。そうなると、8月の話がダラダラ続いてしまうのだけど、夏の九州遠征3日目は朝の西鉄那珂川橋梁から。福岡市内の便利の良さそうなところに宿を取ろうと思ったのだが、最近のインバウンドの影響なのか天神も博多周辺もまあ高いんだよね。円/ドル150円時代は多少高くても外国人からふんだくっちゃえってのは分かるけど、そもそもの値付けが強気。そのため、ちょっと中心街から離れた西鉄大橋駅からバス便の温泉旅館に宿泊しました。旅館って言っても地下に温泉のある3DKのマンションって感じで、一人では広すぎましたかね。ここにした理由は、西鉄の撮影地の一つでもある那珂川橋梁に近かったってのがあった(笑)。朝6時から那珂川で5000形の急行撮って、宿に帰って温泉入って、さっぱりしてから朝ごはん。充実した朝活です。

 最終日のスタートは西鉄バスから。西鉄バス、福岡都市圏で言えば地下鉄よりも鉄道よりも頼りになる公共交通でして、鉄道がない場所でも西鉄バスに乗れば大体どこへでも連れてってくれるという安心感がある。日本最大のバス事業者は神奈川中央交通ですが、西の覇王というならこの西鉄バスでしょう。とにかく福岡の中心街だと幹線道路だったら息つく暇もなくバスがガンガン走って来るのですが、逆に素人には系統が多過ぎてどれに乗ったらいいのかがさっぱり分からない、という問題はあったりする。あと、福岡の人ってバス停で並ばないね。なんかバスが来るとワサーっと乗車口に集まってめいめいに乗ってく感じがアジアっぽい。海外行ったことないけどw

宿の近くのバス停から西鉄バスに乗り、JRの竹下駅へ。ここにはJR九州の博多運転区があって、留置線に色々な車両が置かれていた。お、「ななつ星」も置かれてるね。九州なんか来るの久し振りだから肉眼で見るのは初めてだ。オレンジ色の特急は佐世保方面に向かうハウステンボス号かな?西九州方面も、長崎新幹線が中途半端な区間だけ開業してしまい、佐賀県内が紛糾したまま取り残されていますが、どうするつもりなんでしょ。佐賀県的には多額の建設費を計上しても、佐賀から福岡くらいだったら現行の特急で往復しても時間のメリットがそう変わらない(運賃は上がる)では、なかなか説得が難しそうなのですが・・・

鹿児島本線の快速電車に乗り、ウトウト、快速電車で飛ばしていっても、小倉までは1時間ちょっとはさすがに遠い。関東に住んでいるとあまりピンと来ないが、博多から小倉の距離は約70km弱と、東京からだと平塚の先くらいまでの距離がある。この日の帰りは小倉から新幹線だったので、まずは背中の重い荷物をコインロッカーに押し込んで身軽になりたかった、というのがあった。猛暑の中で2日間行動して多少疲れてるってのもあるし・・・小倉から普通電車に乗って折り返してきたのは黒崎駅。駅隣の黒崎バスセンターの1Fにある乗り場は、筑豊電気鉄道の黒崎駅前電停。

元々北九州市には、門司から小倉駅前を通って黒崎から折尾に至る西鉄北九州線という路面電車が平成初期まで走っていましたが、折しもの鉄鋼不況で北九州全体の産業が停滞する中、1992年を持って砂津(小倉)~黒崎駅前間が廃止。最後まで残っていた黒崎駅前~折尾駅前間も2000年ごろに廃止となっています。北九州市は、門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・そして若松市の広域5市合併により生まれた巨大工業都市ですが、その隆盛はやはりエネルギーの供給源としての筑豊炭田を背後に控え、明治維新以降の官営八幡製鉄所を中心にした重化学工業地帯の旺盛な生産力だったことは間違いありません。ここからはそんな北九州の街から産炭地である筑豊地方を結ぶ筑豊電気鉄道に乗ってみようと思います。

筑豊電気鉄道は、黒崎駅前から直方市の筑豊直方までの16.0kmを約30分少々で結ぶ都市間連絡鉄道。やって来たのは同社の主力車両である3000形。車両は軌道線に準じた低床型車両が使われていますが、路面電車のように道路上を走ることはありません。西鉄の北九州線と異なり、クルマ社会と干渉せずに生き残れたのも、終点まで路面を走ることのない純然たる「鉄道」だったことも大きいのかもね。元々、筑豊電鉄は西鉄の北九州線の兄弟分のような路線で、その成立の経緯も西鉄が資本を拠出して設立した実質の連結子会社。西鉄の鉄軌道路線が北九州市内から消えた今でも、グループ会社として地元の足を守っています。

それにしても、戦後間もなくの開業当時は、西鉄が直方から八木山をトンネルで越えて福岡までの路線延伸を計画していたというのだから、なんと遠大な計画であろうか。
それだけ筑豊も北九州も勢いがあったということなんでしょうね。

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カルミンカラーの渋いヤツ。

2024年10月08日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(矢部川夕照@西鉄中島~江の浦間)

もうちょっと矢部川の話。西鉄随一の撮影地である矢部川の鉄橋で、5000形の急行が撮影したくてずーっと待ってたんだが、待っていればなかなか来ないもので、矢部川にその姿を現したのは大牟田行きの特急の4本目。サクサクッと捕まえて、さっさと大牟田で居酒屋に入って冷たいビールでも飲もうかと思ってたんだが、特急が30分に1本なので捕まえるのには結局2時間かかったことになる。5000形の特急なんていつでもどこでも見れるもんじゃないの?と思わせておいて、3000形とか6000形が結構混じるんだよね。ここまで来て撮れないで終われんだろう!と思って待ってたんだけど。しかしまあ、何が言いたいかって言うと昭和50年代の車両が現役バリバリで最優等列車にぶち込まれてるのホントいいですよね。

矢部川に茜差す頃。大牟田で折り返してきた西鉄福岡行きの特急5000形は、有明の夕陽をベタベタに浴びて飛んで来た。これで時刻が午後6時半なのだから、流石に西の国の夕暮れは遅い。チャームポイントのアイスグリーンもほんのり茜に染まって、轟音とともに110km/hのトップスピードで西鉄中島の駅を駆け抜けて行った。九州来たらさ、JR九州の「ソニック」とか「かもめ」とか「ゆふいんの森」とかさ、それこそ「ななつ星in九州」とか、そーいう被写体いっぱいあると思うんですけどね。それをガン無視して西鉄電車を追いかけ回しているの、我ながら私鉄贔屓が過ぎると思う。それもこれも、西鉄5000形がカッコいいから、仕方がないことです。

西鉄中島から普通電車で20分。大牟田の駅に到着し、これで西日本鉄道の全線を完乗。改札を抜けて駅前に出た頃にはとうに太陽は有明海の向こうに落ち、残照が空を赤く染めていました。大牟田は、江戸時代より日本有数の大型炭鉱として産炭を続けた三井三池炭鉱によって繁栄した街ですが、炭塵爆発やガス噴出などの多くの事故と労働争議、そして国家のエネルギー政策の転換により衰退。石炭産業に並行して発展した化学産業(石炭による硫酸アンモニウムの生成)を中心とした工業都市として発展しています。鉄道趣味的には、三井化学工業専用線ですかねえ。元々は大牟田・荒尾の両市に跨る炭鉱から掘り出された石炭を運ぶ運炭鉄道でしたが、炭鉱の閉山後は三井化学工業大牟田工場の専用線として、大牟田駅と工場の間を2020年まで、超年代物の電気機関車が毎日行き来していました。【参考:さよなら5両の「炭鉱電車」 三井化学大牟田工場、専用線廃止で「引退」】そうそう、大牟田の隣の荒尾市には荒尾競馬があったんで一回来たことがあるんだけど、その時って何で来たんだっけか。クルマだったのかなあ。もう覚えてないけど、有明海に面した開放感のある馬場と、本場場入場の際のやたら勇ましい「五木の子守唄」のメロディは印象に残っている。荒尾競馬に限らず、北部九州の公営ギャンブルというのは非常に充実していると思うのだが、それも産炭地らしい「オトコたちへの娯楽の提供」の一環だったのかもしれないね。福岡県だけでもJRAの小倉競馬、小倉・久留米の競輪に、福岡・若松・芦屋のボート、そして飯塚オートといわゆる「三競オート」が全部揃っている。まあ荒尾競馬は熊本県だったのだが、大牟田と同じ筑後都市圏で実質福岡みたいなもんでしたので。佐賀競馬だってあるのは佐賀市ではなく福岡に近い鳥栖だし、小倉も関門海峡渡れば下関競艇、山陽オートだもんなあ。

この日の泊まりは福岡市内の温泉旅館。夕食は付けていなかったので、西鉄完乗記念のささやかな宴を駅前の居酒屋兼食堂でおこなうことに。とりあえず冷たいビールを頼んでメニューを見ると、「リュウキュウスギのお刺身」というのがあったのでこれを定食にしてもらうことに。スギという魚は、名前は知っていたけど食べたことはないんだよね。ちなみに私は旅先で名前も知らない魚を食べることに無常の喜びを感じる人なので、なんか九州っぽいものが食べたいなあなんて思ってたこともあってこれはベストなチョイス。スギという魚はあまり関東では目にすることはありませんけど、その成長の速さが注目され、沖縄なんかでは養殖魚となっている魚。一部ではカンパチの代用魚として注目されていて、「クロカンパチ」「リュウキュウカンパチ」なんて名前で回転ずしのネタにされたこともあったらしい。図鑑で調べると、シュッとした形の非常にスマートな魚で、見た目がカッコいい。食べてみると、結構なコリコリ感があって身質は筋肉質ながら、カンパチの代用とされただけはある青魚っぽい脂の旨味があって美味しい。ビールのあてに追加で頼んだシイラのフライもタルタルソースがたっぷりで非常に美味しい。何の気なしで入った店の食べ物が美味しいと、それだけで旅の幸せは約束されたようなものだ。本当ならもう一杯お酒を頼んで、もう一品くらいおつまみを頼んで・・・なんてやりたかったけど、時間もありますのでね。ごちそうさまでした。

ほろ酔い気分で西鉄の大牟田駅のホームに戻れば、帰りの西鉄福岡天神行きの特急電車は5000形。アイスグリーンのクールなボディを横たえて、私の帰りを待っていました。蛍光灯に照らされて夜に輝くその色味もいいものだ。そう言えば、アイスグリーンとボンレッドの組み合わせ、昔よく駄菓子屋に売ってたお菓子で「カルミン」ってありましたけど、あのカラーリングですよね。明治のカルミン。何となくこの色に郷愁を感じるのは、そんな幼き日の駄菓子屋の思い出がフラッシュバックするから・・・んなこたーないか。宿のある西鉄大橋までの一時間、ウトウトしながら筑後の闇を、円筒案内式の台車に揺られるのでありました。

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潮の香、海苔の香、矢部川へ。

2024年10月06日 09時00分00秒 | 西日本鉄道

(船のイメージ・・・?@西鉄中島駅)

柳川の街から普通電車で10分、柳川市の南の端にある西鉄中島駅にやって来ました。駅の大牟田側で矢部川を渡るため、堤防の高さに合わせた高架駅になっています。駅は船を模したのか丸窓がつけられており、この窓の部分が駅員さんの詰所になっていたようですが、既に現在は無人駅になっております。建物で言えばホーム部分は3階にあたりますが、駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんで、バリアフリー的には難がある構造になっています。大善寺以南の西鉄電車の駅は普通列車が30分に1本の閑散としたダイヤですが、西鉄中島の駅は700人/日程度の利用がありますから、周辺の普通列車しか止まらない駅に比べれば多い方ですかね。

矢部川を渡って行く6000形の大牟田行き特急。西鉄中島駅は、西鉄電車の名撮影地である矢部川の鉄橋の最寄り駅。矢部川は、福岡県南部を流れる全長60kmの一級河川で、大分県との境にある三国山に源を発し、「八女茶」で有名な八女市を流れてから新幹線の筑後船小屋駅付近で流路を南に変え、筑後平野の南端を走りながら有明海に注いでいる。福岡県は玄界灘(日本海)、周防灘(瀬戸内海)、有明海(東シナ海)と性格の異なる三方の海に面している珍しい県であり、玄界灘には紫川と遠賀川、周防灘には山国川、そして有明海には筑後川と矢部川が注ぎ込んでいるのだが、川の流域それぞれに経済圏や文化が濃厚に異なっていて、旅をしてみると「同じ県」というくくりには多彩過ぎて無理があるように思う。「福岡・北九州・筑後・筑豊」という四分割法で理解をすべきだよね。都市で言えば「福岡・北九州・久留米(大牟田)・飯塚」という四分割になりましょうか。

甘木線からやって来た、6050の大牟田行きワンマン。西鉄電車の矢部川の鉄橋は、独特の穴の開いた単線型橋脚にプレートガーターの橋台が乗ったシンプルなもの。あまり知らない路線で撮影地を探すとき、それなりに大きい川の鉄橋ってのはまず間違いない鉄板撮影地なんじゃないかと思うのですが、それに倣って西鉄で一番大きな鉄橋である筑後川橋梁(宮の陣~櫛原間)の作例を探したんですよ。んで、探したんですけど、さっぱり作例が出て来ないんですよね。それもそのはず、西鉄電車の筑後川橋梁はサイドに鋼製のガードが付いた足元のすっぽり隠れるスルーガーター橋。これじゃあ誰も撮る人いないよなあ・・・となったのでありました。昭和56年以前の旧筑後川橋梁はワーレントラス+プレートガーターの撮りやすい鉄橋だったみたいですけどね。割と西鉄、橋梁で足元が隠れるスルーガーターを採用しているところが多く、橋梁=撮影地とはなりにくいのは覚えて損のないポイントかも。

西鉄中島駅へ滑り込む6050形の甘木行き。この辺りは有明海の河口から5km程度離れた位置になるのだけど、川岸に積みあがったシルトのような泥はまさに有明海のそれで、夏の日に当てられた泥からは強烈な潮の香りが立ち上ってくる。泥の上には無数の穴が開いていて、そしてそれを巣穴としたカニが這い回っており、有明海の自然豊かな干潟の延長線上のような生態系を示している。矢部川橋梁の周りは、中島の街に住む漁師さんたちの船着き場になっているようで、川の両岸に舫われた漁船の姿がまた風情があっていいものだ。中島の漁師さんは何を獲って来るのだろう・・・と思って調べてみると、魚を相手にする漁ではなく、有明海の干潟でおこなうノリの養殖が生業の中心の様子。福岡県の筑後地域の漁獲データを見ると魚貝の類はいくばくもなく、漁獲高の90%が有明海の養殖ノリとなっていて、なるほど、言われてみれば魚を獲る網や漁具の類を乗せた船がほとんどいないのが分かる。中島の駅の裏も、漁協のノリの倉庫になってましたしね。

石川啄木ではないが、足元のカニと戯れながらやって来る電車を待つ。この区間は、普通・特急が毎時上下でそれぞれ2本ずつ、1時間で8本の列車が行き交うパターンダイヤで、そこそこ飽きずに撮影が楽しめる。ノリ養殖用の小型舟が揺れる船着場に腰を下ろして眺める6000形の大牟田行き特急。張り出し屋根もサイドビューなら気にならず。戸袋窓がない4ドアというのも、この時代の電車としたら新鮮です。中島の漁港はここから2kmほど下流の位置にありますが、川に沿って船溜まりはこの西鉄電車の橋あたりまでずっと続いていて、非常に横に長い。この地域は、有明海に流れ込む川の内陸部に漁港を作っているのが地理的な特徴と言えるのですが、干潟が続く有明海には港を作りづらかったり(極端な泥地では船を通すための浚渫が大変でしょう)、干拓によって海岸線がどんどん沖へ伸びたせいで、元からあった漁港集落が内陸側に残されたのかもしれないし、色々と理由はありそうです。

空にはかなとこ雲、夕陽を浴びて矢部川を行く「水都号」。川べりにずっと立って西日を受けているのも厳しいので、矢部川の左岸側の集落に降りてみる。矢部川橋梁の大牟田側は、こちらも堤防へ駆け上がるための高架線になっていて、その下にはいかにも有明の漁村という感じの古い日本家屋と板塀が続いています。この西鉄電車の高架線、単線のコンクリートモルタルの雰囲気が何となく弘南鉄道の石川高架橋とか尾上高架橋を思い出してしまった。夕暮れが近付いて、路地でサッカーをしていた子供たちが家に帰って行く。汗を拭きながら、大きなクスノキの下に佇むお稲荷さんの小さな舞台に腰掛けて休んでいると、高架線の上をアイスグリーンの電車が通り過ぎて行きました。

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筑後の水都、夏景色。

2024年10月01日 21時00分00秒 | 西日本鉄道

(5000と6000、その差異。@花畑駅)

甘木線を宮の陣駅で乗り換え、急行花畑行きに乗り換えて花畑まで。花畑は、西鉄久留米の一つ先の駅で、急行電車の終点だったりもしますから、車庫でもあるのかと思ったら普通の2面4線の高架駅。花畑止まりの電車は、いったん回送扱いで普通に本線を大牟田方面へ進み、本線上を渡り線を使って折り返していくようです。そこまでダイヤが逼迫していないから出来る芸当なんでしょうけど、関東の大手私鉄の感覚で言うと、小田急の向ヶ丘遊園や京王の八幡山のように、Y線型の引き上げ線とかを付けてあげたくなる配線となっています。花畑止まりの5000形急行に並んだ福岡天神行きの6000形特急。どちらもアイスグリーンにボンレッド、角型のボックスに丸形ライト、左右非対称のパノラミックウインドウは同様ですが、3ドアの5000に対し4ドアの6000というサイドビューはともかく、肉抜き型のスカートからジャンパ線がむき出し、上部設置のワイパーが精悍な5000形に対し、電連導入で厚めのスカート、張り出し屋根、下部設置のワイパーということで6000形は後発の車両の割にどうにも野暮ったく見える。5000形の緩いアーチ形の優美な屋根の形に対し、肩パッドが入ったような張り出し屋根の車体形状がなあ。妙に胴長感が出ていて、パン屋のパン職人がかぶる帽子のようだ。

特急が発車したホームに、大牟田方でエンド交換をして転線した急行電車が据え付けられた。その僅かな時間を使って、今度は天神側の渡り線を使って上り4番に入って来たのが6000形改造車の「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」。最近流行りのレストラン観光列車。金曜日のツアーは、西鉄福岡を午前中に出て太宰府に立ち寄り、食事を楽しみながら花畑の側線でトイレ休憩を兼ねて30分の停車。こっから柳川を経由して大牟田が14時半。途中下車可能なコースでお1人さま11,000円。食事は地元シェフ監修の食前酒から始まるコース料理、この手の観光列車に乗ったことないし、お値段は弾んでしまうけど旅先の財布のヒモというのは緩いもの。ちょっとその気はあったんだけど、残念ながら事前予約のサイトを覗いた時点で満席。参加することは叶わなかったのでありました。

花畑から後続の特急電車に乗って15分、西鉄柳川でこの日三回目の途中下車。柳川市は沖端川と塩塚川に挟まれた低湿地帯に水を引き込み、柳川城下に濠を巡らした「水の都」と呼ばれる観光都市ですが、西鉄柳川の駅は趣ある旧市街や水郷巡りの拠点地区である本町方面からはかなり離れていて、西鉄柳川の駅からの観光にはバスやレンタサイクルなんかを使う方が多いみたいですね。駅前には大きなバスロータリーと車寄せがあって、観光客を待つタクシーがたむろしています。海からは5~6km離れているんですが、何となく空の色に有明海を感じるというか、「海」の雰囲気がそこはかとなく感じられる街です。駅前のお店に「うなぎ」なんて看板が出てるとその気になっちゃうけど、柳川名物「ウナギのせいろ蒸し」はなかなかいいお値段がします。さっき久留米でラーメン食っちゃったしね。タイラギ、ウミタケ、アゲマキ、おきゅうと、ワラスボ、ムツゴロウ。時間があればじっくりと泊まって味わうものはたくさんある街であります。

現在は合併して柳川市となっていますが、もともと西鉄柳川の駅は柳川市ではなく、柳川市のお隣にある山門郡三橋町にありました。中心街から離れているのも無理はないのですが、地形図を見ると西鉄電車は掘割が網の目のように走る柳川の中心街を避けるように手前の矢加部駅付近で東へ向きを変えており、どうも「市街には入りたいけど地盤が緩そう&架橋の数が増えて大変そう」みたいな思惑が見え隠れします。個人的には、それこそ総武本線の佐原とか、鹿島線の潮来とか、そういう水郷風景を絡めて撮影するロケーションを希望していたのですが、地図見つつウロウロしてみたんですけど、そういうのはほとんどありませんでした(笑)。僅かに川下りの乗船場に続く船溜まりに西鉄電車の小橋が掛かっていて、使われない小舟が夏の暑さの中で気怠そうに揺らめいている。ちょっと構図的にはごちゃっとしているんですが、そういう街の有象無象もひっくるめて西鉄電車の柳川の雰囲気。ちょうどよく、柳川観光ラッピングトレイン「水都」がやって来ました。

あまりの暑さと、ほとんど動きのないお堀の水に涼しさの効果はいくばくもなく・・・淀む水面に夏雲が浮かぶ。川下りの船着き場の葦簀の下で、観光客を待っている船頭さんもつまらなそうにしていたが、客の来ないことに嫌気が差したか、あまりの暑さに耐えかねたのか、事務所の建物に姿を消した。船溜まりに舫われた小舟の内側に塗られた色と、小橋を渡るアイスグリーンが走り抜けた時だけが、ちょっとだけ涼しかったような、気がした。

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