tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

知事から「ナント・なら応援団」に感謝状!

2010年12月10日 | 平城遷都1300年祭
12/15(水)午後3時、南都銀行の退職者36人(OB35人、OG1人)によるボランティアグループ「ナント・なら応援団」が、荒井知事(社団法人平城遷都1300年記念事業協会 理事長)から、感謝状が贈呈される。メンバーの皆さん、おめでとうございます!

同応援団は、1300年祭の「~祈りの回廊~奈良大和路 秘宝秘仏特別開帳」事業で、23か所において878人日(=人数×日数)にわたり、案内(ガイド)や受付・誘導などに携わり、拝観者からご好評いただいた。
※報道資料(感謝状贈呈について)
http://www.1300.jp/about/news/press/2010/pres101209.html

同事業の成功は《社寺現地での案内説明をいただいたボランティア団体の献身的なご協力の賜物であると感謝し、今後も社寺との連携事業等においてご活躍されることを祈念して》、感謝状をいただくものである。この日は、学生たちのボランティアグループ「南都古社寺研鑽会」(メンバーは奈良女子大学、奈良大学の学生など86人)にも感謝状が贈られる。贈呈式は、知事室にて行われる。
なお「ナント・なら応援団」は、同日午前10時半から、薬師寺からも感謝状を贈られることになっている(贈呈式は本坊で行われる)。

「~祈りの回廊~奈良大和路 秘宝秘仏特別開帳」事業は、いかにも奈良らしい取り組みとして、大成功を収めた。何しろ桜のない季節、金峯山寺蔵王堂(吉野町吉野山)の秘仏公開に1日4,500人が訪れたのだ。

地域おこしで肝心なのは、「ないもの作り」より「あるもの探し」だといわれる。地域に埋もれている「お宝」を探し出し、スポットライトを当てるのである。地域のお宝は、その土地の歴史文化や風土と密接につながっている、つまり「物語」が潜んでいるのだ。見る者は、お宝の故事来歴を土地の歴史・風土と関連させながら、頭の中でイメージを作るのである。

そのためには、お宝と土地を関連づける「ストーリーテラー」「語り部」が必要だ。それをかって出たのが、「ナント・なら応援団」であり、「南都古社寺研鑽会」であった。

県は、来年以降もこの事業を継続する方針のようである。シニア層から若い女性も巻き込んだ仏像ブーム、古寺巡礼ブーム、歴史ブームは、まだまだ続くことだろう。来年以降、どんな「お宝」を見せていただけるのか、今から楽しみである。
※トップ写真は、ナント・なら応援団による円照寺庭園のガイドツアー(11/18撮影)
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同時進行!平城遷都1300年(30)天平システム(第2回中間まとめ)

2010年12月04日 | 平城遷都1300年祭
12/1(水)、県は平城遷都1300年祭の集客状況など、開催効果等について「第2回中間まとめ」を発表した。朝日新聞奈良版(12/2付)によると、《平城遷都1300年祭、1740万人が来場 県中間発表》《平城遷都1300年祭の来場者数について、主会場の平城宮跡会場(11月7日閉幕)と「巡る奈良」事業(10月末現在)を合わせて延べ約1740万人に達した、と県が1日、中間発表した。来場者アンケートから、消費総額は約967億円にのぼると推計している》。
※第1回中間まとめ(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/e9044315e37b042630def5297e3ec626


宮跡会場の最終日にも、せんとくんは大人気(11/7)

《来場者数のうち、同会場(4月24日~11月7日)は予想の約1.5倍の約363万人に達し、団体は約1万6千を数えた。県内各地で展開された1300余りのイベントからなる「巡る奈良」事業は約1380万人で、予測の1.6倍に達した。そのうち「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳~」や特別講話は約391万人が訪れ、大半の寺社は前年比で約2~10倍増えたという》。
※県の報道発表資料
http://www3.pref.nara.jp/hodo/dd.aspx?itemid=36259#itemid36259


宮跡ガイドツアー(10/30)

9/1から、秘仏・金剛蔵王権現を特別開帳している金峯山寺蔵王堂(吉野町吉野山)では、11/29に拝観者が10万人を突破した(例年の10倍以上)。晴天に恵まれ、絶好の行楽日和となった11/21(日)などは、1日だけで約4,500人が訪ねたというから、すごい。秋津遺跡の現地説明会と同日、11/28に特別講話が行われた一言主神社(御所市森脇)では、受講者が社務所に収まりきれず、境内にまではみ出したという。


11/8、木津川市の海住山寺で行われた特別講話(講師は西山厚さん。次の写真も)

《アンケートは、同会場と15カ所の観光地への来場者に、どこから来たか▽宿泊か日帰りか▽何カ所立ち寄ったか(訪問地点数)▽滞在中の消費額――などを尋ね、約2千人から回答を得た。延べ来場者数を平均訪問地点数(1.7カ所)で割った実人数に、平均消費額を掛けて総消費額を約967億円と算出した。県内宿泊率は約23%と「普段に比べてかなりいい数字」(観光振興課)で、県内22カ所の宿泊施設も軒並み前年を上回った》。
※朝日新聞奈良版(12/2付)
http://mytown.asahi.com/areanews/nara/OSK201012010195.html



平均消費額(推計)は、約1千億円だったのだ。荒井知事は常々、「県外への消費流出額は、県全体で年間約5千億円に上る」と嘆いているが、これだけで約1/5が取り戻せたことになる。

12/2に公表されたホテル日航奈良(奈良市三条本町)のプレスリリースには《平城遷都1300年祭効果 11月の平均稼働率 99.1% 9ヶ月連続で月毎の平均稼働率が歴代最高値!》とある。《11月単月の平均月間稼働率は99.1%。5月に並びホテル日航奈良史上最高値を記録。11月は例年、紅葉や正倉院展など観光シーズンのピークであることから、月間平均稼働率が毎年90%を超える、1年の中で一番稼働の高い月で、今年度は稼働率100%以上の日が30日中24日間を占めました》。ホテルサンルート奈良(奈良市高畑町)の11月の稼働率も99.5%と、ほぼ毎日が満室状態だったそうだ。
※ホテル日航奈良のプレスリリース
http://www.nikkonara.jp/pressrelease/2010/pr_20101202.html


海住山寺の五重塔(初層が特別公開)。11/8

朝日新聞の引用を続ける。《同会場の来場者は県外が約8割を占めた。全体の印象として「大いに満足」が17.8%、「やや満足」が39.2%と答え、「やや不満」「非常に不満」は計12%だった。荒井正吾知事は「よかったと思って帰ってもらうことが最大の目標だったので、評価されてうれしい。さらに分析を進め、来年以降の催しにつなげたい」と話した》。

「1300年祭で潤うのは県北部だけで、中南部は関係ない」という声をよく聞いたが、それはお門違いだった。読売新聞奈良版(12/2付)は《県中南部にも470万人 にぎわい全域》という大見出しをつけた。《観光振興などが課題となっている県中南部地域にも約470万人が訪れるなど、県内全域がにぎわったことが明らかになった》《地域別では、県北部地域が約910万人、中南部地域に約470万人で、県は「魅力のあるイベントが行われた地域には大勢の人が訪れた」としている》。荒井知事は《「県と社寺、地元自治体、観光団体などが一体となったことが成功につながった。今後に生かしたい」と述べた》。


特別開帳に先立ち、説明会が行われた円照寺(11/5。次の写真も)

470万人という人数は、10月末までの数字であり、今後は金峯山寺蔵王堂(特別開帳:12/9まで)、壷阪寺(12/18まで)、室生寺(12/4~12/26)の数字などが上乗せされるから、もっと膨らむことだろう。

県は「メディアへの露出による広告効果」の数字まで発表し、一部新聞はそれを鵜呑みにして掲載した。《「せんとくん」のPR効果(9月末)は広告換算額で約225億400万円に上るとした》(奈良新聞12/2付)。《しめて約225億400万円―。年明けの「奈良まほろばソムリエ検定」試験に出るかどうかは分からないが、この数字は「せんとくん」のPR効果(9月末)を広告に換算した額だという》(同紙12/3付「國原譜」)。

この数字は(私もかつて無理矢理やったことがあるが)、新聞に載った記事の面積に「面積(段)当たりの広告料金」を掛けたり、テレビ番組に登場した秒数に「秒当たりのスポットCM料金」を掛けたりして、それを合計した数字であり、とても乱暴なものだ。こんなあやふやな数字は公言できるものではないし、決して奈良検定にも出ないので、受験者の方はご安心いただきたい。



いよいよ明日(12/5)には平城遷都1300年記念「奈良マラソン2010」が開催される。私の勤務先はこのイベントに特別協賛しているし、30人以上の同僚がランナーとして参加する。私の隣の部署などは、部長はじめ男性5名がフルマラソン、女性1名が10kmの部に出場する。「ウチの若いモンも、なかなかやるなぁ」と感心している。
http://www.nara-marathon.jp/

イベントに出場したり、ボランティアとして協力したり、カンパしたり、家の軒先に「せんとくん」の垂れ幕を掲げたり、と方法は様々だが、何らかの形で「100年に一度の祭典」に協力した県民は数多い。私は、この祭典の最大の成果は、県民自身が「自分も県観光振興のステークホルダー(利害関係者)だ」と気づいたことだと思っている。

聖武天皇は「大仏造立の詔(ぞうりゅうのみことのり)」で、「一枝の草、一つかみの土といった、たとえわずかな力であっても、志があれば進んで参加するように」と呼びかけたというが、これこそが「天平システム」である。そこが県民手作りの1300年祭と、大手広告代理店頼みで翌年から来県客が大きく落ち込んだシルク博(1988年)との大きな違いなのである。

ポスト1300年となる来年以降も、この「天平システム」で、大いに奈良を盛り上げたいものである。
※トップ写真は、10/8に行われた記念祝典
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大ヒット!1300年祭の秘宝・秘仏開帳

2010年11月28日 | 平城遷都1300年祭
11/23付の朝日新聞(大阪本社版・社会面)に、こんな見出しが躍った。《秘仏開帳 大ヒット》《奈良 古寺に人波 ひと月10人→2000人》。前文には《ひと月10人が来るだけだった山里の寺に1カ月で2千人が訪れ、桜の季節ばかりが有名だった吉野山にはこの秋、10万人が押し寄せる勢いだ。平城遷都1300年祭の今年、奈良県内の50を超す社寺が、ふだんは公開しない秘仏などを特別開帳。古寺巡礼ブームのなか、各地で参拝者が急増している。(編集委員・小滝ちひろ、成川彩)》
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201011230016.html


本堂で寺宝展を開く円成寺(奈良市忍辱山町 11/12撮影)

《奈良市東北部、柳生(やぎゅう)の里の入り口にある南明寺(なんみょうじ)は、寄棟(よせむね)造の本堂に薬師如来坐像(ざぞう)などを安置する。お堂も仏像も鎌倉期の重要文化財だが、市中心部と結ぶ路線バスは日に数本。米田弘雅住職は「拝観者が月10人を超すことはめったになかった」という。しかし、10月23日から本堂を公開すると、11月21日までに約2千人が参拝し、拝観料収入がどっと増えた。米田住職は「傷みが目立つ涅槃(ねはん)図=江戸時代=の修理費用などにいかし、多くの人にまた来てもらえるようにしたい」と話していた》。なるほど、拝観料が増えれば修理代に充当できる。やはり拝観者に来ていただかないと、ジリ貧になるのだ。
※奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳(平城遷都1300年記念事業協会の公式HP)
http://www.1300.jp/event/roam/yamatoji/index.html

1300年祭の今年は《大小五十数カ所の社寺で「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳~」が行われ、普段あまり公開されていない建物や宝物が積極的に公開された。その効果はあちこちで表れた》。「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳~」(「巡る奈良」事業)では、南都銀行OBによるボランティアグループ「ナント・なら応援団」(36人)が活躍している。年間を通じ、計15か所で仏像などの説明(ガイド)をしていて、活動日数は約878人日(=人数×日数)に上る。
※ナント・なら応援団の活動報告(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b7ed818034bd72f6d79bee0fc4ee77e3


円照寺(奈良市山町)では、庭園が特別公開(11/18撮影・トップ写真とも)

《県南部の吉野山にある修験道の根本道場・金峯山寺(きんぷせんじ)は9月1日から100日間、秘仏の本尊・金剛蔵王権現像(16世紀、国重文)を特別公開している。田中利典(りてん)執行長は「参拝者は例年の10倍。100日で10万人を超すのではないか。吉野まで足を運んでもらおうにも、寺の努力には限界がある。やはり県をあげてのPRが届いた」とみる》。拝観料は大人1000円だから、1000円×10万人は、などという計算をしている場合ではない。桜の季節以外は閑古鳥が鳴いていた吉野山の飲食店や土産物店も、にわか景気に沸いている。金峯山寺蔵王堂には、土日だと1日2000人ほどが訪れるそうで、OBもガイドどころではなく、懸命に場内整理に当たっている。
※金峯山寺 金剛蔵王権現像(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0c4a12cadfd8d653143ccf8b73ad1920

《秘仏・阿弥陀如来立像がある奈良市の「叙寰宦iれんじょうじ)」は「5月と10月の公開で1日平均100人以上。通常の3倍の拝観者が来た」、室町時代の再建以来初めて三重塔の初層を公開した同県高取町の壷阪(つぼさか)寺も「春は3~4割増、秋は1割増。これまでほとんどなかった関東からの参拝者が目立った」という》。壷阪寺の三重塔は初公開で、それが室町時代以来だというからスゴい。OBによると、東京からの日帰り客がいるそうだ。早朝に東京発→新幹線で京都→観光バスで金峯山寺蔵王堂と壷阪寺→その日の夜に東京帰着、というJR東海などの弾丸ツアーが企画されたのだという。
※裸形阿弥陀仏の寺・叙寰宦i当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/2bdb4ec1171dad2392ef7bbd9da5b834


壷阪寺三重塔前で開かれた事前説明会(9/7)

《金峯山寺を訪れた千葉県松戸市の主婦荻原貴美さん(63)は「今、秘仏を見逃したら、数十年先になるかも知れないと思って来た。本などで下見したが、本物は100倍素晴らしい」。室生(むろう)寺=奈良県宇陀市=や当麻(たいま)寺=同県葛城市=など5、6カ所の秘宝・秘仏を拝観した奈良市の飲食店長山田素子(もとこ)さん(26)は「秘仏に会えるとラッキーな気になる。いつも行っている寺社でも、特別なものが見られてお得だった」と言った》。
※まだ拝観できる主な特別開帳(11/23現在)
http://www2.asahi.com/kansai/entertainment/image/OSK201011220265.jpg

この事業の成功の陰には、平城遷都1300年記念事業協会の辻晋吾さん、露口真広さんをはじめとする職員の皆さんの献身的な努力があった。私もよく深夜や休日にお電話をいただいたが「皆さん、ちゃんと寝ているのだろうか」と心配になるほどの活躍ぶりだ。現地にも何度も足を運ばれ、その都度パンフレットを補充されたり、説明書きを追加されていて、全く頭が下がる。

《課題は来年からの取り組みだ。「今年のような開帳が続くとありがたい」(県幹部)と期待する声もあるが、具体的な動きはまだない》。継続については、すでに春頃から議論されていた。来年以降の体制づくりも、県を巻き込んで秋頃から準備されていて、今後の展開が楽しみである。

禅の教えに「明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)」という言葉がある。曇りのない明珠(宝珠)は、どこかヨソにあるのではなく掌(手のひら)、つまり自分の中にある、という意味である。奈良県には国宝の仏像が70件、国宝建造物が64件・71棟もあり、いずれもダントツで全国1位である。どこかに観光資源はないか、地域おこしのネタはないかと探さずとも、地元にこんな埋もれた「お宝」があったのだ。

折しも、世は歴史ブーム、仏像ブーム、古寺巡礼ブーム。2011年以降も、秘宝・秘仏特別開帳で全国から奈良県に拝観客を引きつけたいものである。
コメント (3)
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同時進行!平城遷都1300年(29)県民の誇り、新たな歴史刻む大事業

2010年11月23日 | 平城遷都1300年祭
平城遷都1300年の宮跡会場は、予想の1.5倍、363万人もの来場者を記録し、11/7(日)に閉幕した。 週刊奈良日日新聞(11/19付)は、一面トップで同祭の成功を報じた。見出しは《県民の誇り 平城遷都1300年祭》《メーン宮跡会場363万人で幕 1300年の歴史は日本一 1年で語り尽くせぬ》。

記事には《平城遷都1300年祭のメーン会場「平城宮跡会場」は、当初の来場者予測を大幅に上回る363万人を記録、大成功を収めて幕を閉じた。全国に「奈良」をPRし、近畿圏ばかりでなく全国各地から訪れる人でにぎわいを見せた。47都道府県中で最も歴史が深い古都・奈良。同祭成功を通じて県民は、その誇りを再認識することができた》。


「県庁伐折羅(ばさら)チーム」のバサラ踊り(11/7)

読売新聞(11/21付奈良版)は、《「1300年祭成功は市民力」 日本遺跡学会 ボランティアら支え 》《遺跡の保存・活用などについて研究、交流する日本遺跡学会の2010年度大会「史跡におけるアニバーサリー・イベントの意義と在り方~平城遷都1300年祭を中心として~」が20日、奈良市の奈良文化財研究所平城宮跡資料館で行われ、学会員や市民ら約80人が参加した》。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20101121-OYT8T00005.htm

《平城遷都1300年記念事業協会の林洋事務局長が記念講演し、同祭について「せんとくんへの批判や寄付協賛の確保など、(当初は開催が)不安視されたが、大きな事故もなく、予想をはるかに上回る363万人強の人が訪れ、成功だったといえる」と振り返った》。


こちらは奈良市役所の「チーム八重櫻」(全4枚。11/7)

《奈良文化財研究所の田辺征夫所長は「1300年祭の裏には、150年の研究と保存の歴史がある」と、明治時代に平城宮跡の保存運動に取り組んだ棚田嘉十郎らの活躍などを紹介。「成功は、ボランティアらの支えがあってこそ」と締めくくった》。

同大会を報じた朝日新聞(11/21付奈良版)は《林氏は、同祭の全国への経済波及効果が2千億円以上とする開幕前の試算と、平城宮跡に想定以上の来場者があったことを説明し、「文化という切り口で多大な経済効果がもたらせることを示すことができた」と総括。「本物の歴史を見ていただけた。その拠点となった平城宮跡の意義は大きい」と分析した》。
http://mytown.asahi.com/areanews/nara/OSK201011200163.html



《田辺氏は平城宮跡保存運動の歴史を振り返った上で、「大極殿の復元が、(平城宮跡に)360万人もの人が来たことへのインパクトとなったことは間違いない」と強調。平城宮跡について「歴史公園として、多様な活用をどう実現していくかのモデルケースとしての役割を担っている」と述べた》。



宮跡会場のイベント(平城宮跡事業)は、従来の博覧会や祭典にはない、特異なスタイルで大成功を収めた。従来のアニバーサリー・イベントは「ニセもの(人工の作り物)、ハコもの(パビリオン)、見せもの(有料の興行)」が中心だった。



宮跡会場は奈良時代のホンモノの皇居(平城宮)の跡地で、今もお宝が眠っていて「地下の正倉院」といわれている。1300年祭に合わせて建てられたハコものは、復原された大極殿のほかは、いずれも小規模な平城京歴史館となりきり体験館くらいのものだった。有料の見せもの(興行)はごくわずかで、ほとんどは仮設舞台(まほろばステージ)で演じられる無料のステージイベントだった。そもそも会場への入場料はおろか、駅や郊外駐車場からのシャトルバスも、会場内を周遊するハートフルトラム・カートも、すべて無料だった。


最終日のフードコートは、ご覧のとおり満杯だった(11/7)

ニセもの・ハコもの・見せものを否定したこのスタイルは、巨額の建設費を投じなくてすむし、来場者に媚びる必要もない。何より、環境にやさしい(循環型社会に適合する)。今後の博覧会やアニバーサリー・イベントの方向性を示唆するものではないだろうか。


私とコンビを組んだ日の、Kさんのツアーガイド(全2枚。10/30)

とりわけ好評だったのはボランティアガイドによる平城宮跡探訪ツアーで、約160人が会場内の見どころを案内した(私も末席を汚した)。ほとんどが「奈良まほろばソムリエ検定」のソムリエまたは奈良通1級の合格者、または宮跡などでのボランティアガイド経験者だった。探訪ツアー(セルフガイドシステムの貸出を含む)の利用者は、約6万8千人に上った。ガイドツアーは、1.5時間コースが1人300円、2.5時間コースが500円と、格安料金で利用できたが、それは、交通費(上限千円)とスタッフ弁当を支給されるだけのボランティアガイドによって運営が支えられていたからである。



ガイドツアーについて毎日新聞(11/9付奈良版)は《充実感でいっぱい ボランティアガイド存続検討》の見出しで、《特に好評だったボランティアガイドについて、平城遷都1300年記念事業協会は存続させる方向で検討している。夏場を除く期間中、毎日8回行われたガイドツアーでは、約160人のボランティアが大極殿や朱雀門、遣唐使船などの見どころを案内した。奈良の歴史に精通したガイドたちが活躍する機会は今後もありそうだ》と報じた。
http://mainichi.jp/area/nara/news/20101109ddlk29040568000c.html


奈文研による解説ボランティア登録説明会。私は登録しなかった(11/13)

奈良新聞(11/21付)は、論説「金曜時評」で振り返った。執筆されたのは、論説委員の小久保忠弘氏である。《シンボルとして復元された第一次大極殿が威容を誇る平城宮跡は、これまで奈良市民にとってただの広場でしかなかった空間が意味のある物になり、新たなエピソードを伝える「うつわ」としての機能が吹き込まれたことの意味は大きい》。
http://www.nara-np.co.jp/20101112100157.html

《そこは、本物の歴史の現場が時空を超えて存在するという全国にも希有(けう)な場所である。特別史跡に指定され、世界遺産に登録されているゆえんも、東アジアの古代都市の中でも宮殿の遺跡と都に計画的に建設された木造建築群によって当時の姿を伝えている例として他にないからだ。その場所をイベントに利用してしまうという今回の仕掛けを設計し、構築し、運営・展開して成功に導いた関係者の労はおおいにたたえられるべきであろう。21世紀にも耐え得る大事業だったといえよう》。


説明会のあとは198日間を振り返る会。挨拶されるのは
田中敏彦さん(平城遷都1300年記念事業協会 事務局副局長)

《それは単に360万人という予想を上回る来場者の数だけではない。古代史の素顔に触れたいと願う、はっきりした目的意識を持った人たちが、何一つ享楽的施設のない会場を黙々と歩いていたという事実が重い。イベント好きの国民が、他に競合する場所がないから奈良にやってきたという消極的理由を挙げる向きもあるが、むしろ現在の政治、経済、社会の各分野で行き詰まり感が広がる中で、古都奈良の持ち続ける落ち着き感と宗教的情操感が評価されたと言えるのではないか》。


ガイドツアーをご担当いただいたスタッフの皆さん
長い間お世話になりました、有難うございました!

《それを維持し、今日まで伝えてきたからこそ「我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈る」という天皇陛下のお言葉に結実したのであろう》《それにしても安直なパビリオンなど造らなくて本当に良かった》《県民に身近にあるものの文化的価値を再認識させたという点でも、1300年祭の意義があった》。

天皇陛下のお言葉とは、10/8(金)、第一次大極殿前庭で催された「平城遷都1300年記念祝典」でおっしゃったものである。後半部分を宮内庁のHPから引用すると《万葉集の中に,平城京のことを小野老(おののおゆ)が「青丹よし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」と詠んでいますが,復元された第一次大極殿を見るとき,かつての平城京のたたずまいに思いを深くするのであります》。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h22e.html#D1008


天平美人たち(撮影に応じてくれるボランティア)。暑い夏の間も、この衣装で待機されていたのはご立派!(9/11)

《平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています。そして,平城京に在位した光仁天皇と結ばれ,次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています。我が国には奈良時代以前から百済を始め,多くの国から渡来人が移住し,我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました。仏教が最初に伝えられたのは百済からでしたし,今日も我が国の人々に読まれている論語も百済の渡来人が持ち来ったものでした》。

《さらに遣唐使の派遣は,我が国の人々が唐の文化にじかに触れる機会を与え,多くの書籍を含む唐の文物が我が国にもたらされました。しかし遣唐使の乗った船の遭難は多く,このような危険を冒して我が国のために力を尽くした人々によって,我が国の様々な分野の発展がもたらされたことに思いを致すとき,深い感慨を覚えます》。


平城遷都1300年記念祝典(10/8)。トップ写真と次の写真も

《平城京は,都が長岡京,続いて平安京に遷都された後,市街地とならなかったことから,発掘が可能であり,長年にわたって調査が行われてきました。近年の発掘調査の大きな成果は大量の木簡の発見であると聞いています。今日,遺跡や出土遺物に対する保存や調査の技術は著しく進歩しています。研究が進み,平城京の歴史がますます解明されていくことを期待しています。ここに,この地域の保存,調査研究に尽力された関係者,また復元のために尽力された関係者に深く敬意を表します。終わりに,遷都1300年をことほぐとともに,我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈って,お祝いの言葉といたします》。

お言葉の締めくくり、《古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈って,お祝いの言葉といたします》というくだりは、現場で聞いていて目頭が熱くなった。北浦定政(さだまさ)、関野貞(ただし)、棚田嘉十郎の各氏はもとより、「開発と保存」というジレンマに悩まされつつ、この地を守ってきた地元民の粘り強い努力を分かっていて下さったのだな、と感じたからである。陛下が地元民にねぎらいの言葉をおっしゃるとは、異例中の異例ではないか。



しかし一方で、今回の成功に難癖(なんくせ)をつける報道があったのは、残念である。朝日新聞(11/8付奈良版)は、大見出しで《感激フィナーレ 名残惜しみ6万人》としながら、小見出しで《「巡回の仕掛け弱い」》とした。《「成功」のうちに幕を閉じた主会場だが、一部の観光関係者からは不満の声も聞こえる》として、ならまちの「奈良町情報館」が《昨年と今年5月の連休期間中(2~5日)で比べると、昨年は4344人、今年は2784人と3割以上落ち込んだ》と書く。この数字も関係者のコメントも、同紙奈良版が5/7に報じた記事内容の焼き直しである。
※同時進行!平城遷都1300年(22)春季フェアを振り返る(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/cb03710eac43d4b32d785f566b9737a9


11/7のファイナルステージ。tsujikenさんからいただいた(全3枚)

記憶をさかのぼっていただきたい。昨年(09年)のゴールデンウィーク(GW)は、阪神なんば線が09年3月20日に開業して、初めて迎えた大型連休だった。ならまちは神戸からの観光客でごった返していて、関係者によると「この時期、ならまちはバブルだった」。08年GWに比べて、09年GWの来訪者は5割程度増えたのだという。

特殊要因によるバブルの時期と比べて、10年GWは「3割以上落ち込んだ」と書くのは詭弁である。電卓を叩くとすぐ分かることだが、以上を数式で表すと
08年GW:09年GW:10年GW=1:1.5:1.05
となる。つまり特殊要因のない平年(08年)と10年とを比べると、ちゃんと5%増えている。

しかも、読売新聞(5/25付奈良版)によると《「奈良町情報館」では、4月24日~5月23日までの来館者数が前年同期比で約1割減の9961人》と、1か月の間では(3割減ではなく)1割減にとどまっている。(1週間ほどの誤差があるが)もういちど数式で表すと、
08年5月:09年5月:10年5月=1:1.5:1.35
となる。つまり、平年(08年)と比べると、10年は35%も増えている。これは立派なものだ。半年前の記事を引き写す前に、ライバル紙をちゃんとチェックし、情報をアップデートしてから載せるべきではないか。毎日の来館者数をカウントしている奈良町情報館に照会すれば、そんな半年前の数字ではなく、直近の数字も判明するだろう。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c007a87e571cc53e5fd7268d14fd2018



しかも朝日新聞(11/8付奈良版)では《奈良市柳生町の「旧柳生藩家老屋敷」では来場者が1割ほど減った。柳生観光協会の岡田洋事務局長(62)は「いい影響を期待したのに、増えるどころか減ってしまった」と肩を落とす》としているが、昨年(09年)の5~10月の来場者はわずか8,602人、1日に直すと46.75人である。だから1割減といっても、たかだか1日5人弱である。こんな規模の小さい施設(1日46.75人)と宮跡会場(1日1万8千人)とを比べるのにはムリがあるし、実数(5人弱)でなく比率(1割減)で示すところに、作為を感じる。
http://narashikanko.jp/j/data/irekomi/h21/irekomi_21.pdf

そもそも柳生を訪ねる人は、たいていマイカーで訪ねる。バスで訪ねる人は、ほとんどがハイキング客で、1日かけて柳生を回る人たちだ。JR・近鉄奈良駅~柳生間のバスの便は、1日5本しかないし、片道50分もかかる。宮跡会場に来るほとんどの個人観光客は、(マイカーではなく)鉄道とシャトルバスで来場する。宮跡会場で半日過ごしたあとシャトルバスで駅まで戻り、そこでバスを乗り継いで柳生に行き、柳生の観光地を回るというのは物理的にムリだ。私だって相談されれば止めるだろう。奈良時代の宮跡と江戸時代の剣豪の里とは、歴史的に直結するわけではないし、柳生観光協会が直通バスを出してくれるわけでもない。

同紙の論調に従えば、「大きな祭典があれば、自動的に周辺観光地が潤うようにすべきだ」と主張しているように読み取れる。しかしこれは(同紙がこれまで叩いてきた)「大仏商法」の発想そのものではないか。



同紙では、奈良県立大学教授の《1300年祭を「ぎりぎり合格の60点」と評価する。県南部への波及効果は「イベントだけでは難しい。住民が一体となった時間をかけた取り組みが必要」と指摘する》というコメントを載せている。まだお祭りが終わっていない時点で1300年祭全体を点数で評価させるのは、早計に過ぎる。第一、「奈良まほろばソムリエ検定」では、60点だと不合格だ(70点で合格)。教授のコメントには40点もの減点の根拠も示されず、「時間をかけた取り組みが必要」とのコメントも、誰に対して具体的にどうせよと「指摘」しているのか、曖昧模糊としている。

ともあれ、宮跡会場が大成功裡にフィナーレを迎えたのは、めでたいことである。1988年のなら・シルクロード博では、巨額の赤字と、パビリオンを取り壊したあとの瓦礫の山が残ったが、今回はどちらも回避できそうである。あと1か月と1週間、関係者の方には気の抜けない緊張の日々が続くが、ぜひこれを乗り切っていただき、今世紀の「アニバーサリー・イベントの新しいスタイル」を、古都奈良から全国に発信していただきたい。
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秘宝・秘仏特別開帳(4)金峯山寺 金剛蔵王権現像

2010年11月17日 | 平城遷都1300年祭
本年9/1から12/9まで、金峯山寺(きんぷせんじ 吉野郡吉野山)の「蔵王堂」(本堂)で、「金剛蔵王権現像」(秘仏・重要文化財)が特別公開されている。平城遷都1300年祭の「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業として、「金峯山寺の特別な百日」と銘打って公開されているものだ。蔵王権現像は、国内最大級の秘仏である。

会社のOBが11/20(土)から12/5(日)までの土日祝(ただし11/21を除く)、ここで仏像の説明などの拝観支援を行うので、その事前準備のため、11/10(水)、お寺を訪ねた。蔵王堂主任の川畑妙仁さんが、丁寧に堂内を案内して下さった。

お寺の公式HPによると《大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています》。

《明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています》。

金峯山寺の本堂が蔵王堂である。Wikipedia「金峯山寺」によると《山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」である。豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA

《高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築である。内部の柱には、原木の曲がりを残した自然木に近い柱が使われていることが特色で、ツツジ、チャンチン、梨などと称される柱が用いられている。内陣には巨大な厨子があり、本尊として3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置する》。

この蔵王権現像(トップ画像)が圧巻である。Wikipedia「金峯山寺」によると《本堂内陣の巨大な厨子に安置される秘仏。本堂が再興された天正19年(1592年)頃の制作と思われる。3躯のうち中尊は像高728センチ、両脇の像も6メートル近い巨像である。寺伝では中央の像が釈迦如来、向かって右の像が千手観音、左の像が弥勒菩薩を本地とし、それぞれ過去・現世・来世を象徴するという(「本地」は本来の姿である仏、「権現」は仏が姿を変えて現れたものの意)》。

《通常は秘仏で拝観できず、開帳日も定められていない。近年では、吉野・大峯の世界遺産登録を記念して、2004年7月から翌年6月まで開帳されたほか、2007年10月4日~8日にも開帳された。また現在、平城遷都1300年祭を記念して2010年9月1日から12月9日まで開帳されている》。

拝観料(大人1,000円、中高生800円、小学生600円)を納めると、木製の「護摩木 De ストラップ」がもらえる。お願いごとを書いて納める護摩木の上部をパチンと外すと、ストラップ(紐付き)になって、持ち帰ることができるというスグレモノである。本堂に上がるには、靴を脱いで袋に入れなければならないが、その靴袋が金峯山寺のロゴ入りのエコバッグになっていて、持ち帰ることができる。黒地に赤いロゴが、カッコいい。私は洗って何度も使っている。

とにかく金剛蔵王権現像は、今回の特別開帳を外すと、いつ拝めるのか分からない。ぜひ、12/9の期間中に拝観していただきたいと思う。なお、今年は桜の紅葉は不発に終わった。10月まで続いた暑さのため、木が弱って葉を落としてしまったのだ(桜が見事に紅葉するのは、何年かに1度しかない。それほど桜が傷んでいるのだ)。モミジは11/10に紅葉が始まっていたから、そろそろ見頃かも知れない。お早めにお訪ねを。お土産の柿の葉寿司は、「ひょうたろう」「やっこ」「たつみ」がお薦めですよ~。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aaf8caa8a753791eea26ec746759aa8e
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