tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

万葉集の東歌に登場する「搔き菜(かきな)」をいただきました!

2022年04月05日 | 記紀・万葉
日曜日(2022.4.3)、会社の先輩だったFさんからお誘いを受け、同じく先輩だったAさんのお宅(宇陀市大宇陀)へお邪魔した。目的は満開となったAさん宅のしだれ桜を見せていただくことだったが帰り際、お土産にネギ、どんこ椎茸と搔き菜(かきな)をたくさんいただいた。搔き菜はさっとゆでてお浸しにしたり、ゆでた後にベーコンや玉子などと炒めると美味しいと奥さんに教えていただいた。



デジタル大辞泉には〈かきな【掻き菜】アブラナ科の越年草。春に伸びる若い茎を掻(か)き取り、食用とする。あくが少なく歯ごたえがよい。北関東を中心に栽培される〉とある。結局その夜はお浸し、翌日はさっとゆでて味噌汁の実にした。ほのかな苦みが、春の訪れを感じさせる。この搔き菜、少し聞き覚えがあったので検索してみた。すると「茎立ち」という名前で万葉集に出ていた。





上野佐野(かみつけのさの)の茎立(くくたち)折りはやし 我(あれ)は待たむゑ今年来ずとも(巻⑭3406)
〈上野の佐野(群馬県高崎市)の茎立ちを折り取ってトントンと切り刻んで、私はあなたを待っていましょうよ。今年はおいでにならなくても〉岩波文庫『万葉集(四)』


思わぬところで、万葉集に登場する伝統野菜を味わうことができた。Aさん、奥さん、ありがとうございました!
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現代に生きる『古事記』(「けいはんな市民雑学大学」第123回)

2019年04月28日 | 記紀・万葉
10連休初日の昨日(4/27)「第123回けいはんな市民雑学大学」(イオンモール高の原4階「こすもすホール」)で、「現代に生きる『古事記』」という講話をさせていただいた(14:00~15:45)。雑学大学で講師としてお招きいただいたのは、2009年7月の「奈良にうまいものあり!」(第15回)以来、実に10年ぶりである。

先着60人限定だったが13時過ぎからどんどん行列ができ、定員の60人を軽くオーバーし、約20人の方には入場していただけなかった(消防法の関係)。これはとても申し訳ないので急遽、当ブログで昨日の話の内容を紹介させていただくことにした。熟読いただければ、ほぼ全貌を分かっていただけると思う。100分以上の話だったのでやや長いが、ぜひ最後までお読みいただきたい。


この写真は、奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)での「古事記講座」の様子(4/8)

現代に生きる『古事記』
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事 鉄田憲男

『古事記』は歴史的文学書であり、日本で現存最古の書物。現代では、古過ぎて関係ないと思うかも知れないが、決してそうではない。『古事記』を読めば、日本人の心情がよく分る。

『古事記』と『日本書紀』の違い
『古事記』の3巻に対して『日本書紀』は全30巻と系図が1巻ある。『古事記』は物語風の歴史書であり、『日本書紀』は中国風の正史。収録時期は、『古事記』は推古天皇までだが、『日本書紀』は持統天皇までの記録が残っている。

一番の違いは表記。どちらも漢字だが、『古事記』は変体漢文(いわば万葉仮名)なので日本人しか読めない。しかし『日本書紀』は正式な漢文体なので、中国人も読める。つまり『日本書紀』は海外向けに日本のことを伝えるための本で、『古事記』は日本の中で日本の物語を残す目的で作られた本である、という大きな違いがある。

『古事記』とは
稗田阿礼が誦習(しょうしゅう)、つまり節をつけて詠み上げたものを太安万侶が文章にしたのが『古事記』。原文は万葉仮名と同じ「変体漢文」。例えば「漂へる国」は「多陀用幣流之國」と表記してある。そして上巻(神代=神さまの世界)、中・下巻(人代=天皇ごとの出来事を記したもの)の3巻ある。いわゆる古事記神話の大部分は上巻に載っており、舞台は高天原(天上の国)や出雲。中巻には初代・神武天皇から応神天皇までの時代の内容で、大和が多く登場する。われわれ県民にとってはこの中巻が興味深い。下巻は仁徳天皇から推古天皇までで、比較的淡々と記述されている。

古事記ワールドのカテゴリ
『古事記』を語る場合、忘れてはいけないのが本居宣長の功績。彼は『古事記』の研究に一生を捧げた。難解な変体漢文などを解読した。今、われわれが普通に『古事記』が読めるのは、この人のおかげだ。西郷信綱著『古事記の世界』(岩波新書)には古事記ワールドの「カテゴリ」が端的に示されている。

『古事記』の世界は大きく分けて3つあり、1つめは「甲類」で、天(=聖地)。代表的な神はアマテラス(天照大神)など高天原の神である天津神(あまつかみ)で、土地でいうと日向や大和、伊勢。2つめが「乙類」で、この地上(葦原中国)、地の神である国津神(くにつかみ)。代表的な神はオホクニヌシ(大国主命)。土地でいうと出雲、熊野。3つめが「乙'類」であの世である「黄泉の国」「根の国」。これらの3つのカテゴリを頭に入れて読めば『古事記』がよく分かる。天津神(天神)が地上に降臨し、地の神(国津神=地祇)を征服する話だ。よく「天神地祇」というが、これは天津神と国津神の総称。

『古事記』の著名なストーリー
古事記には著名なストーリーが12本ある。①天地初発とイザナキ・イザナミの国生み②イザナキの黄泉の国訪問③アマテラスの天の岩屋戸ごもり④ヤマタノオロチ退治(スサノオ)⑤オホクニヌシの国づくり⑥国譲り(オホクニヌシ)⑦天孫降臨(ニニギ)⑧神武東征(イハレビコ)⑨三輪山の神(オホタタネコ)⑩ヤマトタケルの西征と東伐⑪狭穂彦王(サホヒコノミコ)の叛乱⑫衣通姫(ソトオリヒメ)伝説。

イザナキの黄泉の国訪問
代表的なのが『イザナキの黄泉の国訪問』。イザナミは最後に火の神様(カグツチ)を生む。燃えて出てきたのでイザナミは火傷をして死んでしまう。死んだイザナミを取り戻そうと夫のイザナキが黄泉の国に行く。しかし黄泉の国に行ったイザナミはすでに体から蛆(うじ)が湧くような無残な姿に変わり果てていた。びっくりしたイザナキは地上の世界に逃げ帰り、黄泉の国と地上(葦原中国)を繋ぐ場所を大きな岩で蓋をした。この場所が現在も松江市東出雲町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」として今も残っている。

神武東征(東遷)
そして『神武東征』。神々の系譜は、イザナキとイザナミの子がアマテラス(天照大神)。その孫がニニギノミコト。アマテラスの孫だから「天孫」と覚えてほしい。アマテラスから5代目の直系の子孫がイハレビコ(のちの神武天皇)。イハレビコノミコトは兄のイツセノミコトと一緒に高千穂の宮で相談した。「この地は日本の国土からすれば西の外れだ。国の中心にある大和という素晴らしい場所に行き、この国を治めよう」とした話が『神武東征』。

ヤタガラスの案内により吉野川の河尻(今の五條市)を経て宇陀の穿(うかち)という地に着く。ここには兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいた。兄弟の意見が異なり、兄は神武を殺そうと考え、弟は神武に服従する考えだった。兄は大きな宮殿を建てそこに罠を仕掛けたが、弟の密告でそれが露見し、兄は自らその罠にかかり命を落とした。以来、この地を「血原(ちはら)」と呼び、現在もその地名が残る。宇陀では地元を守ろうと戦った兄がヒーローで、弟が悪者になっている。古事記とは真逆なのが興味深い。



ヤマトタケルの西征と東伐
そして『ヤマトタケルの西征と東伐』。景行天皇の皇子・ヤマトタケルは乱暴者だった。あまりにも乱暴なので天皇は息子に殺されるのでは、と恐れ西征を命じる。そして九州のクマソタケル、出雲のイズモタケルを征伐。平定後、大和に戻るが天皇はすぐに東伐を命じた。

関東平定後に大和に帰る途中、刀を置いたまま伊吹山の神の平定に向かうが負けてしまう。そして能煩野(のぼの・亀山市)で力尽きて亡くなった。亡くなる直前に詠んだ歌が『古事記』に出てくる「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし』。めでたい歌(賛歌)ではなく、辞世の歌。ヤマトタケルは悲劇のヒーローであり、『古事記』で最も人気がある。



現代に生きる『古事記』
古事記を読めば、いろんなことが分かる、特に語源。「案山子(かかし)」は実は神さま。クエビコという知恵の神でその正体が案山子だ。案山子は同じ場所にずっと居るので、その場所の歴史や地理など全てを知り尽くした知恵の神。もちろん農業の神であり田畑の神でもある。また「禊(みそぎ)」、「橘(たちばな)」、「へそくり」などの語源も古事記に出てくる。

奈良市に「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」がある。『古事記』に、ウワナリ、コナミという名前が登場する。昔は一夫多妻制で若い奥さんを「ウワナリ」、古女房を「コナミ」と呼んだ。いくさで勝った時の戯(ざ)れ歌である久米歌(くめうた)に「コナミには肉の少ないところ、ウワナリには多いところを削いでやれ」とある。「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」の被葬者は不明だが、新妻と古妻にたとえたのが名前の由来だと分かる。


日本で最も古い和歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣(やえがき)妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」。スサノオはヤマタノオロチを退治して助けた女性を結婚相手として迎えた。これはそのときの歌。

現代人は「『古事記』は古過ぎて、今の自分とは関係ない」とつい思ってしまうが、決してそうではない。『古事記』を読めば日本人の心が分る。もちろん神さまのこともよく分かる。学校でも教えるべきだ。ぜひこの機会にお読みいただき、県内にある『古事記』ゆかりの地も訪ねていただきたい。


ざっとこのような話をさせていただいた。『古事記』をもっと勉強したい方には、学研パブリッシングの『古事記 完全講義』(竹田恒泰著)をお薦めする。ご参加いただいた皆さん、お世話いただいた雑学大学事務局の皆さん、ありがとうございました!

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記紀万葉講演会(第1回) 盛大に開催!(奈良まほろばソムリエの会)

2015年02月14日 | 記紀・万葉
2月8日(日)、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が企画した「なら記紀万葉を味わい楽しむ」シリーズ講演会の第1回を開催し、「記紀万葉の愉しみ―はじまりの土地・飛鳥から―」の演題で、井上さやかさん(奈良県立万葉文化館主任研究員=トップ写真)にご講演いただきました。275人(当会会員109人・一般参加166人)もの方にご参加いただき、幸先の良いスタートを切りました。


めんどや(明日香村岡)で卓話。隣は大山理事

単なる講演会ではなく、当会の各グループ・各サークルがそれぞれ工夫を凝らし、講演会と連動した企画(ウォーキング、見学会、食べ歩き会 など)を併催し、たくさんの方にお楽しみいただきました。


地元の野菜たっぷりの飛鳥鍋、底には地鶏が。うーん、これは旨い!


前川さんの名ガイド。朝からの雨も、すっかり上がっていた

私は同会「啓発グループ」が開催した「飛鳥鍋ランチの食事会」に参加し、めんどや(明日香村岡)で美味しい飛鳥鍋とひょうたん弁当をいただきました。「奈良県の食」に関する卓話もさせていただきました。食後は当会の前川光正さんのガイドで、飛鳥板蓋宮跡、酒舟石、亀型石造物などをご案内いただきました。


県立万葉文化館・稲村館長の冒頭挨拶

万葉文化館に到着すると、ホール(企画展示室)はほぼ満席の状態でした。井上さんのご講演から、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』読み比べ」のひとコマを紹介します。万葉集・古事記・日本書紀で、それぞれ雄略天皇の描かれ方が違うのです。『万葉集』では、巻頭の歌で


明日香村の森川村長も挨拶に駆けつけた

籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

良い籠と掘串を持って岡で菜摘をしている娘に、名前と家柄を教えてと呼びかけるこの歌は求婚の歌です。天皇のナイーブな優しさが伝わってきます。しかし、『古事記』では、少し違います。引田部の赤猪子の話です。県民だより(2012年3月号)から現代語訳を拾うと、

長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)で天下を治めていた雄略天皇は、あるとき美和河(みわがわ)(初瀬川の下流)で見目麗(みめうるわ)しい少女に出会います。天皇は一目で気に入り「おまえは誰の子か」と尋ねると、少女は「私は引田部の赤猪子と申します」と答えました。「おまえは誰にも嫁がずにいなさい。そのうち私が宮中に召そう」と、彼女との結婚を約束して、天皇は宮に帰りました。

その後、赤猪子は天皇の言葉を信じてお召しを待ちますが、何の音沙汰もないまま、なんと八十年もの年月が過ぎてしまいます。そこで彼女は、せめて待ち続けた誠意だけでも天皇に打ち明けたいと思い、意を決して宮中へ参内します。天皇は彼女のことをすっかり忘れていましたが、事情を聞いて約束を思い出し、赤猪子を不憫(ふびん)に思って歌と品物を贈ったということです。


井上さやかさん。この写真のみ、県立万葉文化館のFacebookから拝借

一方、日本書紀にはこんな話が出て来ます。Wikipedia「春日大娘皇女」から現代語訳を紹介しますと、

雄略天皇は采女の童女君がたった一夜で身ごもったために、生まれた春日大娘皇女が自分の娘であるかどうかを疑い、養育されなかった。あるとき物部目大連が庭を歩くある少女の姿を見て、天皇の姿によく似ていると述べた。天皇はそれで、彼女の母が一夜で身ごもったのは異常であるため、自分の娘であるか疑っていると答えた。

物部目大連は天皇に一夜のうちに何度童女君を召したかを尋ねた。天皇は7度召したと答えた。物部目大連は天皇を諌めて、身ごもりやすい人は褌が体に触れただけで身ごもりますと述べた。そこで天皇は少女を認知し皇女とし、母の童女君を妃とした。一方『古事記』にはこの出自の記述が見られず、雄略天皇の段にも母・娘ともに名を欠いており、仁賢天皇の段にやっと皇后として名が挙げられるにとどまる。


さらに日本書紀にはこんなエピソードも。HP「萬葉人物列伝」から現代語訳を拾うと

馬飼は、雄略天皇2(458)年10月3日に行われた吉野行幸に供奉する。そして、同月6日、御馬瀬で行われた狩猟の際に事件が起こる。大量の獲物を前にして、雄略天皇が「膳夫をして鮮(なます=刺身)を割(つく)らしむ。自ら割らむに何與(いか)に」、自らに付き従う者たちに上機嫌で質問したのである。「料理人が作るのがいいか?自分で作るのがいいか?」を尋ねたのである。これに、誰も即答することが出来なかったところ、天皇は烈火の如く怒り出し、手にした太刀を抜くと、傍にいた馬飼の頚(くび)を跳ねたのである。


奈良まほろばソムリエの会・鈴木副理事長の閉会挨拶

また井上さんには、文学研究者と歴史学者の見方の違いなどもお話しいただきました。「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会は今後3年間かけ、10回のシリーズ物として展開します。第2回は5月30日(土)午後1時30分から、奈良ロイヤルホテルで稲畑ルミ子さん(奈良県立美術館 学芸係長)による講演「絵画に表された記紀の物語」が行われる予定です。以降は、葛城市、桜井市などでも開催します。

皆さん、今後とも「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会をよろしくお願いいたします!
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古事記のまつり、新公会堂で1月24日(土)開催!(2015Topic)

2015年01月08日 | 記紀・万葉
1月24日(土)の若草山焼きの日、奈良県新公会堂で「古事記のまつり」(古事記朗唱大会&こども古事記かるた大会)が開催される。観覧自由・入場無料である。県観光局の報道資料(PDF)によると、
※当記事の画像および動画は、すべて「なら記紀・万葉」のFacebookから拝借した

『古事記』を楽しく体感しよう!
「古事記のまつり」を開催

平成27年1月24日(土)/奈良県新公会堂

奈良県では、「古事記朗唱大会」と「こども古事記かるた大会」の2つの大会から、『古事記』を楽しく体感していただくイベント、「古事記のまつり」を開催いたします。

「古事記朗唱大会」は、『古事記』の一節を選んで朗読調、詩吟調、百人一首調、歌曲調、演歌調など、自由なスタイルで詠 なスタイルで詠んでいただくという大会です。ゲストの春風亭小朝さんや一般公募の方々による朗唱のほか、フィナーレでは フィナーレでは フィナーレでは会場のお客様を含めた全員で朗唱を行います。

「こども古事記かるた大会」は、『古事記』の名場面をリズム感ある文言と親しみやすいイラストで しみやすいイラストで紹介した「なら記紀・万葉 古事記かるた」を使って行う、小学生を対象としたかるた大会です。観覧は自由、入場無料です。多くの方のご来場をお待ち申し上げます。

《「古事記のまつり」の概要》
古事記朗唱大会

日   時 平成27年1月24日(土) 11:00~16:00(予定) ※開場10:30
開催場所 奈良県新公会堂 能楽ホール (奈良市春日野町101)
主  催 奈良県

こども古事記かるた大会
日  時 平成27年1月24日(土) 13:00~15:50(予定) ※開場12:30
開催場所 奈良県新公会堂 レセプションホール (奈良市春日野町101)
主  催 奈良県



イベント専用のHPは、こちらである。
「なら記紀・万葉」のFacebookに、やや詳しい情報と動画が載っている。紹介すると、

【古事記のまつり「古事記朗唱大会」とは?】
平成27年1月24日(土)奈良県では「古事記のまつり」イベントの1つとして、「古事記朗唱大会」を開催します。『古事記』には興味があるけれど、『古事記』を朗唱する大会っていったいどのようなもの??と疑問に思ってらっしゃる方のために、昨年度の「第1回古事記朗唱大会」の動画をアップしました。フィナーレでは、会場のお客様を含めた全員で朗唱を行います。『古事記』を耳で聞いて、声に出して楽しむ、奈良ならではのイベントにぜひお越しください!観覧は自由、入場無料です。

第1回 古事記朗唱大会(2014年2月22日)

【古事記のまつり「こども古事記かるた大会」を見に行こう!@奈良県新公会堂】
平成27年1月24日(土)奈良県では「古事記のまつり」イベントの1つとして、「こども古事記かるた大会」を開催します。この大会は、「なら記紀・万葉 古事記かるた」を使って行う小学生を対象としたかるた大会です。トーナメント形式で行われる対戦を、春風亭小朝さんと一緒に応援しましょう!

また、同会場では、当日受付で、幼児の部(オープン参加)も開催。勝ち負けに関係なく、楽しくかるたで遊んでいただけますので、ぜひお気軽にご参加ください。観覧は自由、入場無料です。

これは楽しそうなイベントである。新公会堂周辺からは、若草山の山焼きもよく見える(ただし雨天の場合、山焼きは1/31に延期)。観覧自由・入場無料のイベントである。皆さん、1/24(土)は、ぜひ新公会堂に足をお運びください!

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なら記紀・万葉のサイト(ならの魅力創造課)がリニューアル!

2014年01月29日 | 記紀・万葉
知らないうちに、ならの魅力創造課(県観光局)の「なら記紀・万葉」のホームページが一新されていた。昨日(1/28付)の奈良新聞「記紀・万葉 初心者も楽しく 県がHP一新」によると、
※トップ画像は、同HPのトップページより拝借

県は27日までに、古事記や日本書紀、万葉集などを幅広く楽しむための「なら記紀・万葉ホームページ」をリニューアルした。より見やすくデザインを一新したほか、「学べるコンテンツ」を充実。記紀・万葉のふるさと・奈良の魅力を全国に発信する。ホームページは県が取り組む「なら記紀・万葉プロジェクト」の一環で、古事記完成1300年の平成24年に開設。本格的なリニューアルは今回が初めて。

「学べるコンテンツ」として、なじみが薄い初心者へ向けた「親しむ」を用意。記紀・万葉の世界を物語仕立てや身近なキーワードなどで紹介する。中・上級者向けの「深める」では、学識経験者や著名人へのインタビュー、オンライン講座などで記紀・万葉の世界への造詣を深める。実際に体感したい人向けの「旅・イベント情報」も充実した。

このほか、公式の交流サイト「フェイスブック」も開き、イベントの告知やおすすめ情報も発信する。県ならの魅力創造課の担当者は「タブレットやスマートフォンでも見やすく、トップページからいろんなページに行きやすいように工夫した」と話している。ホームページのアドレスは、http://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/




HPだけでなく、県は1/17(金)『なら記紀・万葉名所図会―古事記神様・人物入門編―』も発行した。上記サイトによると、

この度、観光ガイドブック「なら記紀・万葉名所図会-古事記神様・人物入門編-」を発行しました。本ガイドブックは過去2年にわたり発行した「なら記紀・万葉名所図会」の新編にあたるものです。本ガイドブックは『古事記』に登場する神々や人物のエピソードを中心に掲載した、わかりやすく楽しい『古事記』入門書であり、若い世代の方々を対象に『古事記』の魅力を発見していただけるよう作成しています。配布方法など詳しくは報道資料(PDF)をご覧ください。

これは楽しそうだ。ぜひ、入手しなければ…。『古事記』のブームは、「古事記編纂1300年」の2012年で終わったと思っていたが、その後も続々と関連書籍が発刊され、私のところにも古事記関連の講演依頼が、跡を絶たない。2012年を境に、今まで忘れ去られようとしていた『古事記』が再評価されるのであれば、これほど嬉しいことはない。


「なら記紀万葉ファンタジア」の収録風景(Facebookより)

1月10日からオンエアが始まった「ならどっとFM」の「なら記紀万葉ファンタジア」(第2弾)も、残すところあと1回(31日 20:30~21:00)となったが、回を重ねるごとに人気が高まっている。

「なら記紀・万葉プロジェクト」は2020年まで続く。この機会に奥深い記紀・万葉の世界に、ぜひ足を踏み入れていただきたい。
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