tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

この時期、梅雨型熱中症にご注意を!

2024年06月25日 | 日々是雑感
先週(2024.6.22付)の毎日新聞夕刊に、〈「梅雨型熱中症」リスクじわり 高湿度「かくれ脱水」気付きにくく〉という記事が出ていた。梅雨時の高湿度で、熱中症で搬送される患者がとても多いのだそうだ。
※写真は、矢田寺のアジサイ(2010.6.16撮影)

主な要因は①隠れ脱水②汗が蒸発しにくい③体が暑さに慣れていない。予防のポイントは運動と水分摂取、食事だそうだ。以下に記事を貼っておくので、皆さんもご注意いただきたい。



室温が26度でも熱中症に要警戒――。気温がさほど高くなくても、湿度が高いために熱中症になる「梅雨型熱中症」に、専門家が注意を呼び掛けている。梅雨時は水分不足に気が付きにくい「かくれ脱水」など、特有のリスクが潜んでいるという。今からできる対策を聞いた。

全国有数の暑さで知られる埼玉県熊谷市の埼玉慈恵病院には毎年、大型連休ごろから熱中症の患者が搬送され、6月に増える傾向にある。25年間、熱中症の救急医療に携わる藤永剛副院長によると、湿度の高い日や閉めきった体育館など、高湿度の環境から搬送されるケースが後を絶たないという。



湿度が大きく影響する「梅雨型熱中症」が近年、知られるようになってきた。東京消防庁の統計によると、2023年夏の熱中症搬送者は、気温25~35度、湿度50~80%の範囲で多かった。熱中症のリスクを示す「暑さ指数」は気温や日差しの強さに加え、湿度も考慮して算出される。暑さ指数の推定図では、室温が26度でも湿度85%で熱中症の「警戒領域」に。梅雨時の湿度は80%前後とされ、気温が低くても熱中症になるリスクは十分ある。

梅雨型熱中症の主な要因として、藤永さんは①隠れ脱水②汗が蒸発しにくい③体が暑さに慣れていない――の三つを挙げる。「かくれ脱水」とは、自分でも気付かないうちに脱水症状に陥る一歩手前の状態。藤永さんは「梅雨時は喉の渇きを感じにくい。夏場のように早めの水分摂取を意識しないと、じわじわと脱水になる」と説明する。

また、「梅雨に洗濯物が乾きにくいのと同じで、汗が蒸発しにくく、体温も下がりにくい」という。人間の体には、暑さに慣れるため皮膚の血流を増やして汗をかきやすくする「暑熱順化」という働きがある。だが、暑熱順化には数日~2週間ほどかかる。梅雨時は涼しい日もあり、暑熱順化が追い付かない場合が多いという。



予防のポイントは運動と水分摂取、食事だ。藤永さんは「汗がにじむくらいの運動や入浴を続け、(汗をかく練習をすることで)早めに機能を獲得することが大切」と勧める。夏場と同様に水分摂取を心掛け、多湿や高温を避けるほか、水分保持に重要な筋肉を強化するたんぱく質の摂取など、食事管理が大事という。

「真夏の熱中症は進行が早いが、梅雨時の熱中症はじわじわと進む。知識を持って早めに対策をするのが有効だ」と呼び掛ける。気象庁の6~8月の3カ月予報によると、今年は全国的に気温が高く、梅雨時の6~7月は曇りや雨の日が平年より多い地域があると見込まれる。同庁は「湿度は熱中症リスクを高める要因の一つ。6~7月は平年より気温が高い見込みで、熱中症に一層気を付けてほしい」としている。【木許はるみ】


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田中利典師の「蔵王供正行/第44日 悟りに至る道筋」

2024年06月24日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行44日目「楽して悟る!」〉(師のブログ 2015.6.13 付)。「楽して悟る」とは、死を賭した荒行ではなく「山の行より里の行」、〈日常の中に生きて、なお高い悟りのような心情に行くならば、誰にとっても、身近に仏法が生きていることになる〉ということであり、師は何度か他のところでも書いておられる。では、全文を以下に紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

「楽して悟る!」
蔵王供正行44日目(6月13日)。曇り時々晴れ、のち雨。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第87座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂
9時10分、第88座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時30分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂

参拝者5名。奈良からMさんが母上と妹さんを伴って二度目の来山。前回の護摩が素晴らしかったからと言っていただく。小浜からは蓮華入峰で長年お世話になっている若狭講の下仲さんも来山。88座目を終え、残すところあと6日。

****************

「楽して悟る!」
実は何年か前から、「もうそろそろ吉野を降りて里に出たら…」と何人かの人から言われてきた。吉野大峯の世界遺産登録もなり、蔵王権現信仰もご開帳事業を通じて順調に進捗し、役行者霊場会や弘法大師の道プロジェクトなど、関わった仕事が佳境ともいえる段階で、そういったようなことを、何人かの人に、言われ続けてきたのである。

正直、「いま降りて、どうするの?」という気持ちだったが、実際にこの3月末で自坊に戻り、さてどうするかという課題を抱えて、本行に入った。その修行もあと6日。仕上げの段階である。しかしながら、ここ数日になって、逆にかなり惑いが深まってきた感じだ。今頃になって、ようやく、本行の本題に直面したといえようか。

自分の原点を思い出そうとしている。昨日、ご縁をいただいたみなさまの、追善の日とさせていただいたのもそのひとつ。行き越してきた歳月を振り返りつつ、前を向かなければならない。蔵王権現様は過去世・現在世・未来世の三世にわたり守護をいただくご本尊。行き越してきた過去を思い、いま、権現様の前で額づく行を生き、そして明日からの未来を思念する。

「軽々しくそれを言うな!」と恩師にたしなめられたことがある。なにかというと、私は前から「楽して悟りたい」という願心が昔からあった。「楽して悟れるか」と恩師にはたしなめられたのである。

ただ、「楽をして…」というから誤解を招く元だが、千日回峰や、即身仏のような木喰(木喰戒)をして悟ったとしても、一般の人からきわめて遠い存在である。それが、日常の中に生きて、なお高い悟りのような心情に行くならば、誰にとっても、身近に仏法が生きていることになる。「あのりてんさんでも悟れたのだから、私もやってみようかしら」というような、存在になる、というのが私の前々からの理想だった。

「山の行より里の行」といい、「70のたなかりてんに会いたい」というのは、そういう原点から、仕切り直すことなのかも知れないと少し気づいた。せっかく吉野を降ったのだから、仕切り直す大きなチャンスなのである。まだ腑に落ちきらないし、どうやらこの修行の中で確信するところまでは届きそうにないが、糸口になる場所に来たように思う。

今日おいでになった参拝の方に「前のお顔とぜんぜん違いますね…」と口を揃えて言われたが、それもこれからの私のあり方を示唆していただいた言葉だったと思う。でもまあ、やはりまだまだである。一日の日程を終えて、今日は久しぶりに氏神さんにお参りし、しばらく里山を散策した。
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古代久米氏ゆかり「久米御県(くめのみあがた)神社」(橿原市久米町)/毎日新聞「やまとの神さま」第88回

2024年06月23日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.6.20)掲載されたのは〈神武東征支えた一族ゆかり/久米御県神社(橿原市)〉、執筆されたのは、同会会員で橿原市在住の亀田幸英さんだった。
※トップ写真は、久米御県神社拝殿=橿原市久米町で

この神社、永らく練供養(久米レンゾ)で知られる久米寺の鎮守だったが、明治時代の神仏分離令によって久米寺から離され、地元(久米村、のち久米町)によって祭られている。では、全文を紹介する。

神武東征支えた一族ゆかり/久米御県神社(橿原市)
久米御県神社(くめのみあがたじんじゃ)(橿原市)は、畝傍山の南東にある古刹久米寺に南接し、西面して鎮座します。祭神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、大来目命(おおくめのみこと)、天槵根命(あまのくしねのみこと)の三柱は、古代の久米氏の祖神・遠祖につながる神様です。

その久米氏は記紀によれば神武東征の際、軍事氏族として活躍し、久米邑(むら)を賜りました。さらに久米氏所縁の「久米舞」や「久米歌」も今に伝わっています。

久米御県神社は平安時代の「延喜式神名帳」に載る「久米御県神社三座」に充てられます。「御県」とは天皇に野菜を献上する直轄地を言い、延喜式神名帳には大和御県神社の一つとして記載されますが、なぜか「延喜式」祈年祭祝詞(としごいのまつりのりと)の中にある大和国六御県神社(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布)には含まれていません。

古代の久米氏の衰えにより神社も衰え、後で創建された久米寺の寺域の一画に鎮守として天神社、天満宮として祭られました。明治時代に神仏分離により久米寺から離されたため、久米村によって全面的にお祭りされ、当初の久米御県神社と改められ、今に至ります。

例祭の10月第2日曜日には、久米町内の大人・子ども約60人によって、約2時間にぎやかに「だんじり」が町内を練り歩きます。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)

(住 所)橿原市久米町786
(祭 神)高皇産霊神、大来目命、天槵根命
(交 通)近鉄橿原神宮前駅西口から西へ徒歩約5分
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり。無料
(電 話)なし


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花見観光は、難しい!

2024年06月22日 | 観光にまつわるエトセトラ
毎日新聞「私が思う日本」欄は、外国特派員が見た日本を紹介していて興味深い。月曜日(2024.6.17付)には、「花見観光」のことを取り上げていた。
※トップ写真は、吉野山「花矢倉」からの眺め(2024.4.5撮影)

私も花見好きでは人後に落ちず、2021年(令和3年)11月に会社を完全リタイヤしてからは、「毎年吉野山へ、桜の写真を撮りに行くぞ!」という目標を立てた。会社勤務中はなかなか平日の休みが取れなかったので、土日に混み合う吉野山へは行けなかったのである。良い写真が撮れれば、会社の「OB美術展」にも出展しようともくろんでいた。

それで翌年からは、桜の開花情報と週間天気予報を見比べながら、慎重に日を選んだ。交通手段は近鉄特急と山内を走るバスだ。結局のところ、

2022年 4月 7日(木=下千本が満開)、11日(月=上千本が満開)
2023年 3月28日(木=下千本が満開)、31日(日=上千本が満開)
2024年 4月 5日(金=下千本が満開)



万博記念公園の桜(2022.4.1撮影)

という結果だった。2022年は開花が遅かったので、しびれを切らして4月1日(金)に大阪の万博記念公園に行ったところ、ソメイヨシノがほぼ見頃を迎えていた。やはり大阪は暖かいのだ。2023年はやむなく日曜日(3/31)に重なり、危うく近鉄特急に乗れないところだった。なお吉野山(シロヤマザクラ)下千本の開花状況は、ほぼ奈良盆地(ソメイヨシノ)の開花状況に重なる。

見ていただいたとおり、年により開花状況は大きな変動があることが分かる。これには昨今の地球温暖化に伴う気候変動が影響しているということだろう。日本に住んでいる私でも苦労するのだから、外国から桜を求めて来られる方は、もっと苦労されることだろう。


明日香村「石舞台」の桜(2024.4.6撮影)

今春には台湾の旅行エージェントが「日本は桜の時期、外国人観光客受け入れ体制の整備を!」と要請していたが、日本人観光客の受け入れだけでも大変だから、これはムリかも知れない。

今年は吉野山は4/5(金)だけとなったが、4/6(土)には明日香村の石舞台、4/7(日)には壷阪寺へ花見に行った。壷阪寺は「道路が混雑して車が動かない」と聞いていたので、駅から徒歩で向かった。青空のもと、念願の「桜大仏」の写真が撮れて、大満足である。前置きが長くなった。以下に記事全文を紹介する。


壷阪寺の「桜大仏」(2024.4.7撮影)

東京に駐在する外国メディア特派員らの目に、私たちの社会はどう映っているのだろうか。韓国、フランス、英国、バングラデシュ、シンガポールの個性豊かな記者たちがつづるコラム「私が思う日本」。

聯合早報(シンガポール)の符祝慧(ふしゅくけい)・東京特派員は、気候変動により春の桜前線に異変が起きており、観光にも影響を及ぼしている現状を指摘した。

桜前線に異変!? 聯合早報東京特派員 符祝慧氏
花見観光、変化の兆し
日本で春といえばサクラの花見だろう。サクラは日本に1000年以上前から根付き、花見の名所は1000カ所以上ある。サクラの花は傷みやすく、長持ちしない。開花時期や開花した花が日持ちするかどうかは、天候と密接なかかわりがある。今年の東京は、暑かったり、寒かったりと不安定で、サクラの開花予想は何度も変わった。

3月27日、サクラの名所である東京・上野公園に行ってみた。サクラは、まだほとんど咲いていなかった。なんとか咲いていた数輪の花の周りを何人もの人が取り囲み、携帯電話で盛んに写真を撮っていた。

シンガポール人女性2人はサクラを見ようと、3月19日から10日間の日程で東京に観光旅行にやってきた。そのうちの1人は「東京をあちこち巡ったけど、見ごたえがあったサクラは1本だけ」と話し、開花時期の遅れを残念がった。

また、家族3人でサクラ見物にきたシンガポール人男性は「今晩帰国しなければならない。今回は満開になるまで滞在できなかった。次回はもっと情報収集して、旅行期間も長い日程で検討しなくてはだめだね」とため息をついた。

各地のソメイヨシノの開花予想日を結ぶ「桜前線」は、例年なら南の鹿児島県から北は青森県や北海道へと北上していく。外国人観光客の中には、サクラを追い求めて桜前線のように北上していく人もいる。

ところが近年、この桜前線の北上パターンが崩れてきているという。気象庁の記録によると、2020年のサクラの開花は特に早かった。この年は記録的な暖冬で、東京の開花は3月14日で九州各地に先んじた。この現象について専門家は「世界の生態系を脅かす大規模な気候変動の兆候だ」と警鐘を鳴らす。報道によると、07年には鹿児島県でサクラがなかなか満開にならず、そのまま散ってしまうケースが観測された。

サクラの開花には、春の暖かさだけでなく、実は、冬の寒さが欠かせないのだそうだ。この寒さによって、眠っていたサクラの花芽が目覚めて成長を始める。これを「休眠打破」というが、地球温暖化によって気温が上昇すると、休眠打破に必要な冬の寒さにさらされていないため、開花時期が遅れることがあるという。満開にならなかったり、少しも開花しなかったりする恐れもあるという。将来的には九州南部の一部で、開花しない地域が出現する可能性も指摘されている。

千葉県で約17年間、ラン栽培を続ける台湾人の友人も、近年は台風や大雨が増え、気候の大きな変化を感じるという。彼は「サクラはランと同じように特に気温に敏感だ」と話す。

サクラの開花が早かったり、遅かったりするのは自然現象だが、サクラは重要な観光資源でもある。ある調査によれば、日本人の約6割が毎年のように花見に行くと答えた。花見がもたらす経済効果は無視できない。今年のサクラの花見による経済効果は、1兆円を超すだろうとの試算もある。

シンガポールのある旅行代理店によると、今年3月から4月上旬にかけ、日本に花見で旅行に行く団体客は約60組に上ったという。開花シーズンを前に取材に応じた代理店の担当者は「今年は、日本の受け入れ側と緊密に連絡を取って開花日をより正確に把握したい」と話していた。

外国人観光客の中には、いっぷう変わった「サクラの追っかけ」もいた。日本にはソメイヨシノだけでなく、サクラの種類が多いことを知っている一部の外国人は、さまざまなサクラとその開花時期、場所を組み合わせて旅程を計画していた。

生態系の異変は、季節に合わせた観光にとって不確定要素であり、その観光に変化が起きつつある。日本の観光業がこの変化にいかに対応していくのか、人々が季節の旅行をどう計画していくのか、これからの課題となるだろう。【訳・鈴木玲子】

◆人物略歴 符祝慧(ふ・しゅくけい)氏
1964年、シンガポール生まれ。現地の高校を卒業後、日本に留学。日本大芸術学部放送学科卒。東京大大学院修士課程修了。シンガポール国営放送で時事番組のディレクターやリポーターを務めた後、2000年から「聯合早報」東京特派員。

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田中利典師の「蔵王供正行/第43日 恩返しの誓い」

2024年06月21日 | 田中利典師曰く
久々の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行43日目「恩返しのお祈り」〉(師のブログ 2015.6.12 付)である。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.4撮影)

師は〈「人は受けた恩のお返しをほとんど恩人ご自身には、直接お返えし出来ないまま、生きている」…と実感します。(中略)これからは恩返しとして、少しでも人様のためになれる人生を歩むことができればなあと、思っています。今日のお祈りは、誓いのお祈りでもありました〉。

以前、私は利典師の盟友である神主の岡本彰夫先生から、「神さまにほめられる生き方をしなさい」というお話をうかがった。「たとえば一日一善」。以来、私は一日一善のつもりで、毎日ブログを更新している。では、全文を以下に紹介する。

「恩返しのお祈り」
蔵王供正行43日目(6月12日)。雨のち晴れ、のち雨。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第85座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂
9時10分、第86座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時30分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂

参拝者1名。姫路から林南院の信者様が参拝されました。残すところ、あと一週間です。

****************

「恩返しのお祈り」
みなさんから依頼を受けたご祈願が、昨日で概ね終わったので、今日はご縁のあった先人のみなさまのへ追善回向(追善供養)をお祈りしました。金峯山寺の覚澄法主、順教猊下ご夫妻、叡岳(比叡山)の井深大僧正ご夫妻、そしてもちろん父母はじめ、彦ちゃん、平さん、諏訪のおばちゃん…心に浮かぶたくさんの人を偲んで務めました。みなさんが、私を私たらしめていただいた、かけがえのない方々です。

誰一人として、欠いていたならば、いまの自分はないものと思います。心より感謝を致します。考えてみれば、どの方々にも、大変お世話になりながら、何ほどの恩返しも出来ていないのが正直な気持ちです。そして私は、いつも、たくさんの恩人、師の数々に対して、そうだったように感じています。

「人は受けた恩のお返しをほとんど恩人ご自身には、直接お返えし出来ないまま、生きている」…と実感します。だからこそ、自分の受けた恩以上に、自分に関わる多くの人に返すことでしか、恩人への恩返しは出来ないと心に銘ずるべきなのでしょうね。

もちろん世の中には恩知らずで不貞の輩はたくさんいるし、私自身もひどい目に遭わされたことは数々あります。が、自分自身も又、大切な恩人にはなにひとつ返せぬままに生きているわけですから、五十歩百歩ですよね。

そのことを改めて自覚して、今日は一心にお祈りをさせていただきました。これからは恩返しとして、少しでも人様のためになれる人生を歩むことができればなあと、思っています。今日のお祈りは、誓いのお祈りでもありました。
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