台湾で大ヒット中の台湾映画「海角7号」。
この映画は、1945年12月、台湾を離れる帰国船の中で日本人教師が、教え子「友子」(台湾人女性の日本名)に書いた7通のラブ・レターがモチーフになっている。現在の日台関係についても、深く重いメッセージが込められていることは間違いない。
(一) 1945年12月25日 友子、太陽がすっかり海に沈んだ。これで、本当に台湾島が見えなくなってしまった。君は未だあそこに立っているのかい?
友子、許しておくれ、この臆病な僕を 二人のことを決して認めなかった僕を
どんなふうに、君に惹かれるんだったっけ、君は髪型の規則も破るし、よく僕を怒らせる子だったね。
友子。君は意地張りで、新しい物好きで、でも、どうしようもないぐらい君に恋をしてしまった。だけど、君がやっと卒業した時、僕たちは戦争に敗れた。僕は敗戦国の国民だ。貴族のように傲慢だった僕たちは、一瞬にして、罪人のくび枷を科せられた。貧しい一教師の僕が、どうして民族の罪を背負えよう?時代の宿命は時代の罪。そして、僕は貧しい教師に過ぎない。君を愛していても、諦めなければならなかった。
(二) 三日目。どうして君のことを思わないでいられよう。君は南国の眩しい太陽の下で育った学生。僕は雪の舞う北から海を渡ってきた教師。僕らはこんなにも違うのに、何故こうも惹かれあうのか? あの眩しい太陽が懐かしい。暑い風が懐かしい。
未だ覚えているよ。君が赤蟻に腹を立てる様子。笑っちゃいけないって分かってた。でも、赤蟻を踏む様子がとても綺麗で、不思議なステップを踏みながら、踊っているようで、怒った身振り、激しく軽やかな笑い声。
友子。その時、僕は恋に落ちたんだ。
(三) 強風が吹いて、台湾と日本の間の海に、僕を沈めてくれれば良いのに、そうすれば、臆病な自分を持て余さずに済むのに、友子、たった数日の航海で僕はすっかり老け込んでしまった。潮風がつれて来る泣き声を聞いて、甲板から離れたくない。寝たくもない。僕の心は決まった。陸に着いたら一生、海を見ないでおこう。潮風よ、何故、泣き声をつれてやって来る。人を愛して泣く。嫁いで泣く子供を生んで泣く君の幸せな未来図を想像して、涙が出そうになる。でも、僕の涙は潮風に吹かれて、あふれる前に乾いてしまう。涙を出さずに泣いて、僕は、また老け込んだ。憎らしい風。憎らしい月の光。憎らしい海。12月の海はどこか怒っている。
恥辱と悔恨に耐え、騒がしい揺れを伴いながら、僕が向かっているのは故郷なのか。それとも、故郷を後にしているのか。
(四) 夕方、日本海に出た。昼間は頭が割れそうに痛い。今日は濃い霧が立ち込め、昼の間、僕の視界を遮った。でも、今は星がとても綺麗だ。
覚えてる? 君は未だ中学一年生だった頃、天狗が月を食う農村の伝説を引っ張り出して、月食の天文理論に挑戦したね。君に教えておきたい理論がもう一つある。君は、今見ている星の光が、数億光年の彼方にある星が放たれてるって知ってるかい。うぁ~、数億年前に放たれた光が、今僕たちの目に届いているんだ。数億年前、台湾と日本は一体どんな様子だったろう。山は山、海は海、でも、そこには誰もいない。僕は星空が見たくなった。虚ろやすいこの世で、永遠が見たくなったんだ。台湾で冬を越すライギョの群れを見たよ。僕はこの思いを一匹に託そう。漁師をしている君の父親が、捕まえてくれることを願って。友子。悲しい味がしても食べておくれ。君には分かるはず。君を捨てたのではなく、泣く泣く手放したということを。皆が寝ている甲板で、低く何度も繰り返す。捨てたのではなく、泣く泣く手放したんだと。
(五) 夜が明けた。でも、僕には関係ない。どっちみち、太陽は濃い霧を連れてくるだけだ。夜明け前の恍惚の時、年老いた君の優美な姿を見たよ。僕は髪が薄くなり、目も垂れていた。朝の霧が舞う雪のように僕の額の皺を覆い、激しい太陽が君の黒髪を焼き尽くした。僕らの胸の中の最後の余熱は、完全に冷め切った。友子、無能な僕を許しておくれ。
(六) 海上気温は16度 風速12節 水深97メートル 海鳥が少しずつ見えてきた 明日の夜までに上陸する。友子 台湾のアルバム君に残してきたよ。お母さんのところに置いてある。でも、一枚だけこっそりもらってきた君が海辺で泳いでいる写真 写真の海は風もなく、雨もなく、そして君は天国にいるみたいに笑っている。君の未来は誰のものでも君に似合う男なんでいない。
美しい思い出大事に持ってこようと思ったけど、つれてこれたのは虚しさだけ。
思うのはきみのことばかり、あ、虹だ。虹の両端が海を越え、僕と君を、結び付けてくれますように。
(七) 友子、無事に上陸したよ。七日間の航海で、戦後の荒廃した土地に、ようやく立てたというのに、海が懐かしいんだ。海はどうして、希望と絶望の両端にあるんだ。これが最後の手紙だ、後で出しに行くよ。海に拒まれた僕たちの愛 でも、おもうだけなら、許されるだろう。
友子、僕の思いを受け取っておくれ。そうすれば、少しは僕を許すことができるだろう。君は一生僕の心の中にいるよ。結婚して子供ができても、人生の重要な分岐点に来るたび、君の姿が浮かび上がる。重い荷物を持って家出した君 行き交う人ごみの中に、ぽつんと佇む君、お金をためて、やっと買った白いメリヤス帽をかぶってきたのは、人ごみの中で、君の存在を知らしめるためだったのかい。
見えたよ。僕には見えたよ。君は静かに立っていた。七月のはげしい太陽のように それ以上直視することはできなかった。君はそんなにも、静かに立っていた。冷静に努めた心が一瞬に熱くなった。だけど、心の痛みを隠し、心の声を飲み込んだ。僕は知っている。思慕という低俗の言葉が、太陽の下の影のように、追えば逃げ、逃げれば追われ 一生
友子 自分の疚しさを最後の手紙に書いたよ 君に会い懺悔するかわりに、こうしなければ、自分を許すことなど少しもできなかった。君を忘れたふりをしよう。僕たちの思い出が渡り鳥のように飛び去ったと思い込もう。君の冬が終り、春が始まったと思い込もう。本当にそうだと思えるまで、必死に思い込もう。そして、君が永遠に幸せであることを、祈っています。
友子様へ 私はこの手紙の持ち主の娘です。この手紙は父の箪笥の中から出て来たものです。父は今年の一月に永眠いたしました。お手紙の一通一通を拝読しますと父と友子様のあまりにも切なく心の絆の思いがたくさん詰まったものでした。今になってお渡しすることが残念でなりません。父の切ない心の内を今、友子様にお届けいたします<o:p></o:p>
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