台湾における日本演歌の受容について、興味深い論文が発表された。
台湾人が今なお「親日的」である理由もよく理解できる。
「単なる親日ではない。日本統治下では台湾独自の文化を主張した台湾住民が、国民党政権に対しては台湾語の日本演歌で北京語使用に無言の抵抗をした」のだ。
3月26日付・台湾演歌考
台湾のシンクタンク中央研究院台湾史研究所の陳培豊氏が、「三つの演歌からみた重層的な植民下の台湾像」というユニークな論文をまとめた。
日本語の演歌、そのメロディーに台湾語の歌詞を付けた歌、北京語の歌詞を付けた歌の三種を比較し、台湾で日本の演歌がどのように受け入れられたのかを調べた。
台湾語は福建省の中国語方言で、終戦前から台湾に住む多数派住民の母語。住民は日本統治時代には日本語、戦後は大陸から渡ってきた国民党政権によって北京語の使用を強制された。陳氏は日本、国民党政権をともに「植民支配者」と位置付ける。
台湾語の日本演歌は1950、60年代に大流行した。「単なる親日ではない。日本統治下では台湾独自の文化を主張した台湾住民が、国民党政権に対しては台湾語の日本演歌で北京語使用に無言の抵抗をした」と分析する。
またその歌詞は、戦後の経済成長下、出稼ぎ者の郷愁や悲哀を歌った「怨歌」が多かった。この点は春日八郎の「苦手なんだよ」などの日本の元歌とも共通するが、歌詞は台湾社会の実態に合わせて巧みに「台湾化」された。
70年代から90年代に流行した北京語の日本演歌は、「北国の春」など美しいメロディーだけを借り、恋の歌詞を付けた「艶歌」が多い。北京語の演歌を聴く大陸出身者の多くは「社会的弱者」ではなかった。
歌は世につれ、世は歌につれ。今は演歌ブームも下火になり、夏川りみの「涙そうそう」など「いやし系」が人気だそうだ。