澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

民主党のマニフェストは大衆迎合の極致

2009年07月27日 18時07分18秒 | 政治
民主党のマニフェストが発表された。
この中に、「公立高校」授業料の無償化が掲げられているが、民主党は何を考えているのだろうか?

現在、全国の公立高校で授業料の未納が問題となっている。不況で授業料が払えない家庭が増えているのも事実だが、故意に授業料を払わない家庭も同じように増えている。公立高校だと、授業料が未納であっても、退学になる心配はない。それを承知で、授業料を払わない人もいるくらいだ。加えて、公立学校には授業料の減免制度があるが、それはサラリーマン家庭には厳しく、自営業者には甘いという認定基準になっている。

公立高校の授業料を無料化すれば、「タダより高いものはない」という結果になりはしないか。学校と保護者の信頼関係はますます希薄になり、公教育の質が更に低下するという心配がある。

授業料無料化の財源は、所得税の配偶者控除等の廃止によって充当するという。さらに首をひねるのは、公務員人件費の削減という公約だ。20%の人件費を削減すると言うが、そんなことは可能なのかどうか。もし、公務員の給料を20%カットできるのなら、民主党に投票してあげても良いのだが、これによって優秀な人材は国家公務員Ⅰ種を受験さえしなくなるだろう。人材の枯渇は、国家の危機。そのくらいのことが、民主党には分からないのだろうか?

何から何まで、ポピュリズム(大衆迎合)の民主党マニフェスト。こんなことでは将来への不安はますます募るばかりだ。








映画「海角七号」の日本公開決まる!

2009年07月27日 17時15分30秒 | 音楽・映画
台湾映画「海角七号」の日本公開がついに決定した。
以下【台湾の声】より転載させていただきます。

【速報】海角七号、日本公開決定!

台湾で、世代を超えて爆発的大ヒットとなった
話題の映画が遂に日本公開決定!


観客を切ないノスタルジーに包み込んで、
台湾で『タイタニック』に次ぐ歴代興収第2位の大ヒット!
日本人の心にも沁みる、優しくて、あたたかい“想い”…

2008年8月に台湾で公開されて以来、日を追うごとに動員数を
伸ばし大ロングランを記録した本作は、最終的に5億台湾ドルを
超える興収を記録して、台湾映画としては歴代ナンバーワン、外国
映画を含めても『タイタニック』に次ぐ歴代2位の大ヒットとなりました。
普段映画を観ない中高年層から愛され、若い観客からはリピーター
が続出するほど熱狂的に支持されて「ハイジャオチーハオ(海角七号)
を観たか?」が挨拶代わりとなるほどの社会現象と化しました。
噂は日本にも飛び火。公開を望む声の高まりを受け、遂に『海角七号』の日本公開が、2010年新春に決定しました!

主演は人気歌手で映画初出演の范逸臣。ヒロインに日本人女優・田中千絵。二人は本作のヒットで一躍時の人となりました。“地上で最も優しい歌声”と謳われる歌手の中孝介が本人役、物語のキーとなる日本人教師役の二役で共演するのも話題です。

マスコミ向け試写は、9月上旬より開始予定。9月下旬には、魏徳聖監督、主演の范逸臣、田中千絵の来日も予定されています。詳細が決定しましたら、追ってお知らせ申し上げます。


STORY

60年前の悲恋。現代の淡い恋。
二つの物語を結ぶのは、届かなかったラブレター。
そして、浜辺に響くシューベルト「野ばら」の美しい歌声。

1940年代、日本統治下の台湾。若い日本人教師が、日本名を友子という台湾人の教え子と恋に落ちた。しかし、間もなく迎えた敗戦によって教師は帰国することになる。港に佇む友子を残して引き揚げ船に乗った彼は、日本に着くまでの7日間、海上で尽きせぬ想いを手紙に綴るのだった…。

60年後の現代。台北でプロ・ミュージシャンになるという夢に敗れ、台湾最南端に位置する恒春に帰省した青年・阿嘉(アガ)は、嫌々郵便配達のバイトをしている。ある日、日本人歌手によるコンサートの前座を務める地元バンドが結成されることになった。無理矢理一員に加えられた阿嘉だったが、メンバーはキャリアも年齢もバラバラでトラブルが絶えない。おまけに、イベントのマネージャーとして雇われた日本人女性・友子とは衝突してばかりだ。

そんなある日、阿嘉は郵便物の中に、今は存在しない住所・海角7号宛ての小包を見つける。中には1枚のモノクロ写真と、日本語で書かれた7通の手紙が入っていた。それは60年前、日本人教師が恋人・友子に綴ったあの手紙だった…。

監督・脚本:魏徳聖 音楽:呂聖斐/駱集益

撮影:秦鼎昌

出演:范逸臣/田中千絵/中孝介/林暁培/梁文音

2008年・台湾・130分・カラー・シネマスコープ・Dolby SR 提供 マクザム 配給ザジフィルムズ/マクザム



配給・宣伝問い合わせ

ザジフィルムズ TEL:03-3490-4148 FAX:03-3490-4149

2010年新春ロードショー!

シネスイッチ銀座他全国順次公開






海角七号 2枚組特別版(台湾盤) [DVD]

得利

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歴史の真実を見分ける「眼識」

2009年07月27日 08時22分16秒 | 歴史

「産経新聞」に平川祐弘氏が「歴史の真実を見分ける”眼識”」という一文を寄せている。

私がYouTubeに載せた「米国から見た日本の台湾統治」(http://www.youtube.com/watch?v=YG9HvrgwmaM)には、さまざまなコメントが書き込まれているが、その中には「日本の台湾統治は正しかった」「台湾は植民地などではなかった」等々、単純化された、極端な意見が数多く見られる。

私は「知られざる台湾」という約5時間のTV番組の中から、日本を肯定的に描き出している部分(約7分間)を取り出してYouTubeにUPした。だが実は、当該番組の中には日本に対して批判的な内容もある。たとえば「金瓜石」の特集では、シンガポールで捕虜になった英国人兵士を、日本軍が金瓜石の鉱山で酷使・虐待したというエピソードが長々と語られ、とても「親日的」とは言い難い番組づくりとなっている。
私がそれを意図的に取り出せば、「反日的な番組映像」と批判されるのだろうか?という疑問も生じる。

私は、NHK「アジアの”一等国”」があまりにひどい番組であったと感じたので、それに対抗する意味で、あの映像をUPした。そこには「NHKへの反論」という主観的な意図がある。その主観に基づいて、映像を取捨選択したというわけだ。

要するに、歴史認識などというものは、かくも主観的であるということ。「正しい歴史」など存在するはずがないということだ。

平川氏の論文は、そのことをはっきりと教えてくれる。NHKが意図的にぶちこわそうとした、「親日的な台湾」というイメージもまた、普遍的な認識などではないことも…・。

【正論】比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 2009.7.27 02:53 このニュースのトピックス:正論 

■歴史の真実を見分ける「眼識」  
≪孫子の教えで相手知る≫
 私は華人の学生は留学生や大陸だけでなくシンガポールや台湾でも教えた。日本とシナといおうか我国と漢民族の関係も様々な視角から眺めると、日本の大新聞の社説で正解と目されているのとは違った歴史も見えてくる。私は共通1次試験の正解程度の歴史解釈は信用しない比較研究者だ。複数の言葉を習い、複眼で眺めようとしてきた。日本至上主義も取らないがさりとて研究対象国にのめりこむチャイナ・スクールのような中国一辺倒も取らない。孫子が教えるように相手を知り己を知ることが大切だ。
 そう考える私は1985年、台湾へ出かけた。まだ貧しくて大学生協のチョコレートの不味(まず)さに驚いた。台北で日本語を教えていた大学は当時は僅(わず)か四つで台湾人創設の私立だった。蒋介石軍は日本が創(つく)った国立学校を掌握した。旧宗主国の影響を排除したい。国立には日本語系はない。実は私も表向きは東方語名義で教えた。共通1次の成績で学生は私大入学も割当てられる。教室へ出て初めて東方語が日本語と知った者もいた。

  ≪文明開化と植民地化≫
 しかし1988年李登輝が総統となるや雰囲気が一変した。それまで御法度(ごはっと)だった政治の話も自由となり映画『悲情城市』が公開された。1947年2月28日の大陸渡来の中国軍による台湾エリートの虐殺が取り上げられたのである。日本警察に取って代わった国民党支配を台湾人は「犬去って豚来たる」といった。国民党は台湾支配の最初の500日間に50年間の日本統治よりも多い台湾人を処刑した。そんなであってみれば台湾人が日本帝国支配の方がまだましと感じたとしても不思議はない。新聞も変わる。本省人の『自由時報』の投書欄が賑(にぎ)わう。逮捕の怖れがなくなれば人間次々と話し出す。日本の先人の努力が台湾でどのように評価されているか私にも聞えてくる。
 私は職業柄日本語教育の歴史に関心がある。日本が台湾で教え始めたのは日清戦争直後、台北士林近くの芝山巌に伊澤修二が学堂を開いた。治安が悪い。1896年教員六名全員が惨殺された。土匪の仕業だろうが、国民党政府は1958年その仕業を義民の義挙とし芝山巌事件碑を建てた。そればかりか六氏の墓を壊し学務官僚遭難碑を倒した。私が見に行った時はベンチの下にその伊藤博文筆の碑が転がっていた。植民地支配を悪と断罪する側に立てば当然の報いを受けたということになるのだろうか。だが土地の人の日本人教師に対する気持は違う。士林小学校の卒業生が遭難百年に際し倒された墓も碑もきちんと建て直してくれた。2000年私は芝山巌に登りその様変わりを目撃し、感動した。
 国民党独裁の頃でも戦前の日本を知る台湾人学者の間では河合栄治郎や矢内原忠雄の評判は良かった。矢内原『帝国主義下の台湾』は植民地支配弾劾の書物ではない。事実に密着した明晰(めいせき)な分析で、台湾人教授が大学でこの台湾論を教科書に授業していた。第二次大戦まで西洋では植民地化はキリスト教化・文明開化とほぼ同義と見られていた。日本も台湾植民地化を文明開化の事業として構想した。ただし宗教を広めて死後の命を救う代わりに衛生を広めて人の命を救おうとした。後藤新平のその植民地経営は今も台湾人に高く評価されている。大陸と異なり、台湾の地下鉄や新幹線のトイレが清潔なのも日本の遺産といえないこともない。ただ私は日本が衛生を重んじたのは、皆意識しないが、日本人の広義の宗教心の現れで、清らかさを尊ぶ神道の心が衛生を尊ぶ思想の背後にあるからだと考える。
 ≪西洋支配は肯定する偏り≫
 教育、生活、経済面で善政を布(し)いたとしても、植民地化は植民者という一級市民と被植民者という二級市民を生み出すがゆえに悪である。しかしそうと認めない国もある。チベット支配を続ける中国は王道楽土を建設中と言い張る。サッチャー英国首相は1988年「西洋人が世界の多くの土地を植民地化したのはすばらしい勇気と才覚の物語でした」と肯定した。コータッツィ元駐日大使も「白人の責務」という発想を支持した。世間には西洋の植民地支配は肯定するが日本のそれは非難する者がいる。偏した見方だ。ライシャワーは歴史教科書『東アジア-近代の変革』で台湾統治を否定的に記述した。そんな歴史教育を受けた世代の米国人は現地で「台湾人は日本が大好きだぜ」と驚く。
 問題は日本が台湾統治に成功したことだ。実はそれが朝鮮における失敗となった。化外(けがい)の地の台湾と違って、朝鮮は一つの文明の国である。その朝鮮全体を奪うことは朝鮮民族の誇りをも奪うことになったからである。歴史の真実はそんな相違を見分ける眼識(がんしき)にある。日本植民地支配は悪という「始めに結論ありき」のイデオロギー的史観に合うよう材料を恣意(しい)的に並べただけのNHKテレビ番組は安直な制作で史実を歪(ゆが)めた。受信料を払うに値しない。
                        (ひらかわ すけひろ)