澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

NHK・濱崎ディレクターの”品格”

2009年07月04日 22時37分08秒 | マスメディア

午前中、映画「台湾人生」に登場する蕭錦文(しょう・きんぶん)氏と再会できたというのに、夜になってイヤな記事を見てしまった。「李登輝友の会」が配信したメールのようだ。私は、この会に所属していないが、ここに引用させていただく。


NHK【濱崎憲一・河野伸洋】卑劣なもみ消し行為
 
 濱崎憲一ディレクターらの隠密訪台に日本語世代が激怒

 NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー・第1回『アジアの一等国』」を担当した濱崎憲一ディレクターは6月下旬、上司で「ジャパンプロジェクト」の河野伸洋エグゼクティブ・プロデューサーを伴ってこっそり訪台していた。
 番組出演者としてNHKに抗議と訂正を求める文書を出した柯徳三氏などを訪問、「自分の息子が学校で『濱崎の息子』だといっていじめに遭っている」などと泣き落し戦術でくどこうとしたという。上司の河野は名刺も出さなかったらしい。
 もちろん柯徳三氏らは聞く耳を持たなかったという。台湾では情報が駆けめぐるのは日本以上に早い。これを知った台湾の日本語世代は「なんと卑劣な手を使うのだ。自分たちの番組が正しいなら、堂々と公開討論会などで説明すればいいだろう」と、またまた怒りを増幅させている。
 濱崎ディレクターたちの卑劣な行動を知って、台湾ではすでに他の日本語世代グループも抗議書を出す動きが出ているという。濱崎ディレクターたちの姑息かつ卑劣な行動は、火に油を注いだ結果に終ることは確実だ。


NHKの濱崎ディレクターといえば、NHKスペシャル「アジアの”一等国”」を制作し、「日台戦争」「人間動物園」など、日台関係史に新たな「歴史的視点」(?)を切り開いた、極めつきの「エリート」らしい。
その濱崎が、番組批判、放送法違反による4000人の視聴者からの提訴という成り行きを受けて、台湾の関係者に弁明に出かけたという。

「台湾総督府の未公開資料から歴史を読み解く」「未来を読み解く鍵は歴史の中にある」等々、あれほど大見得を切ったのだから、 「息子が学校で『濱崎の息子』だといっていじめに遭っている」などというくらいのことで”泣き”を入れてはマズイだろう。「150年前、世界の荒波に船出した」先人達に会わせる顔がないだろうが…。
こういうとき、自分の信念は貫く、責任をとるというのが、「世界に船出した」日本男児の本懐だったはずだ。もっとも、息子がいじめに遭っているなどという話も、濱崎自身の捏造だと思えるが…。「産経」以外は報道もされなかったニュースをどうやって知り、誰が濱崎の息子をいじめるというのだろうか?

最近、濱崎本人の映像を見たが、かなり若い人のようだった。きっと有名大学を優秀な成績で出たか、あるいは近親者に政治家か何か有力者がいて、幸いにもNHKに入局した人なのだろう。NHKに入局するパターンは、その2つのいずれかだ。コネ入社組だとすれば、さらにその背景が気になってくる特定の思想的、宗教的背景(!)があれば、その方が大問題だ。それにしても、この往生際の悪さは、拍子抜けするほどカッコ悪いではないか…。こんな人が歴史を”検証”するなどと言って、偉そうにしていたのか。

濱崎のようなエセ・ジャーナリストと比較しては申し訳ないが、映画「台湾人生」を制作した酒井充子(さかい・あつこ)監督は、大学卒業後、いったん一般会社に勤めた後、ジャーナリスト(北海道新聞記者)に転身し、その後台湾の日本語世代を採り上げた映画の監督となった。濱崎が潤沢な制作費と、報道のNHKという看板を背負って、媚中・反日の「アジアの”一等国”」を制作したのに対し、酒井監督は、新聞記者を辞めて、背水の陣で「台湾人生」を自主制作したのだ。
同じテーマを採り上げながら、なんとも鮮やかなこの対比。真のジャーナリストとは何かを考えさせる格好の「教材」ではないか。

酒井監督は、あるインタビューの中で「NHKのあの番組とは、一緒にされたくない」とはっきり語っている。その矜持、たいしたものだ。私などは、むしろ酒井監督の中に清々しい”武士道”精神を見るのだが、どうだろうか?逆に、濱崎の女々しさは、本当に見苦しい。
こういうお粗末な人が、NHK報道を担っているとは…一番効果的なのはやはり”受信料支払い拒否”だな…。






酒井充子監督、蕭錦文氏とのトーク~映画「台湾人生」上映後 2009.7.4

2009年07月04日 19時15分54秒 | 台湾

ドキュメンタリー映画「台湾人生」(Lives in Taiwan、酒井充子監督 2008)※が、先週から東京の小さな映画館で早朝ロードショー公開され、静かな話題を呼んでいる。
 http://www.taiwan-jinsei.com/

今朝(7/4)の上映では、この映画に登場する5人の台湾人のひとりである、蕭錦文(しょう・きんぶん)氏が台北から駆けつけ、映画上映後、酒井充子(さかい・あつこ)監督と対談を行った。


酒井充子監督、蕭錦文氏とのトーク~映画「台湾人生」上映後 2009.7.4

5月26日、私は台北「二二八紀念館」で蕭錦文氏にお会いした。私一人のために、一時間半もの時間を割いてくださった。そこで、お二人の対談終了後、私は蕭錦文氏との再会を果たした。蕭さんはもう83歳だが、極めて元気な様子。私の顔は、覚えていてくださったようだ。

(上映後のトーク、酒井充子監督と蕭錦文氏。 7月4日、東京・東中野「ポレポレ」にて)


この映画の中で、蕭錦文氏が自宅でくつろぎながら、戦前の日本歌謡の歌詞を整理している画面がある。前回、それを見ていたので、私は蕭錦文氏に藍川由美のCD「「NHK 國民歌謡~われらのうた~國民唱歌”を歌う」をプレゼントした。

上記のyoutube映像の中で酒井監督が触れていることだが、蒋介石が発令した「戒厳令」が1987年に解除されるまで、台湾の日本語世代は、日本に対する思いを公に口にすることなどできなかった。最近20年間で、台湾では民主選挙が実施され、言論の自由がようやく保証されるようになったのだ。

(トーク終了後、談笑する蕭錦文氏と酒井充子監督)

酒井充子監督が台湾の日本語世代を見る目は、とても優しい。政治的には、中国に”完敗”して、今や”併呑”さえ囁かれる台湾の現状。冷戦時代から”反共”の立場で”中華民国”(台湾)に肩入れしてきた日本人にとっては、この映画「台湾人生」から、日本の台湾統治の「正当性」を導き出したいところだろう。現にこの映画の推薦者の一人に「新右翼」の大物が名を連ねている。一方、左翼的な立場からは、こういう映画を見ることさえ嫌う風潮が、私の近辺にさえある。

酒井監督は、またしても「台湾」を政争の道具としようとするさまざまな思惑を排除して、「遅くなってしまったが、記録されるべきこの映画を作り上げた。

「映画”台湾人生”に寄せられた、各界からのメッセージ」というチラシを見ると、春山明哲氏(「二二八事件」の著者)の文章が際だって素晴らしい。この映画を的確に表現している。春山氏は、台湾出身で、今は日本に帰化している。日台双方の歴史を知り尽くした方だ。

「日本の植民地だった台湾の歴史を知ろうとする者が出会う二つの”沈黙”がある。ひとつは台湾に住んでいた日本人の沈黙。戦後内地に引き揚げてきた人々はその”台湾人生”を語らなかった。もうひとつは台湾人の沈黙。彼らはその”台湾人生”を長い間語れなかった。この映画は、台湾人にその人生を語ってもらうことによって、歴史を映像化する試みである。若い世代の日本人の感性が描く人生とともに、南国の自然も美しく印象的だ。」(春山明哲)

九份でのある老人との出会いがきっかけとなって、彼女の台湾に対する思いは膨らんでいった。上記の映像で一目瞭然だろうが、優しさの中に強い意志を感じさせる人だ。
非政治的で、静かに観る人の心を打つこの映画は、おそらく長い間、人々の記憶に残ることだろう。  

(蕭錦文氏は、台北に来たら、総統府か二二八紀念館を訪れるよう勧めてくれた。連絡をくれれば、解説に行きますよ…と。)
(5月26日、台北「二二八紀念館」にて、蕭錦文氏と筆者)