澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

入管法改正案~「台湾」表記へ

2009年03月19日 04時23分53秒 | 社会

在日中国人というと、今やイメージも地に落ちた感がある。「犯罪」「身勝手」など、マイナス・イメージばかりなのだ。もちろん、ここでいう「中国人」とは、大陸の中華人民共和国から来た人たちのことだ。
入管法上、在日台湾人については、国籍欄に「中国」と記されていたが、これでは大陸の中国人であるのか、台湾国籍の台湾人であるのか区別が付かなかった。もちろん、こうなったのは日本が日中国交回復を行い、台湾と外交関係を断交したためである。

在日台湾人は、大陸の中国人と同一視されることを嫌っているので、今回の入管法改正案は彼らにとって朗報となる。だが、中国政府の顔色をうかがう政党もあるので、すんなりと実現するかどうかは分からない。

不法滞在フィリピン人の娘が可哀想だから、親子の在留許可を与えるべきだなどというキャンペーンが、今なお行われている。在日台湾人はこれを見て、何と日本は不誠実な国かと思うのではないか。当然の処置をした入国管理局が、マスコミや支援団体から「こどもの権利条約」違反だと罵られる国…。「国籍」の重さ、それが時には生命を分けることもあるという事実を認めない国…。
「日本精神」は何処に??

 

在留カード「台湾」表記 入管法改正案 中国政府の反発予想

2009.3.19 01:25

 政府が今国会に提出した在留外国人行政を一元化する出入国管理法改正案が、在留台湾人から熱い視線をあびている。台湾人に国籍欄に「中国」との表記を強いてきた現行の外国人登録証に代わり、平成24年に導入される「在留カード」では「台湾」表記が認められるためだ。ただ、中国政府の反発も予想され、与野党の対応が問われそうだ。

 現行入管法は、外国人登録を市町村に委託してきたが、改正案では法務省入国管理局に一元化する。外国人登録証は廃止され、代わりに入国管理局が在留3カ月を超える外国人に対し、氏名、生年月日、性別、国籍、住所、在留資格、在留期限を記載した「在留カード」を発行する。

 政府は住民基本台帳法改正案も国会に提出しており、在留外国人が市町村で住民登録ができ、在留カードと連携させることで、外国人の子弟の就学や健康保険加入など行政サービスの充実につなげたい考えだ。

 在留カードは国籍欄を改め、「国籍または日本政府が認める旅券を発行している地域」を記載する欄に変え、台湾人は「台湾」と表記できるようになる。

 日本政府は昭和47年の日中国交正常化以後、台湾を国として承認せず、「政令で定める地域の権限のある機関の発行した文書」として、台湾政府とパレスチナ自治区発行の旅券を認めてきた。パレスチナは平成19年に外国人登録証の「パレスチナ」表記を認めたが、台湾だけは「中国」表記のままだった。


小沢一郎が「台湾は日本より進歩」だって??

2009年03月18日 19時00分34秒 | 政治

民主党・小沢代表が台湾・民主進歩党主席の蔡英文氏と会談した。

民主党の対台湾政策はいまひとつ明らかではないが、このような会談は意義あることだろう。
でも、西松建設の献金問題を、陳水扁・前総統の問題と結びつけるのはちょっと身勝手かも。
「政権交代ができる台湾は、日本より進歩」しているかも知れないが、それも中国の出方次第では、風前の灯火だという認識を忘れるべきではない。

 

「台湾は日本より進歩」 小沢氏、民進党主席に

2009年3月17日 19時51分

 民主党の小沢一郎代表は17日、党本部で台湾の野党、民主進歩党(民進党)の蔡英文主席と会談し「総統選による政権交代を経験した台湾は、日本より民主主義が一歩進んでいる」と強調した。その上で「日本でも今回こそ2大政党制の下で政権交代をして、本当の民主主義を実現したい」と述べ、次期衆院選勝利に意欲を示した。

 一方、陳水扁前総統が台湾総統府機密費の不正流用事件をめぐり起訴されたことを念頭に小沢氏は「お互いに境遇が似ていますね」と声を掛けた。陳氏は2008年1月まで民進党主席。11月に逮捕されるまで「捜査は政治的な陰謀だ」と繰り返し主張していた。


土肥・都立三鷹高校長の孤独な戦い

2009年03月17日 23時31分25秒 | 社会

TBS系列「ニュース23」で東京都立三鷹高等学校・土肥校長の問題を採り上げた。
都教委の「職員会議では、挙手・採決を行ってはならない」という通知に疑問を持った土肥校長が、都教委に説明を求めたところ、1年間もの事情聴取が続けられたあげく、4月以降の「再任用」が理由もなく拒否されたという問題だ。

この校長については「土肥さんは三菱商事に入って談合を告発して、教員の世界に転進された方で、管理職にあっても非常に自由闊達さを重んじてこられた方です」という記述説明が見つかった。もしその通りであるとすれば、都立学校には数少ないユニークで有能な教員だったことになる。

だが、土肥校長に肩入れするTBSが決して触れようとしないことだが、都教委の通達にも一理はある。「職員会議」が、「民主主義的学校運営」とか言いながら、結局は職員組合の意向に添った学校運営をするための「切り札」であったことは間違いのない事実だ。都高教という組合の所業は、大いに罪深い。
ある学校では、「職員会議」で教員の負担になることは一切拒否した。負担を押しつける者は「当局」側だとされ、校長はいつもやり玉に挙げられるという繰り返しだった。世間一般から見れば、仕事をさぼるために、一端の理屈をこねて社会批判をしているとしか思えないだろう。

TBSの報道によれば、土肥校長は再任用拒否を不当として、裁判に訴えるという。「ドンキホーテ」のようなこの校長と都教委のバトル、どっちもどっちだが、部外者としてもちょっと気になるところだ。

それにしても、TBS「ニュース23」の偏向報道ぶりは改まらない。土肥校長の続きは、「沖縄の心を守る」だって…。筑紫哲也がまだそのへんにいるかのような番組づくりだ。

この校長に対して、TBSが肩入れするかのような報道姿勢は、かえってマイナスではないか。他局のニュース番組と比較しても、この番組の異様さは際だっている。筑紫哲也の亡霊がまだいるのなら、お祓いでもしたらどうか。

 




 


ねつ造報道で日本テレビ社長が退任

2009年03月17日 22時25分04秒 | マスメディア

本ブログでは「第四の権力」であるマスコミの傲慢、横暴について何度も触れてきた。
視聴率至上主義がもたらす低俗番組、センセーショナルな「おいしい画像」だけを追い求めるニュース・ショー番組が蔓延するなかで、「バンキシャ!」のねつ造報道は起きるべくして起きた。

辞任した久保社長自身が「この十数年で影響力が増大し、注目度が高くなった」と指摘。社内の危機意識の薄さが辞任につながったことを示唆した。」と述べているのは注目すべきだ。「この十数年間で影響力が増大し…」とは、具体的に何を指しているのだろうか。
私見では、十数年前からニュース報道をワイドショー化したことを指しているのかも知れない。薄っぺらな知識しか持たず、見栄えだけを気にする「ニュ-スキャスター」ばかりをそろえて、視聴率狙い、視聴者迎合のニュース番組を制作しはじめたのが、ちょうどその頃なのだ。日本テレビ系列で言えば、かつては櫻井よしのような気骨のあるニュースキャスターがいたのだが、今は見かけ倒しの連中ばかりだ。

麻生内閣のあれこれを揶揄したり、公務員攻撃にはすさまじく熱心な日本テレビだが、その一つの到達点が今回のねつ造報道だ。ねつ造報道によって、岐阜県庁が被った被害は、社会的にも経済的にも甚大だったと思われる。岐阜県庁は、「裏金づくり」の有無を全庁的に調査したのだが、それに要した時間を金銭に換算したらとんでもない金額になるはずだ。
日本テレビは「公務員を叩いておけば、視聴者に受けるし、反論される心配もない」と高をくくっていたはずだ。その傲慢さが今回の事件の遠因ではないだろうか。

「第四の権力」に鎮座するマスメディアに対して、一般人が対抗する手段はない。香川の祖母・幼女殺害事件では、父親の山下清さんが犯人扱いされる報道被害を受けたが、マスコミは正式には謝罪していない。岐阜県庁の裏金作りもこれと同様で、報道内容が間違っていても相手は公務員だから謝る必要もないと踏んだのではないか。

在京TV各局社員の年収は、20代でも軽く1000万円を超える。有名大学を出た優秀な人材が採用されると思われがちだが、意外にもコネ採用が多い業界なのだ。TV局には、政治家や有名人の子弟がごろごろしている。マスメディアは、公務員制度改革の必要性を唱えるが、少なくとも国家公務員上級職に縁故採用はありえない。出自にかかわらず、試験を合格すれば、道が開ける制度になっているのだから、公務員採用とマスコミ入社のどちらが「公平」で「民主的」なのかは明らかだろう。

金融危機による広告収入の減少、メディアの多様化によって、TV局も赤字を抱える時代になった。これに「放送免許」の見直しが加われば、
「第四のメディア」も本当の「民間企業」になるのだが。現状jのマスメディアは、「放送免許」という既得権益をむさぼりながら、ご高説を垂れるインチキ民間会社なのだから。

 

「バンキシャ!」誤報で日テレ社長が引責辞任

 

写真:誤報問題について頭を下げる日本テレビの久保伸太郎社長=16日午後7時17分、東京都港区の同本社、細川卓撮影誤報問題について頭を下げる日本テレビの久保伸太郎社長=16日午後7時17分、東京都港区の同本社、細川卓撮影

 日本テレビ放送網の久保伸太郎社長は16日、報道番組「真相報道バンキシャ!」が虚偽証言に基づき岐阜県庁の裏金づくりが続いていると報道した問題で、責任をとって辞任した。久保氏は記者会見で「重大な監督指導不行き届きの責任をとりたい」と述べた。同日付で取締役相談役に退き、細川知正(のりただ)会長が社長職を兼務する。同番組の放送打ち切りも検討する。

 同日の記者会見で、「岐阜県や重ねて調査を受けた方々におわび申し上げたい」と陳謝。「テレビ報道とはこの程度のものかと視聴者に評価されたのではないか。その点について心苦しく思っている」と語った。3月初旬に氏家斉一郎取締役会議長に辞意を伝えたという。

 問題となったのは、昨年11月23日の放送。元土木建設会社役員の男の証言に基づき、岐阜県の土木事務所で架空工事を発注し、裏金づくりが引き続き行われている、などと報道。岐阜県の調査で、こうした証言が「虚偽」だったことが分かった。

 久保氏は問題の放送について、「岐阜県は裏金疑惑に対し、検証し襟を正してきた。その後の報道だけに幅広い取材や裏付けが必要だった」と述べた。さらに、「情報提供があった時の取材過程、取り上げ方、視点を含めてすべての問題の責任をとって辞職する。裏取りの不足や、取材の詰めの甘さだけを問題にしているのではない」と述べた。虚偽証言をした男への金銭の授受は「ないと報告を受け、そう信じている」とした。

 テレビ報道については、「この十数年で影響力が増大し、注目度が高くなった」と指摘。社内の危機意識の薄さが辞任につながったことを示唆した。

 久保氏は会見で、「バンキシャ」の放送打ち切りについて「新体制のもとで皆さんの意見をたまわりながら検討する」とした。この問題に関しては、NHKと民放で作る第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会が審理することを決めている。

 また、同日の賞罰委員会で、足立久男報道局長を出勤停止3日、役職罷免としたほか、報道局次長や番組プロデューサーら4人を懲戒処分した。久保氏は読売新聞経済部長を経て96年、日本テレビに転じ、05年から社長。昨年7月からは報道局を担当していた。

 「真相報道バンキシャ!」は02年から、毎週日曜午後6時に放送されている報道番組。いくつかのトピックを特集的に取り上げて番組を進めるのが特徴だ。元日本テレビアナウンサーの福沢朗さんとタレントの菊川怜さんが司会を務める。


台湾・民進党主席が来日

2009年03月17日 15時36分49秒 | 政治

中国が軍事大国化を進めるなかで、馬英九政権の誕生により「親中国」路線に転換した台湾は、まさに中国に飲み込まれようとしている。
そんな中、野党・民進党の蔡英文主席が来日して、日本に「地域のバランス役」になるよう要望した。
「台湾は日本の生命線」という言葉があるが、単に右翼の主張とは思われないリアリティを昨今は感じる。台湾が中国に併呑されれば、日本の尖閣列島の領有権は危うくなるに違いない。

そもそも、敗戦時、台湾を中国国民党政権に返還したこと自体が、二・二八事件という悲劇を生んだのだから、日本政府は再び同じ過ちを犯してはならないはずだ。

中国の手先であるかのような社民党、公明党などは、到底信用できない。そこで、蔡英文氏は自民党関係者とのパイプを重視するのだろうが、最近の自民党のていたらくを見て何を思うのだろうか。民主党・小沢一郎は、政権をとる直前に陳水扁のような状態になってしまった…・。


日本は地域のバランス役を 訪日した台湾野党主席が会見

2009.3.17 12:52

 台湾の野党、民主進歩党民進党)の蔡英文主席は17日、東京都内で記者会見し、東アジアでの日本の役割に関し、地域での影響力が増している中国との「バランス」を取り「経済、安全保障面でより指導力を発揮してほしい」と述べた。

 台湾は馬英九政権下で対中関係が改善したが、中国によって台湾の「主権」が損なわれないよう日本が「バランス役」になるよう期待。馬政権が中国との締結を急ぐ経済協定では、「一つの中国」の枠組みを受け入れることになるとして反対の意向を示した。

 蔡氏の訪日は昨年5月の主席就任後初めて。15-17日の滞在中、自民党の細田博之幹事長や日華議員懇談会(会長・平沼赳夫元経済産業相)のメンバーらと意見交換した。(共同)


「知られざる台湾~澎湖諸島」を見る

2009年03月17日 04時20分15秒 | 台湾
ディスカバリー・チャンネルで放送された「知られざる台湾」の第4回目「澎湖諸島」を見る。

澎湖諸島は、台湾海峡に散らばる島々。古くは「海のシルクロード」の時代から、海運の要衝として栄えた島だ。
現在、日本から澎湖諸島を訪れるパックツアーのような旅行はない。台北から国内航空便に乗り換えるか、高雄からフェリーを利用しなければならないので、3泊4日程度のツアーでは、時間がもったいないのだろう。

台湾の中でも過疎地とみなされ、カジノを開設しようとする動きも出ている。中台関係の緊張緩和がさらに進めば、大陸からの観光客が飛躍的に増加する可能性もあるので、静かなリゾート地の気分を味わうことができるのも今が最期なのかも知れない。





さて、肝心の番組だが、ちょっと意外な内容だった。澎湖諸島の海中には、謎の人工工作物があって、これを「レムリア大陸」のような古代文明があった証拠だというのだ。地元のダイバーと英国人がその証拠を探すために海中を探索したが、案の定、確証は得られなかった。
周知の通り、沖縄の与那国島にも「海底遺跡」と呼ばれるものがある。地震予知で知られた琉球大学・木村名誉教授は海底遺跡だと主張しているが、専門家の間では自然が造形したものだという意見が主流である。

澎湖諸島の自然環境は極めて厳しい。台風の通り道にあり、一年中強い風が吹く。
そのため、海難事故が数多く発生し、東洋の「バミューダ・トライアングル」と呼ぶ人もいるようだ。

澎湖諸島は、17世紀にオランダが拠点を築くが、鄭成功によって取り返される。日清戦争後、台湾島とともに日本に割譲され、1945年までは日本に統治される。その後、冷戦時代では、台湾海峡の緊張が高まり、台湾防衛の軍事的要衝として位置づけられる。李登輝氏の登場で台湾の民主化が始まり、ようやく観光リゾート地として人気が出る。

番組ではさらに「海底遺跡の謎」「英国人少女の幽霊が出る灯台の島」「居住放棄された島」など、興味深いエピソードが次々と語られる。
ちなみに、日本海軍の戦艦「三笠」はこの海域で沈没したため、今でも記念碑が建てられている。

歴史的に日本とは関わりの深い澎湖諸島だが、ここ60年、日中台の複雑な関係史のなかで、忘れられた存在になっていた。もっと注目されるべき場所なのだが…・

http://yoyotaiwan.boo.jp/ponn/koutuu.html
(澎湖諸島紹介のWEB)

金美齢氏の靖国参拝とは

2009年03月15日 14時11分28秒 | 歴史

youtubeで興味深い映像を見つけた。
5年前、靖国神社で行われた追悼式典の映像で、金美齢氏が何故、靖国神社に参拝するのかを語っている。

http://www.youtube.com/watch?v=ALfu0RWGG84&feature=related  (youtube映像)

終戦時、11歳だった金氏は、そのときまで「日本人」であり、日本の勝利を疑わない「軍国少女」だった。台湾にいた「兵隊さん」は、いつも金少女にやさしくしてくれ、台湾人を守ってくれた。「靖国で会おう」と言い残し、国のために散っていった彼らを、そのとおり靖国に奉るのは当然のことであり、それにとやかく言う日本人は「恥知らず」である。これに反対する外国人には「not your business!」(あなたの知ったことか!)と言えばいい、と喝破する。

私個人としては、学徒出陣を経験した親族が戦後二度と靖国神社に行かなかったことや、恩師である相沢久先生の著作(「現代国家における宗教と政治」)に親しんだ経験から、靖国問題については、いろいろな想いが交差する。だが、それらはこの金氏の発言の前にはかすんでしまうかのようだ。

会場からは、英語で靖国反対を叫ぶ声が起きるが、これに対して金氏は「Americans, get out of Japan and Yasukuni!」と言い返す。
この当時、金氏は民進党・陳水扁総統の政策顧問だった。その後、陳水扁総統は選挙に敗れ、不正蓄財の疑いで投獄されて現在に至っている。陳水扁氏を破った馬英九総統(中国国民党)は、中台関係をさらに強化しようとしており、徴兵制度の廃止を掲げている。まさに台湾の政治的自立さえ危ない状況になっているのだ。

台湾独立派」のリーダーとみなされていた金氏は、李登輝氏が登場する以前の台湾には入国さえできなかった。ようやく、李登輝総統になってから、長年の思いを祖国の人々に伝えられるようになったのだ。その意味で、金氏の靖国への思いは、普通の日本人よりも何倍、何十倍と重いに違いない。

台湾人が民主選挙で馬英九を選択したとき、金美齢氏は「不満の春にも花は咲く」※という一文を「産経新聞」に寄せた。議会制民主主義の選挙によって馬英九氏が選ばれた以上、これまでの努力は水泡に帰したかも知れないが、それはそれで仕方がない…と記されていた。

※ http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/d1188229980ca7c03f0d89162da34b95

あれから1年、民主化された台湾はどこに漂流していくのか?


台北の職人芸~木桶づくり67年

2009年03月15日 00時53分03秒 | 台湾

10年前だったら、まだ日本語世代が現役で活躍していた台湾だが、時の流れには逆らえない。
そんな中、興味深いトピックが流された。



日本人仕込み 職人歴67年…台湾・台北

木桶づくりの技 しごきに耐えて盗んだ


台北の店舗兼工房で、木おけを製作する林相林さん

 日本の植民地時代から70年近く、今も台北で木桶(おけ)を作り続ける台湾人がいると聞いた。日本では珍しくなった木桶職人。台湾に根付いた日本の職人魂に触れたくなり、うわさを確かめに歩いた。(台北 源一秀、写真も)

50歳の息子も「まだヒヨコさ。ガハハ」

 工房を兼ねたその店は、台北駅の近くにあった。

 風呂桶、洗面器、たらい、腰掛け、おひつ、おたま――。10畳ほどの店内に商品が高く積まれ、路上にもはみ出している。店の名は林田桶店。さびついて文字が判読しづらいブリキの看板が、繁華街の中で一際目立っていた。


創業当時から使っている「林田桶店」のブリキ看板

 「この看板は、私が生まれる1年前に初代店主の父が店を開いてから、ずっとかけっぱなしだ。さびついたんじゃなくて、箔(はく)がついたってこと。ガハハハ……」

 日本時代に生まれ育った林相林さん(79)は、流暢(りゅうちょう)な日本語を話し、そしてよく笑う。

 店のある一帯は、戦中まで総督府の職員などが住む日本人居住区だった。「林田」の屋号は日本人に親しみを持ってもらうため、父がそう名付けたという。

 林さんは台北の小学校を卒業後、約30キロ離れた基隆市で木桶の製造・販売店を営んでいた神戸出身の職人、鳥井千代松さん(故人)のもとへ住み込みの修業に出された。12歳の時だった。

 「桶職人の親を持つからには、それが当然だと思っていたけど、あんな目に遭うなんてね」

 明治生まれの鳥井さんは、「誰よりも良いモノを作ったけど、おっかない人」だった。ヘマをしでかすと「このバカ野郎!」と雷が落ちる。

 毎朝5時に起き、鳥井さんが起床する7時ごろまでにカンナの刃を研ぎ、道具を整えなければならない。

 仕事は深夜の12時ごろまで。「食事、トイレ、風呂以外は休む暇がなかった。今なら労働基準法違反だ。ガハハハ……」

 木材の切り出しからカンナがけ、組み立て、木の調整――。単純作業に見えても、確実に仕上げるには年季が必要だ。鳥井さんに時々コツを尋ねたが、「すぐに『バカ野郎! 何度言ったら分かるんだ!』って。初めて聞いてもそう言うんだよ、ガアッハハハ……。だから師匠の手元を見て技術を盗んだんだ」

 鳥井さんの元を離れたのは、住み込みを始めて3年後。基隆が米軍の空爆を受けた1944年末だった。

 「米軍機が爆弾落とし始めてね。みんなでトンネルに避難したら、師匠が追っかけてきて『お前、店ほったらかしてどこ行くんだ!』って。日本の職人ってすごいって思ったよ。でも、私は台北に逃げ帰った。ガハハハ……」

 鳥井さんは戦後、帰国して亡くなった。「今も頭が上がらないよ。あのしごきがあったからこそ、激しい競争に勝ち残れたんだ」

 終戦から3年。林さんは18歳で父から店を引き継いだ。台湾でも木桶は生活必需品だったが、60年代に安いプラスチック容器が登場すると、台北に約30軒あった同業は相次いで廃業に追い込まれていった。林田桶店はいつの間にか、台湾で唯一と言われる製造・販売店になった。

 「木桶の価値はまだある、意地でもやめるかって頑張ったよ」

 最近は美容や健康に敏感な女性を中心に、木桶を求める人が増えている。「手入れをすれば、どれも10年以上使える。お湯は冷めにくいし、木の香りもして、風呂桶なんて最高だよ」

 この人にかかっては、30年以上も一緒に店を支えてきた3代目、息子の煌一さん(50)も出る幕はない。

 「こいつはヒヨコさ。まだ店は譲れないな。ガハハハハ……」

2009年3月13日  読売新聞
 
日本のマスコミが台湾に関する報道を自己規制しているうちに、時はどんどん過ぎ去っていく。
 

澎湖諸島にカジノができる…

2009年03月13日 17時18分57秒 | 台湾

かつて鄭成功が活躍した時代から、交易、軍事の要衝として知られた澎湖諸島だが、ここにカジノを開こうとする計画が進められている。
台湾海峡の真ん中にある澎湖諸島は、大陸中国とは極めて近いが、現在は直行便が運行されていない。だが、馬英九政権になってから、台湾と中国は急接近しようとしている。
静かなリゾート地が大陸からの賭博客であふれる前に、ぜひ、澎湖諸島を訪れたらいかがだろうか。

 

カジノに賭ける経済振興

 

地図アジアのカジノの現状 ※写真をクリックすると拡大します 写真ほとんど外観はできあがっていた大規模カジノリゾート群(中央)の開発が金融危機の影響で中止となり、工事の灯が消えた。右は世界最大級のカジノ「ベネチアン」=マカオ・コタイ地区、奥寺写す

 経済振興を狙ったカジノ開設の動きがアジアで活発化している。台湾では今年1月に住民投票を条件に離島のカジノ開設を認める条例が可決された。シンガポールでは今年、初のカジノが開業する。ただ、世界的な景気低迷もあって、近年カジノ景気に沸いてきた本場マカオでは開発の中断や客の減りも目立つ。カジノの導入は文字どおり「賭け」になりそうだ。

■離島限定、住民投票で 台湾

 カジノの設置を住民投票で決めよう――。そんな条例が1月、台湾の立法院(国会)で成立した。過疎などに悩む離島に限って投票の過半数の賛成を条件にカジノを認めるものだ。

 住民投票の第1号に確実視されているのが、澎湖(ポンフー)諸島。台北から50分のフライトで、美しいビーチの島々、新鮮な海鮮料理……。しかし、秋から冬は強い季節風のため閑古鳥が鳴く。島の海豚湾ホテル・鄒秀成マネジャーは「カジノがあれば季節に左右されない集客力がつく」と力を込めた。

 600億台湾ドル(約1650億円)の投資で二つのカジノを建設。現在年間50万人の観光客を300万人に引き上げ、人口9万人の島で1万人の新規雇用を創出する――そんな青写真を描く澎湖県は、夏にも住民投票の実施に踏み切る構えだ。治安の悪化や環境汚染を心配するグループもあるが、賛成多数の通過は確実視されている。

 王乾発・同県知事は「我々は日本や韓国、香港から3時間以内という地理的な優位性がある」と話し、住民投票の成立を待って誘致活動に乗り出す構えだ。


日本統治時代の「御料車」公開~台湾鉄道管理局

2009年03月12日 18時34分30秒 | 台湾

またまた驚くような台湾からのニュース。
台湾鉄路管理局が、日本統治時代の皇室専用客車「御料車」を公開するという。
現存する客車は「国宝級」の文化遺産として保存されているという。

ここで思い出すのが、旧満鉄の超特急「アジア号」。昨年、このアジア号が見られるというので、瀋陽まで出かけた。瀋陽駅近くにある、窓ガラスが破れた倉庫に行くと、雑然とした中に赤さびの吹き出たアジア号が横たわっていた。

中国では、「アジア号」でさえ、「日本帝国主義」が中国を侵略した「証拠品」程度にしか考えていないのだ。したがって、「文化遺産」として保存しようなどとは夢にも思わないのである。

台湾と中国のこの大きな違いをきちんと覚えておく必要があるだろう。

 

統治時代『御料車』公開へ 台湾鉄道当局

2009年3月12日 夕刊

映像で一般公開される皇室「花車」(台湾鉄路管理局提供)

写真

 【台北=栗田秀之】日本統治時代の台湾で製造された皇室や総督用の客車と、戦後に製造された総統用の客車を一般の人たちに親しんでもらうための作業が、台湾鉄路管理局(台鉄)の手で進められている。総統用客車は復元して実際に運行し、皇室や総督用客車は外部を公開し、内部は映像で紹介する。

 これらの客車は「花車」と呼ばれ、それぞれ各一両が現存する。「国宝級」の文化資産として、厳重に保管されている。

 皇室花車は一九一二(明治四十五)年に製造された。車体にはチークを使い、内部はクスノキとヒノキで「芸術的な宮殿のような」(台鉄)装飾が施されている。二三年、当時皇太子だった昭和天皇が台湾西部を視察した際に乗車された。

 総督花車は〇四年の製造。台湾総督のほか総督府高官の視察などに使われた。総統花車は蒋介石の視察用に六九年に改造された車両だが、結局総統として乗車したのは李登輝元総統だけだった


「二・二八事件~『台湾人』形成のエスノポリティクス」

2009年03月12日 16時53分10秒 | 
何義麟著「二・二八事件~『台湾人』形成のエスノポリティクス」(東京大学出版会 2003年)を読む。

本書の冒頭で著者は、次のように言う。
「平野健一郎の新エスニシティ・モデルを使えば、…二・二八事件を通じて台湾人は、ネイションとしての「中国人」になることなく、むしろ「台湾人」というエスニック・アイデンティティが強化された。さらに、ここにおいて戦前における植民地の差別体験が繰り返されることにより、台湾人は中国の国家機構と適合せず、分裂傾向を持つ集団になったのである。つまり、「台湾人」の形成という政治過程が展開したと考えられる。」(p.7)


二・二八事件―「台湾人」形成のエスノポリティクス
何 義麟
東京大学出版会

このアイテムの詳細を見る



本書の要旨はここにあると考えるのだが、「エスニシティ」「エスノポリティクス」などという仰々しい専門用語にはやや違和感を覚える。だが、本書は学術論文として書かれたのだから、仕方ないのだろう。
1945年以前の日本統治時代を台湾人の側から見た前半部分、そして1945年から1947年の「二・二八事件」に至るまでの、陳儀政府による「訓政政治」に対する台湾人の反発、1949年以降「中華民国」の台湾への移転から現在の民主主義体制に至るまでの政治が、具体的な資料に基づき詳しく記されている。

本書に記された「台湾人」の概念を念頭に置けば、何故いま映画「海角七号」が大ヒットしているか、その理由を理解することができる。この映画の監督である魏徳聖氏がインタビューの中で、台湾のエスニシティについて語っているのも示唆的である。

国際政治の場では、台湾はすでに中国によって土俵際まで追いつめられている状態だ。馬英九政権の登場で、中台の一体化はさらに進められるだろう。こういう状況を好転させるためには、「台湾人」というエスニシティの概念が有効に働くと考えられる。「台湾人」の概念が確立していれば、それは「チベット人」「ウィグル人」と同列に位置するのだから、中国共産党による「大中国」「ひとつの中国」の幻想に対抗する武器ともなりうるのだ。

使用言語の区分でエスニシティを解説した台湾の論文では、日本語もそのひとつとして数えられている。そう、日本統治時代の遺産も彼らはきちんとプラスに取り入れているのだ。



映画「海角七号」サウンドトラック盤を聴く

2009年03月11日 18時34分06秒 | 音楽・映画
台湾で大ヒット中の映画「海角七号」のサウンドトラック盤(CD)が届いた。



海角七号 映画オリジナルサウンドトラック(台湾盤)

Forward Music (TW)

このアイテムの詳細を見る




このサウンドトラック盤CDは、初回プレスのみ(?)特別なパッケージで発売された。
映画のストーリーどおり、「台湾恒春郡海角七番地 小島友子様」と書かれた小包になっていて、日本の切手も貼ってあり、差出人は「日本 宮崎県宮崎市江平町一丁目3番地8」と書かれている。小包はヒモで結ばれていて、「海角七号」と書かれた荷札が付いている。
小包を開けると、「小島友子」に宛てた七通の情書(ラブレター)が入っている。
映画の中ではすべて日本語でナレーションされた内容だが、ここでは中国語に訳された手紙として入っている。


 (小包の形をしたCDケース)
 (CDケースの裏側) (CDを入れた袋が「小島友子」宛ての封書になっている) (CDを入れた袋の裏側)


なんと凝った装丁だろうか! 台湾人のこの映画に対する思い入れの深さが実感として分かり、何とも言えない気持ちになった。
45分のトラック中、半分以上が日本語というこのCDだが、日本でもっと売れないものだろうか? もちろん、映画が公開されれば、大きな反響を呼ぶことは間違いないのだが、今は公開のメドさえ立っていないようなのだ。






台湾・馬英九総統が「おくりびと」を鑑賞

2009年03月10日 19時51分16秒 | Weblog

台湾・馬英九総統が、映画「おくりびと」を鑑賞したというニュースが伝えられた。

馬総統が「おくりびと」鑑賞=対日関係強化で「映画外交」-台湾

 【台北8日時事】日本映画「おくりびと」が米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したのを受け、台湾の馬英九総統は8日、台北市内の映画館に日本の対台湾窓口である交流協会台北事務所の齋藤正樹代表ら日本人関係者を招待し、ともに鑑賞した。
 馬政権は今年を「台日特別パートナーシップ促進年」と位置付けて関係強化を図っており、日本側関係者を招待することで、日本に対する友好の意を示した。馬総統は鑑賞後、「大変感動した」と記者団に感想を述べた。 
 「おくりびと」は「送行者」との中国語タイトルで台湾全土で上映されている。台湾紙の自由時報によると、同映画は受賞以来、行列ができるほどの人気になっており、台北市内の映画館では過去3年間でチケットの売り上げが最も好調という。(了)


馬英九総統は、外省人で中国国民党に属し、中国寄りと見られている。中国の脅威は減少したとして、徴兵制度の見直しにも言及している。台湾の独自性を主張する民進党は、これに対して難色を示していると伝えられる。

映画「海角七号」の大ヒットを見ても、台湾人の日本に対する評価は決して悪くない。
馬英九総統にとっては、「おくりびと」を鑑賞することで、多数を占める本省人の感情に配慮してように思われる。

 

 


中国で「繁体字」の使用再開を提案

2009年03月09日 18時10分26秒 | 中国

現在、台湾と香港で使われている漢字、すなわち「繁体字」について、興味深いニュースが流された。

全国政協委員、繁体字の使用再開を提案

2009年3月9日14時56分

 全国政協委員の潘慶林氏は今年の両会で、現在中国で使われている簡体字を今後10年間で段階的に廃止し、繁体字の使用を再開することを提案した。「繁体字の利用は中日文化交流にも役に立つ」と潘委員は指摘する。


 天津から来た潘委員は、1985年から1989年まで日本に留学した経験を持つ。日本を訪れた昨年9月28日には、日本僑報社が創設した日曜中国語会にも参加し、日本人参加者との交流も行った。潘委員はこの中で、中国と日本はいずれも漢字を使う隣国同士であり、両国関係はとても重要だとの認識を示した。潘委員はさらに、日本僑報社の開催する中国語会を評価し、中国文化の学習に対する日本の人々の熱意や日本人が繁体字を使用していることに感動をおぼえたと語った。潘委員はその後、さまざまな調査と研究を経て、繁体字使用の再開に向けた議案を政協会議に提出した。


 潘委員は議案の中で、繁体字の使用を再開すべき理由として次の3点を挙げている。(1)50年代に行われた漢字の簡略化はあまりに大ざっぱで、漢字の芸術性や科学性に反するものだった。例えば、「愛」という字は簡略化の際に「心」が省かれたが、これでは「心のない愛」ということになってしまう。(2)繁体字は以前、「あまりにも複雑で学習にも筆記にも向いておらず、漢字の普及に差し障る」と考えられていた。だが、多くの人がパソコンで漢字を変換する現在、複雑であることのデメリットはほとんどなくなり、簡体字の存在意義も徐々に失われつつある。(3)繁体字の使用再開は大陸部と台湾との統一に役立つものとなる。台湾では依然として繁体字が使われており、これを「正体字」と呼んでいる。「正体字」を世界無形遺産に申請しようとの動きもある


日本では、倉石武四郎をはじめとする中国文学者が、「新中国」の「簡体字」を支持して、岩波書店から発音表記の「中国語辞典」を出版したりした。大陸中国では、漢字(繁体字)が支配階級・知識人の「支配の道具」であるという主張から、漢字の簡略化に踏み切ったのだが、例のごとく日本でも追従者がいたのだった。

「簡体字」の本家である中国から、上記のようなニュースが飛び込んでくるとは、本当に驚かされた。パソコンの普及が理由に挙げられているが、確かに中国は豊かになったという証左だろうか。

しかしながら、そこはしたたかな中国のことだから、「繁体字」使用の提案が、台湾への懐柔政策である可能性も棄てきれない。


WBCの選手名表記

2009年03月07日 02時14分44秒 | Weblog
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のアジア予選台湾×韓国をJ-SPORTSチャンネルで見た。
台湾を「チャイニーズ・タイペイ」と表記するのは、オリンピック方式なので仕方ないとしても、両国の選手名の表記には大きな疑問がわいた。

日本と台湾(あるいは中国)との間では、個人名表記は「相互主義」とも言える立場がとられている。すなわち、双方とも漢字表記なので、漢字はそのまま表示して、読み方は双方の発音をすることになっている。しかし、今回のWBCでは、台湾・中国人の人名もカタカナ表記しているのだ。たとえば、「張」は「チャン」、「李」は「リー」などと表記される。「カオ・コーチン」などと書かれても、それが「郭岱」なのかどうか、即座に分からないのだ。上述の日中(台)間での取り決めを反故にして、しかも表意文字である漢字の利点を棄ててまで、こんな表記をする理由が全く分からない。

日韓間では、韓国が漢字表記を嫌っていることもあり、原音を表記することになっている。「金正日」は、日本では「キムジョンイル」と表記し、韓国語ではハングルでキムジョンイルと書くことになっている。だが、これも表意文字である漢字の美点を無視したやり方で、できれば「金正日」と漢字で表記し、キムジョンイルとふりがなを振るのが望ましい。(余計なことだが、キムジョンイル氏の第4夫人「キム・オック」は、漢字表記すると「金玉」。これは日本語読みするとやはりマズイ…。)

台湾×韓国戦の個人名表記は、台湾人は漢字で表記し、これを読む日本人は日本語の読み方でOKとする。韓国人については、カタカナ表記で可とする。これが正しいやり方ではないか、と思った。