武士道
2007-03-04 | 文芸
本屋の郷土コーナーに、同名の本「会津武士道」が並んでいた。少し立ち読みした ○ 星亮一著「会津武士道」のサブタイトルは -「ならぬことはならぬ」の教え-。これは、会津の武士道の精神を終生貫いた山川健次郎の生涯を書いたもの。隣には「白虎隊と会津武士道」も並んでいた。もう一冊は ○中村彰彦の著になる「会津武士道」で会津武士道が時代の変革と共にどのように発現されたかを考察したもの。その横には「武士道の教科書(現代語新訳日新館童子訓)」もあり興味が湧いた。これらの著作は、多分、今の時代に何かかけるものを訴えたいものなのだろう。
新聞を広げると、窃盗、強盗、親や子同士の殺人、金儲けのため種々の詐欺、不法談合等など、毎日考えられない事件や事故が載っている。確かに最近の社会風潮は変わった。考えられないようなことをする人種が生まれている。教育はもちろんだが、家庭も、政治もおかしい。日本社会はどこへ向かっていくのだろうか。
新渡戸稲造は著書[BUSHIDO]の中で「日本の知性と道徳は、直接的にも間接的にも武士道が作り上げてきた物である」と言っている。失われた徳育、昔確かにあった日本人の底に流れる武士道精神を見つめることも必要かも知れない。
はびこる拝金主義には良寛の教えを、失われた美徳には新渡戸稲造をと思う。ときどきは、立ち止まり自分自身の精神、生き様を見つめてみたい。
花巻市に花巻新渡戸記念館」を訪ねた折りに
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「新渡戸稲造の生きざま尊敬」 (1999.12)
五千円札の肖像にある新渡戸稲造の記念館を訪ねた。私が彼を初めて知ったのは、剣道に明け暮れた学生時代に読んだ岩波文庫「武士道」であった。同じ頃購入した全集第八巻「一日一言」は人生如何に生きるかの教訓としてしばらく座右に置いていた。
「われ太平洋の架け橋とならん」で知られる国際人の稲造が、農政学者であり教育者であったこと、さらに新渡戸家が花巻の出身であったことを今回初めて知ることができた。
稲造の母は、明治を生き抜くには学問が必要だと激励した。そして上京して偉くなりなさいと。稲造はそれに応えた。確かに深い学識、行動力、人を愛する信仰心などすべてが尊敬の的であるが、彼の妻が語る思い出に心を打たれた。彼女は夫の生涯にわたる最高度の努力を語っていたのだ。時折彼は「私は、もっと苦しまなければ先祖にすまない。」と妻を悲しませたという。天賦の才能の陰には常に努力があることをまたも知らされた。
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新聞を広げると、窃盗、強盗、親や子同士の殺人、金儲けのため種々の詐欺、不法談合等など、毎日考えられない事件や事故が載っている。確かに最近の社会風潮は変わった。考えられないようなことをする人種が生まれている。教育はもちろんだが、家庭も、政治もおかしい。日本社会はどこへ向かっていくのだろうか。
新渡戸稲造は著書[BUSHIDO]の中で「日本の知性と道徳は、直接的にも間接的にも武士道が作り上げてきた物である」と言っている。失われた徳育、昔確かにあった日本人の底に流れる武士道精神を見つめることも必要かも知れない。
はびこる拝金主義には良寛の教えを、失われた美徳には新渡戸稲造をと思う。ときどきは、立ち止まり自分自身の精神、生き様を見つめてみたい。
花巻市に花巻新渡戸記念館」を訪ねた折りに
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「新渡戸稲造の生きざま尊敬」 (1999.12)
五千円札の肖像にある新渡戸稲造の記念館を訪ねた。私が彼を初めて知ったのは、剣道に明け暮れた学生時代に読んだ岩波文庫「武士道」であった。同じ頃購入した全集第八巻「一日一言」は人生如何に生きるかの教訓としてしばらく座右に置いていた。
「われ太平洋の架け橋とならん」で知られる国際人の稲造が、農政学者であり教育者であったこと、さらに新渡戸家が花巻の出身であったことを今回初めて知ることができた。
稲造の母は、明治を生き抜くには学問が必要だと激励した。そして上京して偉くなりなさいと。稲造はそれに応えた。確かに深い学識、行動力、人を愛する信仰心などすべてが尊敬の的であるが、彼の妻が語る思い出に心を打たれた。彼女は夫の生涯にわたる最高度の努力を語っていたのだ。時折彼は「私は、もっと苦しまなければ先祖にすまない。」と妻を悲しませたという。天賦の才能の陰には常に努力があることをまたも知らされた。
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