エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

逝きし世の面影

2009-01-13 | 文芸
               【渡辺京二著 「逝きし日の面影」(葦書房)】

 渡辺京二著の「逝きし世の面影」を読んでいる。
 正月早々に、短大に暮れから借りていた本を返却に行くと、司書の方が「逝きし世の面影」を持参してくれた。暮れに検索し、書架を探したが見つからなかった本だ。有難かった。同時にかなりボリュームのある立派な本に驚いた。しばらく炬燵にあたり、じっくり読もうと思っている。

著者・渡辺京二氏は、著作の意図は「文化は生き延びるが文明は死ぬ。一回限りの有機的な個性としての文明が滅んだ。意図はただ、ひとつの滅びた文明の諸相を追体験すること。それは、古き良き日本の愛惜やそれへの追慕でもない。」と語っている。江戸文明と俗称される古い日本の生活様式である。「近代以前の文明が変貌しただけで、同じ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いているというのは錯覚で、このような日本の文明は、すでに逝ってしまった」と。
 
 この時代を見つめる欧米人の残した膨大な記述資料が丁寧にまとめられている。幕末から明治初期にかけて来日した欧米人が見た日本は、貧しくてもだれもが微笑み、楽しげで、子供をとても慈しむ完成された社会だったようだ。日本に来た外国人が日本人の暮らしを羨んだ実に多くの記述を見る。この国民がたしかに満足しており、幸福であると書かれている。それは、互いに助け合い、支え会い、ともに生きていこうとする「暮らし」だろう。

 かつて日本の地を踏んだ欧米人の鮮烈な印象だが、今を生きる我々がタイムスリップしても、同じ印象をいだくのかも知れないと思った。と同時に、今の時代の幸せ度を再点検したいと思った。多くの異邦人が見た日本の自然、人々の生活、文化はたしかに素晴らしかったのかもしれない。

 ある記述には、日本人は「貧乏人は存在するが貧困なるものは存在しない。」とある。貧しいが、人間らしい満ち足りた生活があったのだ。理解出来るような気がする。
「炉辺に一束の薪、嚢中に三升の米」で十分と詠った良寛を思う。家具ひとつない部屋で、しかも厳寒の山中での生活はどんなに辛いものであろうか。実は、多くの国民が同じであったと思う。その時代から、我々の失ったものを考えると、質素、忍耐、そして怠惰、贅沢などの言葉が浮かんできた。

 彼の意図するように江戸文明の、彼の言う「奇妙な特性」の諸相をしばらく見つめてみたいと思う。