昨年は太宰治や松本清張の生誕100周年だった。
今年は、黒澤明の生誕100周年という。
父も100年前の今日、明治43年3月5日に産声を上げた。
たまに父を、母を思い出すが特別な日だ。
父は家業を継ぐべき人だったが、師範学校へ進んで教師の道を歩んだ。
その後、思いあって郷里を離れた青年の人生は波乱に満ちたものだった。
年号が改まった年に亡くなったから、今年は23年回忌になるのか。
久しぶりに、父が子どもたちそれぞれに残してくれたアルバムの1冊を広げた。
父が独特の編集をした記録はかけがえのない宝物だ。若き日の、わが子の成長を願う父の、母の思いがいっぱいに詰まっている。
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いつか書いたエッセイ
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父の残したアルバム (2005.11.16 朝日新聞・福島)
父は三人の子供達それぞれに数冊のアルバムを残してくれた。アルバムを整理しながら自分の小学校時代の一冊に見入った。
その見返しには、父の字で「 十年、二十年、あるいは三十年を過ぎた暁にこのアルバムは価値あるものになるであろう。何も贈り物らしい贈り物を出来ない貧しいお父さんの残す唯一の記念品です。幼き日の思い出が成人ののちに何らかの詩情を併せてほのかに浮かぶとき、人間の美しい魂がよみがえる。歌を忘れたカナリヤにはなりたくないね。いつの時代にも永遠にロマンチストであることが大切だよ。 」と書かれてあった。
一枚一枚の写真の傍らには、父のコメントが書かれていた。セピア色の写真を見ながらその文字をたどると、清らかに精一杯に生きた少年の日々が、また、それらを見つめる在りし日の父の姿が想像され胸が熱くなった。
人生をさりげなく歌う陽水の歌「人生が二度あれば」をCDで聴きながら、ふと父の人生を、そして自分の人生を思った。
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