4/13、もうすでにいない母の誕生日だ。父は、明治生まれで、一昨年が生誕100年にあたり、
三つ違いの母は大正2年生まれ、元気でいれば今年は数えで100才になる勘定だ。
兄弟の誕生日はおぼつかないが、両親の誕生日、命日は忘れないものだ。
母の人生を考えた。幼いころが断片的に思い出された。
思えば、両親との生活は高校まで、遠い大学へ進学してからは、年に何回かしか会えなかった。
勿論、兄弟同士も同じこと、家族、家族といっても、一緒に過ごした時間はなんと短かったことか。
核家族で、それぞれに別れて新しい家族を作るのが当たり前の社会、当然そうなのか、とあらためて思った。
晩年、母は年に1,2度、郷里会津の我が家に1ヶ月ほど滞在するのが常だった。
同居する兄の元を離れての日々、小さかった孫たちとどう過ごしたのだろうか。母の嬉しそうな姿が鮮明に思い出された。
まだ桜にも早いが、思いついて、端午の節句の鎧甲飾りを出してみた。金屏風の裏には、息子の誕生した〈昭和47年4月福島にて〉とあった。
あれから40年、今は子供たちが、それぞれに同じようにお祝いをしている。
我が子は3人とも、都会にあこがれることもなく近くにいる。子たちはどう思うか分からないが、孫に囲まれての平和な日々、幸せなことだ。
きょうも、思い出す母と話をし、今の幸せを報告した。大事に今を生きなければと思う。
ときどきYou Tube で 「無縁坂」を聞いている。
http://www.youtube.com/watch?v=hgiFSSVWsQE&feature=fvwrel
そこには「運が良いとか悪いとか~」とあるが、母はどうだったのだろうか。
過ぎし過去は戻らないが、曲を聴きながら、ときどき母と、父を懐かしく思い浮かべている。
悠人くんの初節句に、兜の飾りを贈りたいと思っている。まだ、兜はないがリハーサル、陣羽織を着せてスナップを撮った。
隣の部屋で孫たちと妻の会話が聞こえる。いつも忙しい朝だが、孫たちも今日も元気に登校していった。