むかし「時間どろぼう」という言葉があった。ヒャエル・エンデ作の「モモ」だ。
きのう夕方、なんとなしにテレビを見ていると、再放送番組だろうか「たけしのニッポンのミカタ」をやっていた。
テロップに《時間どろぼう》の表現を見つけたのだ。
番組のテーマは「時間の達人になれ」、いい番組で、「時間」の認識を新たにさせられた。
今も本棚の隅にモモが見える。岩波書店の「モモ」の表題には
「時間どろぼうと、むすまれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語」とある。
少年文学全集で、漢字にふりがなが振ってある。
一時、時間に追われ人間本来の生き方を忘れている現代の人々に、時間の本質を問う傑作はベストセラーになった。
エンデ本人が言っている。「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったと。
経済優先の新政権政策は、結局はお金、お金の思想だと思う。それは別として、「時間」が豊かさの一要因に違いない。
けっして忙しくはないが、無駄な時間を過ごしていることは事実だ。
ときどきは,残された日々を少しでも豊かなものにしたいなどと反省はする。
PCのショートカットに新しくファイル「目標、豊かな時間」を準備した。
小学生のような純粋な気持ちで、ときどきの反省や悔いを入れることにしよう。