エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

 懐かしの愛車

2015-02-05 | 日々の生活

 

 しばらく乗ったボロ車を捨てて、最近新しい中古車に乗り換えた。これまで何台車を替えただろうか。

その折々に乗ったマイカーを思い出しながら、流れた月日の速さを思った。

 先ずは初めて乗ったトヨタカローラ、懐かしい青春が甦ってきた。

 周囲の反対を押し切って、新婚間もない都会での化学会社勤めをやめてふるさとの教員に。大きな人生転換となった。

 初任地は川俣、その頃松川から岩代川俣までの川俣線に乗った覚えがあるが、この鉄道はたしか赴任した年に廃止となった。

 子供が生まれた川俣ではじめて求めた車がトヨタカローラだった。小さい子どもを乗せ花塚山を巡った40数年の昔が浮かんできた。

   色あせた40年前の写真 この息子も3人の子に恵まれた。

 その頃の住まいの裏には広瀬川が流れていた。川沿いの細い道から立派な裏門をくぐった。縁あって、当時の町長さんの屋敷の離れをお借りしていた。

 ふと、懐かしき川高讃歌を思いだした。
    ”紅き東雲 ポプラに生えて 静寂を破る鐘はひびくぞ 
            伝統薫紅葉が丘に 希望に燃えてああ集い来ぬ
 生徒が作ったというこの讃歌、変調の3番は特に美しく、忘れていた歌を口ずさんだ。
    ”花塚はそびえ広瀬はめぐる 春日の森の学び舎よ 
           ああうるわしき集いの庭に 理想の花は 今や清く先なん
 そして最高の盛り上がりの4番へ、6年間の勤務で何度歌っただろうか。
    ”讃え見よわれらが記章 紫雲にさゆる楓の光 
           種々の厚き教えは 花とかをらんとこしえに
 懐かしさに込み上げるものがある。

 つい脱線したが、毎年夏休みには、このカローラで未だ高速のない長距離を妻の里信州へ向けて走った。

 次に乗り換えたのはマツダのグランドファミリア、これもいろいろな思い出がある。

 ある日曜日、太平洋を見に行った浪江からの帰り道、降り出した峠の雪道でスリップして橋げたにぶつけて大破してしまった。

 幼い3人の子どもも乗っていた。少し間違えば断崖から真っ逆さま、今の我が家族はなかっただろう。息子はおぼろげながら覚えているという。

 ふるさと若松へ戻ってから、真っ赤な新車スバルレオーネを購入した。これはずいぶん走ってくれた。

 レオーネ スキーへお出かけ

 単身赴任のいわき植田と自宅間の150キロを毎週4年間通った。転勤間近、早朝の石川町でスピード違反で捕まったことも思い出してしまった。

 最後は免許を取ったばかりの浪人中の息子に譲った思い出深い車だった。

 再び会津に戻ってから求めたトヨタのプロミネントが4台目、その後転勤した喜多方へも通った。

 この車は内装も走りもすべてが高級で、あらゆる機能を備えていた。高速道でのオートドライブ機能はよく覚えている。

 これも通勤時塩川の雪道でスリップし、人家のブロク塀にぶつけたことがあった。いろいろあったな~。

  V6エンジン プロミネント (ようやく見つけた写真)

 そのあと5台目は...スバルレガシーセダンB42500cc良い車だった。そしてここ5~6年は古い中古レガシーワゴンで山野を駆け巡った。

 この車、エンジンはまだまだだが、先日フロントガラスに飛び石を受けてヒビが入った。寒くなりいよいよヒビは広がり乗れなくなった。

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 僕は、山だけだから・・・と思っていたが、妻にどこにもいけない!とせかれてついに7台目を求めた。 

 今度はレガシーランカスター V6 3000cc。今まで履いていたタイヤも有効だ。

 昔のアルバムから車の写真を探した。車の写った写真は案外ないものだ。 

 車の写真を探すうちに、ずいぶん昔の、楽しかった家族の思い出に時を忘れてしまった。

 かつての愛車を振り返るに、新車を求めたのはレオーネだけで、あとは成り行きで中古車を乗り継いできた。

 1台1台の愛車を思い出していると、瞬く間の小さな人生が流れた。それぞれに懐かしい思い出が一杯だ。

 歳も歳、あと何年乗れるか分からないが、多分最後の車になるだろう。これまた、よい思い出を作ってくれるだろう。大事に乗ろうと思っている。