眺める今朝の庭は、夜半に降り積もった淡雪に朝日が燦然と輝き、心が洗われる思いだ。
書斎からの景色はいつも心のやすらぎだが、今年は雪が少なく、味気ない庭の木々は久々の雪を待っていたかのようだ。
雪を踏んで庭へ出ると風はない。真上の桐の枝を見上げると、青空に薄いもやが流れひときわ美しかった。
枝の雪は陽の光に枝を離れ、ときおり粉のようにちらちら舞い落ちた。
この砕け散る美しい雪の粉の輝きに、感動のシャターを切った。 これを風花(かざはな)というのだろうか。
自然の織りなすこの感動は、冷たい澄みきった空気を温める春の光から生まれたのだろう。
でも、この輝く雪のドラマはわずかの時の流れに消えてしまった。
ひととき眼に映ったあの美しい感動の記憶をたどった。
”我が生何処より来たり 去って何処にかゆく”と、良寛の根源的な問いが浮かんだ。