エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

オオルリシジミに再会

2017-05-29 | 日々の生活

 

 法事の翌日は、遠距離の帰宅を前に堀金のあづみの公園をたづねた。

 1日遅れでオオルリシジミとの再会を果たすことができた。

 数頭のオオルリシジミがクララの周りを舞い、ときおり産卵風景を撮影することができた。

     

  産卵

     

      

 一つは3年ぶりの同じ場所での再会だったが、半世紀ぶりの再会でもあった。

  あの日、今は絶滅の危機にあるオオルリシジミが舞う池畔で、小山教授の「生物学概論」の野外授業を受けていた。

 常田池の畔にクララの周囲を美しく舞うオオルリシジミ、あの青春を過ごした半世紀前の情景が、昨日のことのように目に浮かんできた。

 

納骨を終えた夕方、原山の裏のたんぼ道を歩いた。

    

 

   フタスジチョウ

 

信州での束の間の日々を、脳裏の片隅に刻んだ。 (2017.5.27~28)

 


信州昆虫資料館を訪ねる

2017-05-29 | 日々の生活

 

 春浅い日に、妻の実家の義兄を亡くした。あれから49日、義姉を元気付けるため納骨の法要に信州を訪ねた。

 前日は、あづみの公園にオオルリシジミの撮影を計画していたが、生憎の雨降りで予定を変更した。

 

【 上信越自動車道 妙高Pで 】                                            【 長野道 姨捨P 善光寺平 】

 

 前から一度行って見たかった青木村の信州昆虫資料館を訪ねた。

 田沢温泉から約3.5㎞の山奥、以前、春の雪の中をなんとか訪ねたときは、途中の看板で休館日を知り断念した。

   近道は落石のため通行止め   

 その日も梅雨を思わせる雨、鬱蒼とした霧の立ちこめる細い山道を恐る恐る進み、ようやく立派な建物にたどり着いた。

 「こんにちは!」フロントで大声を出すも誰も出てこない。勝手に入ると、ロビーには昆虫標本がずらりと並んでいた。

 何度か大声を出すと、ようやく事務室から館長の野原さんが・・・、入館料を払い、来館者に記名した。

 

 

 館長さんに立て続けに質問を投げかけると、名刺交換で昆虫老人と知り、気さくに館内を案内して下さった。

 数々の標本を前にしているうちに、我が少年、青年時代の懐かしい情景が浮かんできた。

 タイムスリップしたような不思議な感覚だった。

 「チョウと森の仲間たち展」の部屋には、未だお会いしたことのない上田のHさんご夫婦の写真も展示されていた。

 閉館間際の来館者にもかかわらず、丁寧に各展示部屋を案内して下さり、はからずも事務室に案内され、Suさん、Ookaさんたち、同好の士との昆虫談義となった。

 初対面にもかかわらず、今心砕いている共通の話題「ヒメシロチョウの保護」についての意見交換の場となった。

 

 

 本来、昆虫少年で、標本も一通り作製してきたが、今は保護運動に心血注ぐ身、虫の命を絶つ標本の意義についてはいろいろ悩んでいた。

 そして、この施設がどういう理念の資料館なのか、心の整理が必要だった。

 たまたま、代議士鳩山邦夫氏の追悼展開催中だった。 従来、彼が単なる虫屋との懐疑心を抱いていたが、少し理解できたようだ。

 昆虫採集の意義は、子どもたちに自然への慧眼のための入り口の一つとして、その意義は認める。

 ただ、ここに展示の美しいギフチョウが、ゼフィルスが、あのオオルリシジミが、それぞれ標本箱に数十頭も並ぶ光景はどうなのだろう。 

 学術的な意義はどれだけあるのだろうか。 美しいチョウたちを前にした現実を肯うことはできなかった。

 虫たちの自然界での生き生き活動する姿を思うとき、屍とかした標本に感動はあるはずもない。

 この小さな美しいチョウやトンボの命を絶つことの本当の意義は、これらの標本に隠れている。

 それらは今後の自然環境保全へのアプローチであってほしいとおもっている。

 館長さんから館報 No.14、名誉館長の小川原辰雄氏の「信州昆虫資料館;懐古と展望」に、恩師小山長雄教授の名前を見つけた。

 ひととき、先生の懐かしい顔が浮かんできた。

 この資料館の意義も、始めに危惧していた標本展示館ではなく、自然環境保護・保全のための学習、啓蒙、さらには研究の施設だった。

 資料館の年間の活動スケジュールを見ると、そうした理念を具現する企画であるようで安心した。 (2017.5.26)