いつも数冊を手に取り寝床に入る。手が冷えるのを我慢しての、しばらくの読書だ。
最近、気になる一文があった。
みなかみの激(たぎ)ちの音もうたがはずひとつの山に老ゆるしづかさ
「たかはら」 (昭和4年の茂吉の一首)
『作歌40年』に、
「水上の方で流れの音が聞こえる。この現象界において毫も懐疑することなく、ありのままに受納れて、
そうして、このような一山の中に老いてゆく人の寂漠たる生を楽しんだのであった。
そうしてそれは私自身にも関連しただの傍観ではなかったのであった。」とあるが、・・・ 北杜夫著「茂吉彷徨」
激(たぎ)ちの音
近頃、老いを考えることが多い。
春めいた今日、何となく安らぎを感じた茂吉の一首を胸に「里山」を歩いた。
茂吉の言う、「馴染み深い、懐かしい同じひとつの山」ならぬ,我が「里山」だ。
馴染みの里山に春を見つけながらの約3時間、癒された思いだった。
河東インター近く
カラマツ芽吹き未だ
畦の草は?
すべてを祈った
下は磐越道
村の外れの土手に
飯豊遥か さやけし
徳一廟
オニグルミ 冬芽と葉痕、サルの顔のよりヒツジに見える。
いつもの我が輩の駐車場
カワラヒワ
カシラダカ
テングチョウ
キタテハ