河井寛次郎 懐かしい名前を見つけた。
月刊誌「芸術新潮」1月号に新連載が始まった -御贔屓御馳走帖-だ。
選・文の森川浩之氏とある。氏は3代続く京都割烹料理店「浜作」の主で、祖父の代の話を書いておられた。
最新の3月号には、シリーズ3で、「早春の盛り合わせ」の写真に、さわやか京都の筍に合わせた料理が、
河井寛次郎の草花絵付け面鉢に盛られている。
アックナンバーを見てみた。
新連載のはじまった1月には、「明石鯛のお造り」 河井寛次郎の碧釉瓜型鉢の写真と、
文豪川端康成氏来店の際の著者の祖父との思い出が、
2月は「うづらの鍬焼き」 寬次郎の籐手付き辰砂鉢で、初代の祖父が、来店したチャップリンから称賛されたはなしが載っていた。
新連載をみながら、あらためて料理は盛られる器で楽しむものたと思った。
高級な和食に限らず、我が家の三食の食事にも食器を楽しみたいと思った。
今後、始まった御贔屓御馳走帖に、河井作品以外に幾多の和食を盛る器が取り上げあげられるのだろう。楽しみだ。
これまで京都に2度、河井寛次郎記念館を訪ねたことがあった。
本棚の、祈念館で求めた、記念館編「河井寛次郎の宇宙」を手に取った。
ときどき手に取る素晴らしい本だ。しばらく忘れていた心がよみがえった。
久々に河井の作品に触れ、彼の考えを振り返った。
柳宗悦 河井寛次郎 浜田庄司 によって提唱された民芸運動を復習した。
わざわざ日本民芸館を訪ねたことがあったが、お目当ての一つだった河井の作品にまた触れたいと思った。
***************************
(参)拙ブログ 「手仕事の日本」 2012-12-13 | 文芸
しばらく柳宗悦「手仕事の日本」を読んでいた。
焼き物に興味を抱いたころから、民藝を知り、益子の浜田庄司参考館や京都の河井次郎記念館を、数年前には東京駒場の日本民藝館訪ねた。
すっかり遠ざかっていたが、たびたび聞いていた柳宗悦著「手仕事の日本」は、今回初めて手にした。
昭和15年前後の日本の手仕事の現状を著したものだが、発刊は昭和21年正月とあった。前書きの前の序として、戦争中の厳しい種々の検閲について触れ、幸か不幸かと控えめに訪れた終戦後の平和な時代を書いた。全国各地を旅して各地の伝統的な手仕事を鳥瞰して、その意義を述べている。
そこには、「手仕事は最も人間的な仕事」と、手が機械と異なる点はそれがいつも直接にこころと繋がれているからとあった。
会津の品物としては、会津塗り、絵蝋燭、刃物、本郷の焼き物を挙げている。奥会津の雪踏みや雪沓など、手彫りのくり鉢や曲物の手桶屋、葡萄皮でつくった蓑の網も見事な手仕事と述べている。他には、喜多方、熱塩日中の生漉き紙も紹介されているが、いままで知らなかった。
さまざまな品物の基礎は、自然と歴史であり、人との交わりから生み出されていくと言う。また、後記には、よく知られていない日本の一面、手仕事の意義を知らせたいという著書の目標が、そして、 ①それらの品物をつくった人のこと。②それらの品物の持つ性質。実用的なものがなぜ美しいのか。③それら品物の持つ美しさについて。どうして尊ぶべき美しさなのか。を述べたかったと書く。
本郷焼きについての考察に、「粗物と蔑まれているものが最も特色のある、また見事なもの」と評して、いわゆる民藝のこころ「用の美」を説いていた。
(参)本棚の「河井寬次郎の宇宙」(於:河井寬次郎記念館で求める2000,10.25)を見た。
鷺珠江氏の文「宇宙の中の河井寛次郎」に(鷺珠江さん:ネットで検索すると、河井寛次郎氏のお孫さん、と知った。)
《 柳・河井・浜田によって提唱された「民藝運動」とは、名もない職人の手によって、その土地に根ざして、日などというものを意識せずに作られているものの中にこそ、実は健全な美が宿っており、従って、美とは決して遠い特別なものではなく身近なものである。日常のくらしの中に美はあふれて息づいているのだ》とあった。
美とはほど遠いが、ときどき自作のいろいろな皿、箸置きやぐい飲みを使っている。
特にお夕飯はゆっくり味わいたいと思っているが、一層料理やお酒がおいしく感じている。陶器は、つくづく食文化と切っても切れない関係にあることを再認識している。
********************:
(参)いつか書いた拙エッセイ 「 陶芸を鑑賞する」 2007-03-09 | 文芸
blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/4e8a1efe23e9c175ff03bfd9a07af756
********************