エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

新しい春に羽ばたきたい

2007-03-06 | 日々の生活
  「よく見ればなずな花咲く垣根かな」 は芭蕉の句。よく見れば土手にナズナ、ハコベがちっちゃな花をつけている。何とも言えない温かい、優しい春の訪れだ。散歩の畑の道に佇みこれから始まる新しい季節を思った。
 寒さに閉じこもった生活を抜け出し、大空に背伸びする。これから新しい明日が始まる、身体の動きは多少不自由だが、気持ちはそう思いたかった。とかく沈みがちな気分を払拭し、新しい気持ちで生活していきたいと思った。
 春はやはり1年の始まり。新しい年の始まりは正月より3月、4月だと思う。冷たい、暗いイメージの動きのない冬と言う季節から、新しい命が生まれ出ずる春へ。北を目指して飛び立つ水鳥たち、卒業して新天地へ旅立つ若者の出発の春だ。
 悩みを抱き内へこもる生き方は嫌だ。新しい春に、勇気を持って羽ばたきたいと思っている。

 


則天去私と良寛

2007-03-05 | 文芸

 ラジオの宗教の時間で「則天去私と良寛」(3/4)を興味深く聴いた。
 漱石研究家の安田未知夫氏が、良寛の思想を学ぶことなくして漱石の「則天去私」はあり得ないと、いろいろな資料を基に話されていた。
深くは分からないが、聞きながら、「則天去私」の心境はまさに良寛の漢詩「騰々任天真」のことではないかと思った。大文豪も良寛に傾倒した時期があったのだ。
 漱石の著書「硝子戸の中」の中に、良寛の心に通ずる文章が見られると言う。本棚の隅から学生時代に読んだ古い薄っぺらな岩波文庫を見つけてきた。良寛を思いながら、静かに読んで見たが良くわからなかった。所々に傍線が引いてあった。溌溂とした私の青春の頃、どんな思いで読んだものかと懐かしくなった。

 大正5年に出た『文章日記』(新潮社)の扉に漱石が「則天去私」と揮毫し、その解説には「『天に則り私を去る』と訓む.天は自然である,自然に従うて,私,即ち小主観小技巧を去れといふ意で,文章はあくまで自然なれ,天真流露なれ,といふ意である。」とあるという。「則天去私」は更に弟子筋によって,我意に捉われない自然な生き方を理想とする人生観として解釈されていったようだ。
いつの時代にも自然に任せる生き方が求めら、またそうすることが難しいことを改めて感じた。

【広辞苑の「則天去私」】
 「夏目漱石晩年の言葉。 小さな私を去って自然にゆだねて生きること。
  宗教的な悟りを意味すると考えられている。また、創作上、作家の小主観を挟まない  無私の芸術を意味したものだとする見方もある。」

武士道

2007-03-04 | 文芸
 本屋の郷土コーナーに、同名の本「会津武士道」が並んでいた。少し立ち読みした ○ 星亮一著「会津武士道」のサブタイトルは -「ならぬことはならぬ」の教え-。これは、会津の武士道の精神を終生貫いた山川健次郎の生涯を書いたもの。隣には「白虎隊と会津武士道」も並んでいた。もう一冊は ○中村彰彦の著になる「会津武士道」で会津武士道が時代の変革と共にどのように発現されたかを考察したもの。その横には「武士道の教科書(現代語新訳日新館童子訓)」もあり興味が湧いた。これらの著作は、多分、今の時代に何かかけるものを訴えたいものなのだろう。

 新聞を広げると、窃盗、強盗、親や子同士の殺人、金儲けのため種々の詐欺、不法談合等など、毎日考えられない事件や事故が載っている。確かに最近の社会風潮は変わった。考えられないようなことをする人種が生まれている。教育はもちろんだが、家庭も、政治もおかしい。日本社会はどこへ向かっていくのだろうか。

 新渡戸稲造は著書[BUSHIDO]の中で「日本の知性と道徳は、直接的にも間接的にも武士道が作り上げてきた物である」と言っている。失われた徳育、昔確かにあった日本人の底に流れる武士道精神を見つめることも必要かも知れない。
 はびこる拝金主義には良寛の教えを、失われた美徳には新渡戸稲造をと思う。ときどきは、立ち止まり自分自身の精神、生き様を見つめてみたい。

花巻市に花巻新渡戸記念館」を訪ねた折りに
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「新渡戸稲造の生きざま尊敬」 (1999.12)

 五千円札の肖像にある新渡戸稲造の記念館を訪ねた。私が彼を初めて知ったのは、剣道に明け暮れた学生時代に読んだ岩波文庫「武士道」であった。同じ頃購入した全集第八巻「一日一言」は人生如何に生きるかの教訓としてしばらく座右に置いていた。
 「われ太平洋の架け橋とならん」で知られる国際人の稲造が、農政学者であり教育者であったこと、さらに新渡戸家が花巻の出身であったことを今回初めて知ることができた。
 稲造の母は、明治を生き抜くには学問が必要だと激励した。そして上京して偉くなりなさいと。稲造はそれに応えた。確かに深い学識、行動力、人を愛する信仰心などすべてが尊敬の的であるが、彼の妻が語る思い出に心を打たれた。彼女は夫の生涯にわたる最高度の努力を語っていたのだ。時折彼は「私は、もっと苦しまなければ先祖にすまない。」と妻を悲しませたという。天賦の才能の陰には常に努力があることをまたも知らされた。
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元気が出ない

2007-03-02 | 日々の生活
 月が変わった途端に発熱。いつもの微熱だが、夜中に始まる悪寒は嫌なものだ。
 薬はいやなので、いつもは2錠飲む常備薬をF錠だけ飲んだ。1時間経ってもいっこう寒気が引けない。R錠を服用すると15分後には寒気が無くなり、熱くなった。汗ばんだシャツを交換。月に何度か繰り返す夜半の行為だ。
痛みや炎症を抑え、熱を下げる抗生物質はありがたいが、薬は諸刃の刃必ず何らかの副作用がある。睡眠不足もあるかも知れないが、服用した日は身体が怠く、1日何も手に付かないことが多い。
 もう弥生3月、すっかり春めいた快晴だったが、裏山の杉花粉も心配だったので窓越しに庭を眺めて過ごした。そんなとき。無為に流れる日々が少し寂しく感じる。

 夜半に目覚め熱冷まし飲む碗の揺らぎ夕餉の温もりかすかに残れり


千の風になって

2007-03-01 | 文芸
NHKのクローズアップ現代「“千の風”に寄せる思い」(2/26放送)を見た。

*** NHK解説より***
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19世紀中頃、アメリカで生まれたといわれている詩、「千の風になって」は「米同時多発テロ」や「IRAテロ」の遺族など、世界中で、悲しみにくれる人々を励ましてきた。日本でも神戸の教会に事故や病気で家族を失った人たちが集まり、毎月、この詩を歌い継いできた。詩に曲をつけた作家・新井満氏のもとには5000通を超える手紙が寄せられている。「家族を亡くした悲しみを癒された」「病気と闘う力をもらった」など、一人ひとりの心情が綴られている。番組では、この歌に生きる力をもらったという全国各地の人びとを訪ね、その思いを描くとともに、新井満氏をゲストに迎え、「千の風になって」の誕生秘話や「死生観が変わった」という詩のメッセージについて聞く。
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 昨年末の紅白歌合戦で秋川雅史が歌ってから日本中で話題になり、ベストセラーになったという。何度か聴いていたが、今回の放送で初めて詩の中身を知った。心から癒され、勇気が湧く曲と詩だと思った。確かに、亡くなった大切な人はお墓にはいない。千の風になって吹き渡っている。本当にそうだと思った。
 ”千の風になって”は作者不明の英語詩「a thousand winds」を作家の新井満さんがを日本語訳して曲をつけた。
 しばらく購読していた月刊誌「MOKU」で、彼が歴史上の人物のお墓参りをしている紀行文「お墓参りは楽しい」の連載を楽しみに読んだことを思いだした。そんなことも、この詩との出会いの縁があったのだろうか。新たな死生観を抱きつつ詩をを和訳し、曲まで作ったのだろうと想像した。
 この癒しの曲は確かに悲しみを鎮めるものだが、私にはもっと前向きに勇気を奮い立たせてくれる曲に聞こえる。これからもそんな聴き方をしてみたと思っている。

【日本語訳】
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

あの大きな空を
吹き渡っています

【英語詩】
A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.