エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

冬を耐えた木々

2010-03-08 | 自然観察
                      【巨大な蕗の薹(トウブキ)】

 雪のあるうちは近づけけなかったが、しばらくぶりに庭の木々と話した。
 まだ吹く風も冷たい庭に、愛おしい一木一草を見つめた。
 
 ジンチョウゲの花芽はいよいよ咲きだしそうだ。
 ユキヤナギの芽が少し色付いてきたか、薔薇の紅い芽があざやかだ。
 イロハモミジの紅い芽がかわいい。ライラックも赤く、大分膨らんでいた。

 【沈丁花の花芽】

 【イロハモミジの芽】
【ライラックの芽】

 クマシデの幹には縦の筋がはいっている。イタヤカエデの木の幹の皺は風格を感じさせるものだった。
木の肌も、ウメ、イチョウ、トウカエデ、ヒマラヤスギ・・・それぞれに興味深いものだ。

 裏庭に回ると、何と雪の消えたムクゲの根元に大きなフキノトウが黄緑色に輝いていた。
いているではないか。大きいのは直径4~5cm、こんなに見事なフキノトウを見るのは初めてだった。
 ついこの前、雪の消え始めた山里に探したフキノトウが、目と鼻の先にあろうとは。
まさに「灯台もと暗し」とはこのことか。
 そういえば、数年前に信州の妻の実家からもらったトウブキを植えておいたことを思い出した。
 冬を耐えた木々もそろそろ目覚め始めようとしていた。


≪樹皮≫
 【イチョウの樹皮】
 【ヒマラヤスギの樹皮】
 【イタヤカエデの樹皮】
 【トウカエデの樹皮】
【クマシデの樹皮】


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「さわやか自然」

2010-03-07 | 自然観察
                 【クララに産卵するオオルリシジミ ネットより】



 日曜日の朝7時45分は、欠かさず「さわやか自然」を視聴している。
今朝は、阿蘇の雄大な大草原の四季、今の季節、阿蘇は野焼きのシーズンを迎えていた。
 冬から春へ、ひと足早く美しい花を見た。キスミレ、マツモトセンノウ、フデリンドウ・・・。
初夏、草原の草を食む牛、そこに食べられず残っているクララ。
クララの周りには細々と生息する小さな命、オオルリシジミが舞っていた。
オオルリシジミはわが青春に係わった懐かしい思い出のチョウだ。
 冬、草原に訪れる野鳥、ジョウビタキ、カワラヒワ、そしてアトリやカシラダカ、コミミズクなど。
豊かな自然の中で、愛おしい生きものが精一杯生きる姿を見た。
いつか、一度行ってみたいと思った。
今朝見つめた小さな命のほとんどが絶滅が危惧されている種である。
 あらためて切ない事実を重く受け止めた。
「さわやか自然」を視聴して、まさに、さわやかな1日の始まりとなった。




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雪解にふきのとう

2010-03-06 | 自然観察

フキノトウは春の代名詞だ。
雪解けとともに現れる黒い大地に、黄緑色の輝くフキノトウ、
これが、私の爽やかな早春賦の世界だ。
少し早かったが、採らせていただいた。
指先に春の香りがさわやかだった。
蕗味噌で春を味わいたい。


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父の生誕100周年

2010-03-05 | 日々の生活

昨年は太宰治や松本清張の生誕100周年だった。
今年は、黒澤明の生誕100周年という。
 父も100年前の今日、明治43年3月5日に産声を上げた。
たまに父を、母を思い出すが特別な日だ。

 父は家業を継ぐべき人だったが、師範学校へ進んで教師の道を歩んだ。
 その後、思いあって郷里を離れた青年の人生は波乱に満ちたものだった。
 年号が改まった年に亡くなったから、今年は23年回忌になるのか。
 
 久しぶりに、父が子どもたちそれぞれに残してくれたアルバムの1冊を広げた。
 父が独特の編集をした記録はかけがえのない宝物だ。若き日の、わが子の成長を願う父の、母の思いがいっぱいに詰まっている。 






いつか書いたエッセイ
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父の残したアルバム (2005.11.16 朝日新聞・福島)

 父は三人の子供達それぞれに数冊のアルバムを残してくれた。アルバムを整理しながら自分の小学校時代の一冊に見入った。
 その見返しには、父の字で「 十年、二十年、あるいは三十年を過ぎた暁にこのアルバムは価値あるものになるであろう。何も贈り物らしい贈り物を出来ない貧しいお父さんの残す唯一の記念品です。幼き日の思い出が成人ののちに何らかの詩情を併せてほのかに浮かぶとき、人間の美しい魂がよみがえる。歌を忘れたカナリヤにはなりたくないね。いつの時代にも永遠にロマンチストであることが大切だよ。 」と書かれてあった。
 一枚一枚の写真の傍らには、父のコメントが書かれていた。セピア色の写真を見ながらその文字をたどると、清らかに精一杯に生きた少年の日々が、また、それらを見つめる在りし日の父の姿が想像され胸が熱くなった。
 人生をさりげなく歌う陽水の歌「人生が二度あれば」をCDで聴きながら、ふと父の人生を、そして自分の人生を思った。
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雪の中からキノコ

2010-03-04 | 自然観察


 雪の溶け始めた庭の植え込みにキノコを見つけた。
 娘が友達からもらってきて放ってあった原木のなめこだ。
 去年の秋遅く、両手に乗るほど収穫できた。
 その後に出たものか、雪の中に埋まってしまい、春を迎えた。
 長く伸びた軸は雪の中でよじり曲って育ったようだ。
 大きく育ったなめこに着いた、仲良く冬を越した濡れ落ち葉を冷たい水で洗った。
 何か得をした、ありがたい気持ちがした。
 早速昼に、なめこ汁にしていただいた。
 
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安積歴史博物館を訪ねる

2010-03-03 | 街中散歩


【正面バルコニー】
 
  朝河貫一を顕彰する特別展示を見に、郡山に安積歴史博物館を訪ねた。
 県立安積高等学校の校門をくぐると、正面に旧安積尋常中学校本館があり、博物館となっている。
 福島県唯一の中学校は、明治17年(1884)に創立され、県の中心的な中等教育機関となった。
 館内には、安積中学校卒業の文学者・久米正雄の遺品展示、高山樗牛、中山義秀などの先人、日本臓器移植の先駆者である今泉亀撤顕彰特別展示などの部屋があった。当時の教室が復元され、安積中学から高校までの時代の学校生活の歴史を見ることができた。
世界平和に貢献した朝河貫一展示の部屋では、胸像や肖像画とともに、多くの書籍や書簡が並んでいた。
中でも、小学校・中学校と同級の川俣町の渡辺熊之助への借金を依頼する本人の書体を興味深く観察した。【拙ブログ(2010.1.29) 「朝河貫一 祖国を愛し続けた真の国際人」】

「朝河の道」というパンフレットをいただいた。朝河貫一博士顕彰協会発行のもので、二本松エリア、立子山、川俣エリア、福島エリアに分けられ、25か所の博士ゆかりの地が紹介されていた。
近々、これを頼りに博士の思いをたどってみたいと思っている。
 また、現代の卒業生である、坪井栄孝元日本医師会会長、音楽家湯浅譲二氏、芥川賞作家の玄友宗久氏のコーナーがありその業績を展示してあった。

この旧本館は昭和53年に半解体修理工事され、創建された場所に創建されたそのままで現在に残る全国唯一の文化財だそうだ。洋風建築で鹿鳴館造りのバルコニーなどのモダンな建築技法を見ながら、かつて訪ねた松本市にある旧開智学校を思い出した。

 
  卒業式関連行事の振り替えの休日で静かな校内だった。野球部の部活動の生徒の溌剌とした挨拶を受けながらグランドに向かった。あの朝河桜を見たかった。
 太い幹が途中から折れていたが、この春もきれいに咲かせるであろう、つぼみが膨らんでいた。実に120年の風雪に耐えてきたのか。枝を広げるつぼみを見ながら、かつてこの根元に表紙だけになった辞書(暗記したページを食べたり捨てたりしたという逸話がある)を埋めた朝河貫一博士の純粋に羽ばたかんとする青春像を想像した。(2010.2.2)

 【朝河博士の肖像画】

 【2階の講堂】

(参考)いつか開智学校を訪ねた折のエッセイ
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≪「開智」に見た信州教育の礎≫   (福島民報 2003.7.8付)   
 先日、長野県松本市の旧開智学校を初めて見学した。明治五年の学制公布から始まる近代教育だが、その文中「・・・其ノ身ヲ修メ智ヲ開キ才芸ヲ・・・」から命名された、我が国最古の小学校である。擬洋風様式の校舎はしばらく見とれるほどモダンであった。
 充実した教育資料から文明開化の時代の新鮮な教育理念に触れることができた。磨り減った木造校舎の階段を上りながら、ぬくもりと共にふとあの啄木の渋民小学校の教室が浮かんできた。
 「智を開く」とは昨今の教育改革で言われる生きる力であり、小学校だけでなく幼稚園から高等教育、特殊教育機関までもが併設されて行った開智学校の歴史は、今の中高一貫教育の理念を見る思いであった。そして学校の建築費用が松本町民の献金によって賄わたことを知り、当時の地域社会の意欲あふれる熱意を感じ改めて信州教育の礎をみた思いがした。 かつてここに集い学びし童は今何処に。
【旧開智学校】
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日記@BlogRanking




弥生三月 きれいな夢を見た 

2010-03-02 | 日々の生活
          【庭の餌台に来たヒヨドリ】



 昨日の朝がた、きれいな夢を見た。灰色の雲の間から光が降り注いでいる。一部に青空も覗き、虹も見えた。
 あまりに美しい空だった。デジカメを空に向けてシャターを押し続けた。

 なだらかな山道を回った林の奥に祠が見えた。その横に○○中学校と木の標識が立っていた。
道のわきの小高い土手に、剣道の練習を終えた生徒たちがはかま姿で腰かけている。
この場所に、いつか来たことがあるような気がした。

よく、見る夢から心理状態を推測できるというが、特別変わったこともない日々だ。
めったに見る美しさではなく、目覚めも良かった。しらじら夜が明けるいつもの時間だった。

 弥生3月、昨日は県立学校の卒業式だ。冬から春へ、ちょうどよい切り替えができる。多少悔いの残る日々を反省し、生活スタイルを改めたいと思った。

 良寛の乞食という漢詩の中に、「辛苦具難陳」(辛苦つぶさにのべがたし)、「数日遅陽春」(日を数えて陽春を遅しとす)とあった。厳寒の五合庵での生活を耐え、待ちわびた春であったろう。
 毎日暖かい部屋にぬくぬくと冬を過ごした自分であれば、良寛の迎えた新しい季節の喜び、心からの感動が欲しいと思った。
どんなに晴やかなすがすがしい春であったことか。
今日も、無一物の生に徹した良寛を思っている。



【春を喜ぶヒヨドリ】



熊田千佳慕の平和な虫の世界

2010-03-01 | 文芸
    【樹液に集まる昆虫】

今年1月から朝日新聞の購読に切り替えた。
気付かずにいたが、今日購読料の集金に来た時、額絵シリーズ「熊田千佳慕の世界」を置いて行った。
第8回分で、「春の草原」と「野の花たち(ヘビイチゴ)」だった。

 はじめて熊田千佳慕と作品を知ったのは、県立美術館での展覧会を見た時だった。
 その時に求めたカタログ(図版)を本棚から取りだし、久々に鑑賞した。
カタログには「2002.5.18 於:県立図書館」とメモってあった。
あらためて驚きの描写だ。アリ、トンボ、クモ、ハチ、チョウ、カマキリ、・・・、あらゆる昆虫たちの細密な描写は驚異的だった。

その後もお元気で創作を続けられていたが、残念ながら昨年夏、99歳で亡くなられた。

 下記は、展覧会を観た折に書いた新聞の読者欄への投稿文である。
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熊田千佳慕の平和な虫の世界
 
 県立美術館で、熊田千佳慕の平和な虫の世界を鑑賞した。花と虫を見つめ、心と心で語り合う画家の心豊かな日々を想像した。
齢九十を越えたナチュラリストが、虫の目の高さで自然を見つめ精魂込めて描く緻密な絵は、初めて目にするメルヘンの世界であった。
私自身もそんな目で身近な自然を描いてみたいと思った。
 かつて、高山蝶の生態研究者、山岳写真家田淵行男の微細画を驚嘆の目で見た覚えがある。それは、そのまま蝶の翅の文様分析であり生態研究であった。
彼は肉眼的視点で特徴を捉え、それを自主的に強調することで写真と一線を画した。その絵はがきは今も、蝶に魅せられた私の宝である。
一方、童画家熊田の作品には、科学を超えた、夢にあふれる温かさが感じられた。
彼は「美しさは、その虫、花、自然が美しいからではなく、見つめる愛する心があるから」と言う。
 いずれも写真にはない、虫の心が伝わる労作で、あらためて驚愕と敬意の念を禁じ得ない。
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 カタログには、「熊田千佳慕の作風はドライブラッシュとよばれ、水分を十分絞った面相筆で、
点描のように細かく色を重ねていくやり方は熊田独自のもの」とあった。