都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「遅かりし由良之助」という慣用句知っていますか?
若い人にとっては死語かもしれません。いえ、私だってこんなフレーズは口にしたことはありません。子供のころ年配の人が言うのを聞いたことはあります。
間に合わない、手遅れといった事態になると、ことあるごとに「もうだめだ、遅かりし由良之助だ」「残念でした。遅かりし由良之助!」なんて言っていました。子供のころは、由良之助って誰なのだろうと長らく疑問に思っていました。
大人になって、これは歌舞伎だということが分かりました。「仮名手本忠臣蔵」。
私は歌舞伎についてはほとんど知識を持ち合わせませんが、「仮名手本忠臣蔵」が赤穂浪士の話であることくらいは知っています。
それでその中に出てくる大星由良之助というのが大石内蔵助のことなのです。吉良上野介も室町時代の実在の人物・高師直(こうの・もろなお)に名前を変えてあります。浅野内匠頭らしき人物は塩冶判官と名乗っています。赤穂の塩だから、「塩冶判官」とは昔の人は洒落が利いています。
吉良上野介:高師直
浅野内匠頭:塩冶判官
なんでそんなことするかと言えば、赤穂浪士というのはそもそも江戸幕府の作った制度に背いて敵討ちを果たした反逆者で、そんな連中を賛美する物語を書いたりしたら、幕府から御咎めを受けてしまう。
そこで知恵を絞って、「これは江戸時代の話ではありません。室町時代のお話です。」ということで実在の人物高師直を登場させ、他は架空の人物を配してあるのです。
その芝居の中で大星由良之助が塩冶判官の切腹の場に駆けつける場面があるそうで、由良之助はなんとか判官が息を引き取る前にたどり着くのだそうです。
たどりついた訳ですから、必ずしも「遅かりし由良之助」でもなかった訳で、実際芝居の中でこの台詞が語られる訳ではないのだそうです。
では何故このような言葉が生まれたのでしょう。
歌舞伎では、なかなか由良之助が到着しない。すんでのとこで塩谷判官の息のあるうちに目通りかなったわけですが、この間、観客はみな、由良之助は遅い、いったい何しているのかと思いになっているわけです。
・・・で、そのじりじりするようなもどかしい思いから、誰が言いはじめたのやらですが
「遅かりし由良之助」という言葉が生まれて、いつの間にか独り歩きをしちゃったということらしいのです。
また、後の歌舞伎作家・河竹黙阿弥が自分の作品、「こいつは春から縁起がいい」の台詞で有名な「三人吉三廓初買』(さんにんきちさ くるわの はつがい)」の中に由良之助の名前を引用しているのだそうです。
巾着切:和尚吉三(おしょうきちさ)。浪人:お坊吉三(おぼうきちさ)。旅役者:お嬢吉三(おじょうきちさ)。などが登場します。その中の和尚吉三の台詞です。
和尚「むむ・・・、そんなら二人が百両を貸す貸すめえと言い募り、大切の命を捨てる気か、そいつぁ飛んだ由良之助だがまだ了簡が若い若い。ここは一番おれが裁きをつけようから、厭でもあろうがうんと言って話に乗ってくんなせえ、互いに争う百両は二つに割って五十両、お嬢も半分お坊も半分、留めに入ったおれにくんねえ、その埋草に和尚が両腕、五十両じゃあ高いものだが抜いた刀をそ のままに鞘へ納めぬおれが挨拶。両腕切って百両の額を合わせてくんなせえ。」
歌舞伎には詳しくないので全体像を把握していません。ですから、「そいつぁとんだ由良之助」が何故「遅かりし由良之助」という台詞として残ったのかは分かりません。
中途半端で申し訳ない・・・。
したっけ。