都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「助手席」という言葉の語源はというと、もともとはタクシー業界の業界用語だったのです。
大正時代、街中を流す交通手段は人力車がハバをきかせていて、タクシーなどとても珍しかった時代の話です。当時、タクシーには運転手と共にもう一人、客の乗り降りを助けた人が乗っていました。
なんせ、当時のタクシーは外車で車高が高いうえに、お客さんは着物姿。当然、乗り降りには手助けが必要でした。そして、彼らは「助手さん」と呼ばれていました。それから「助手席」という言葉が生まれて、タクシーの台数が増えるにしたがって「助手席」という呼称が定着していった…と言われています。
それと、もう一つ、クルマ(自動車)が、今のように快適な乗り物ではなかった昔、自動車を一人で運転するのは大変な時代だったのです。
エンジンをかけるにしても、今はキーをひとひねりすればかかるのですが、昔は、クランクシャフトに、ナンバーの上の穴から棒を突っ込み、(今のジャッキハンドルのようなものです)それを両手で、回転させて、エンジンをかけたのです。
そのときに、運転席で、アクセルの微妙な踏み加減が必要だったために、一人でのエンジン始動は困難だったと思われます。40年ほど前までは、セルモーターはついていたものの、バッテリーの容量が少ない上品質も悪かったので、チョークレバーや、ハーフスロットルなど、冬のエンジン始動は大変な作業だったのです。冬の北海道では、オイルパンの下に炭火を置いてオイルを温めました。そうしないと、オイルが硬くエンジンは始動できなかったのです。
また、今のようにステアリング(ハンドル)も安定していないし、ましてや今のように舗装道路ではなく、砂利道を走るものでした。ですから、運転手は、必死でハンドル操作をし、道を探す余裕など無かったのです。
そこで、先ほどエンジンをかけた人間が、運転席の隣に座り、道案内の補助などをしたのです 。また、それよりも昔、車がまだほとんど走っていなかった頃には、(馬車の時代)先ほどの運転席の隣に座った人が、「ランプ」を持って車から降り、車の前を走って、車の接近を知らせ、道をあけさせたという話もあります。運転席の隣に座る人は、さまざまな雑用を行っていたのです。
当時、クルマの運転手は非常に数が少なく、エンジニアのような存在だったようです。ですから、運転手は席に座ったまま、何もしなかったのです。
しかし、昭和に入って人件費が高くなったため、タクシーに「助手さん」が同乗する習慣は消滅してしまいましたが、言葉だけはそのまま残ったというわけなのです。
今、助手席に彼女を乗せて走っているのを当時の人が見たら、きっと驚くでしょうね。
したっけ。