都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「生類憐みの令」は、そのような名前の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶのだそうです。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には犬だけではなく、猫や鳥、魚類・貝類・虫類などの生き物、さらには人間の乳幼児にまで及んだといいます。ただ、綱吉が丙戌年生まれの為、特に犬が保護された印象があります。
一般的に「天下の悪法」として人々に認識されているが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されている。また、動物愛護法をはじめ、刑法の保護責任者遺棄罪や児童福祉法、児童虐待防止法として現代においても同様の法令が制定されるに至っていることはあまり知られていません。
江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令を制定した。
イヌを殺しただけでなく、なんとボウフラやシラミ、蚊を殺しただけで流罪(島流し)の刑になってしまったという。当然、魚を獲ることも禁止された。
しかし、生類憐れみの令を評価する意見もあり、生類憐みの令のお陰で日本の犬食の習慣が無くなったとか(厳密に言えば、日本で犬食の習慣が完全に無くなったのはつい最近のこと・・・。昭和20年代までは犬食はありました。)、戦国時代の荒々しい風潮を改める事ができたとか、生類憐みの令は捨て子禁止なども含まれているから、捨て子が無くなったとか利点もあるのです。
だけれども、生類憐みの令のお陰で犬目付という役人が動物を苛めていないかと庶民を監視するようになったわけです。庶民にとっては迷惑な法律なわけです。
ちなみに、綱吉は江戸郊外の中野に16万坪の犬の収容所をつくったそうです。しかし、この収容所には、江戸の町でうろうろしていた凶暴な野犬も収容していたので、そのお陰で野犬が出なくなったという利点もありました。
先述の通り生類憐れみの令は複数のお触れに及ぶが、その流れは以下の通り。
生類憐みの令 | ||
西暦 |
和暦 |
事柄 |
1685年 |
貞享4年2月 |
将軍御成の際に、道筋に犬猫が出ても苦しからず |
1687年 |
貞享4年2月27日 |
魚鳥類食料禁止(鶏と亀と貝類も含む) |
1687年 |
貞享4年4月9日 |
病気の馬遺棄者が遠流に処される(武蔵国村民10人) |
1687年 |
貞享4年4月30日 |
持筒頭下役人が鳩に投石したため遠慮処分 |
1687年 |
貞享4年6月26日 |
旗本の秋田采女季品(中奥小姓秋田淡路守季久の嫡男)が吹矢で燕を撃ったため、代理として同家家臣多々越甚大夫が死罪 |
1688年 |
元禄元年2月1日 |
屋号の鶴屋および鶴の紋は禁止される |
1688年 |
元禄元年
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