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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「そうめんの‘そう’の字」について考える

2011-07-30 10:26:34 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 「そうめん」の起源は中国から、奈良時代に遣唐使が持ち込んだ「索餅(さくべい)」だといわれています。これは「うどんの起源」でも書きました。

「索餅」がどんな麺だったのか、いまだに定説はないそうです。材料・分量、道具については平安時代中期の藤原時平(ふじわらのときひら)によって書かれた『延喜式』(905年)に、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(※米粉は混ぜないという説もある)ということは分かっていますが、太さや長さ、手延べか切り麺かといった詳細は不明だそうです。

 ですから、このころ既に「そうめん」が食べられていたということは、間違いないようです。

「そうめん」は、現在「素麺」と書きますが、もともとは「索麺(さうめん)」と書いて、索(ひも:紐)のような麺という意味だったそうです。

さく【索】

縄。綱。ロープ。

大辞泉

Photo_2 また、室町時代の記録には、当時の宮中でも「ほそもの」とか「ぞろ」または「ぞろぞろ」という異名で呼ばれていたと記されているそうです。(女房詞

「ほそもの」は見たままですが、「ぞろ」とは「長く引きずるさま」のことだそうです。

 一般に、「そうめん」という言葉が広まったのは、庶民も食べられるようになった江戸時代以降だそうです。

 当時は、茹でた麺を洗ってから蒸して温める食べ方が一般的だった用です。

 江戸時代には、七夕に「そうめん」を供え物とする習俗が広まっていったそうです。これは細く長い「そうめん」を糸に見立て裁縫の上達を祈願したものだといわれています。

 また、当時の夏の氷は恐ろしくて凍りつくような値段の貴重品でした。そのため、夏に「冷やし素麺」が食べられるようになったのは、最近のことなのです。

私の子供のころでも、冷蔵庫などはなく氷屋さんがありました。夏風邪で熱が出たときなどに買ってきて氷枕にする程度でした。まだ、氷は貴重品でした。

※「うどん」、「女房詞」については下記を参照ください。

「うどんの起源と歴史」について考える

「女房言葉(女房詞)」について考える

Photo

 

「そうめん」といえば、彼女の顔が思い浮かびます。今年の夏、彼女の笑顔がテレビで見られないのを寂しいと思っているのは、私だけでしょうか?(合掌)

したっけ。



コメント (14)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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