都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「そうめん」の起源は中国から、奈良時代に遣唐使が持ち込んだ「索餅(さくべい)」だといわれています。これは「うどんの起源」でも書きました。
「索餅」がどんな麺だったのか、いまだに定説はないそうです。材料・分量、道具については平安時代中期の藤原時平(ふじわらのときひら)によって書かれた『延喜式』(905年)に、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(※米粉は混ぜないという説もある)ということは分かっていますが、太さや長さ、手延べか切り麺かといった詳細は不明だそうです。
ですから、このころ既に「そうめん」が食べられていたということは、間違いないようです。
「そうめん」は、現在「素麺」と書きますが、もともとは「索麺(さうめん)」と書いて、索(ひも:紐)のような麺という意味だったそうです。
さく【索】
縄。綱。ロープ。
大辞泉
また、室町時代の記録には、当時の宮中でも「ほそもの」とか「ぞろ」または「ぞろぞろ」という異名で呼ばれていたと記されているそうです。(女房詞)
「ほそもの」は見たままですが、「ぞろ」とは「長く引きずるさま」のことだそうです。
一般に、「そうめん」という言葉が広まったのは、庶民も食べられるようになった江戸時代以降だそうです。
当時は、茹でた麺を洗ってから蒸して温める食べ方が一般的だった用です。
江戸時代には、七夕に「そうめん」を供え物とする習俗が広まっていったそうです。これは細く長い「そうめん」を糸に見立て裁縫の上達を祈願したものだといわれています。
また、当時の夏の氷は恐ろしくて凍りつくような値段の貴重品でした。そのため、夏に「冷やし素麺」が食べられるようになったのは、最近のことなのです。
私の子供のころでも、冷蔵庫などはなく氷屋さんがありました。夏風邪で熱が出たときなどに買ってきて氷枕にする程度でした。まだ、氷は貴重品でした。
※「うどん」、「女房詞」については下記を参照ください。
「そうめん」といえば、彼女の顔が思い浮かびます。今年の夏、彼女の笑顔がテレビで見られないのを寂しいと思っているのは、私だけでしょうか?(合掌)
したっけ。