都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
海部俊樹元首相が死去 91歳 湾岸戦争時に首相、政治改革に意欲 1/14(金) 9:42配信
海部俊樹(かいふ・としき)元首相が9日死去したことが分かった。91歳だった。1989年8月から91年11月にかけて首相を務め、政治改革に意欲を示した。衆院当選16回、在職48年を数えた。2009年の総選挙で落選し、政界を引退していた。
名古屋市生まれ。60年の初当選時から三木派・河本派と弱小派閥に属したが、故・竹下登元首相らとも気脈を通じた。宇野宗佑政権が89年夏の参院選でリクルート事件や女性スキャンダルなどへの世論の反発から敗北した後、旧竹下派の支持を得て首相に就任した。
首相在任中、リクルート事件の反省から「対話と改革の政治」を掲げた。衆院に小選挙区制を導入するための政治改革関連法案の成立を目指した。しかし、与野党に慎重論が強く廃案の公算が強まった際、「重大な決意で事態の打開に当たる」と語り、解散・総選挙を辞さない姿勢を示した。しかし、理解を得られず、再選を目指した91年秋の自民党総裁選には旧竹下派の主導で立候補の断念に追い込まれた。
91年の湾岸戦争では自衛隊の派遣に慎重な姿勢をとる一方、米国を中心とする多国籍軍に130億ドルの資金提供を決めた。日米構造協議でブッシュ大統領(当時)との調整にあたったほか、北方領土問題をめぐってゴルバチョフ大統領(同)と会談を重ねた。
昭和生まれ最初の首相という若さに、金銭に絡むスキャンダルがなかったことが加わり、歴代政権の中でも比較的高い支持率を維持した。水玉模様のネクタイがトレードマークだった。
94年に自民党を離党し、新生党や公明党などの連立与党(同)の候補として、自民、社会、新党さきがけが推す村山富市氏と争い、敗北。その後、新進党の党首や保守党の最高顧問などを務め、保守新党が自民党に合流した03年に自民党に復党。09年衆院選で落選し、政界を引退した。 |
人間性に魅了」「水玉のネクタイ」…与野党から海部元首相の死去を悼む声 1/14(金) 12:46配信
海部俊樹元首相の死去を受け、14日、政界からは、人柄を偲び、功績を称える声が相次いだ。
立憲民主党の小沢一郎衆院議員は「いつもその人間性に魅了されていた。心からご冥福をお祈りする」とのコメントをツイッターに投稿。海部政権時に自民党幹事長を務めていた小沢氏は、「日々ともに難しい問題と格闘していた当時が思い出される。常に国民を第一に思いやる温かい心を持った偉大な政治家だった」と振り返った。
野田聖子こども政策相は「水玉のネクタイばかりを締めていた。怒った顔をほとんど見たことがなかった」と述べた上で、「明るい海部先生に恥ずかしくないよう行動をしたい」と思いを新たにしていた。
松野官房長官は「湾岸戦争勃発など激動する国際情勢の中で、多くの政策課題に力を尽くして取り組んだ」と述べた。
湾岸戦争の停戦後に、海部政権は、自衛隊初の海外任務となるペルシャ湾への掃海部隊の派遣を行ったが、岸防衛相は、「派遣は、その後、高く評価されていると思う。当時の議論が、様々な議論に発展し、現在の形に繋がってきたと考えている」と功績を称えた。
立憲民主党の泉代表は「当時の自民党は派閥政治も強かったが、自身の政治スタイルを貫いた」としたうえで、「クリーンな政治家という印象が強い」と評した。 |
総理大臣のお相手も…取材のハードルが高い「芸妓の世界」
1989年、75代総理大臣・宇野宗佑と神楽坂芸者のスキャンダルは、いまだに語り草になっている。
お座敷遊びに興じる宇野は芸者の3本の指を握り、「自分の愛人になってくれたらこれだけ出す」と迫った。3本とは「月30万円のお手当」の意味だったが、芸者の相場は1桁違う。300万円である。
呆れた芸者が「時の総理がこんな人とは」と週刊誌に告発。宇野首相はわずか2カ月で地位を失ったが、思わぬ形で注目されたのが芸者の世界だった。ネットワークを駆使してたどり着いた鬼怒川のトップ芸者の話は、目からうろこの驚きだった。
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宇野首相と愛人関係を結んだ、元芸者の女性が、週刊誌(サンデー毎日←毎日新聞社系)に、なまなましく宇野の愛人となったいきさつ・手切れ金もなかった事などを暴露し、当時は日本だけでなく欧米各国にも報道され大スキャンダルとなりました。
①宇野は大物政治家のくせに、非常にケチで、「これで愛人にならないかと、指3本立てた」⇒毎月の手当30万円で愛人になれという意味です。
⇒宇野さんと言えば、指3本と、世間の笑いのネタにされました。
②別れる時に、慰謝料・手切れ金をロクにくれなかった。
③妻以外に愛人の居る性的に不潔な首相ということで、当時のG7サミットでは、当時の英国女性首相のサッチャーさんが、宇野との握手を拒否して、さらに、笑い物にされました。
海部俊樹首相と言えばセットで思い出されるのが、女性スキャンダルで退陣した宇野宗佑です。
宇野宗佑の総理在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった。
一方の海部俊樹首相は水玉ネクタイがトレードマークでした。 早稲田雄弁会出身で、説得力があり弁舌さわやかで、前宇野首相のスキャンダルで下落した自民党のイメージ回復に貢献したと言えます。
当初は「公正で心豊かな社会の実現」などを唱えましたが、最小派閥出身で党三役の経験もなく、発足当初から「緊急避難政権」などと軽量ぶりが指摘されました。
しかし、1990年2月の衆議院選挙で安定多数を獲得、自由民主党を復調させました。
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