明治40年12月4日東京朝日新聞
醤油新式醸造
鈴木藤三郎氏が苦心の結果発明せる醤油の新式醸造はその結果良好により、この方法によれば従来醤油醸造に一年以上を要したものをわずか二ヶ月にし従来の品と変わらず良品を醸造しうるのみならず醤油には免れざるカビが少しも生じることも無かった。この器械によりこの方法を用いればいかに多大な需要にも応じることを得て、全く斯業の上に一新生面と聞きたるものにつき(今回一千万・払い込み250万円)の資本をもって日本醤油醸造株式会社を組織し、既記の深川小名木川工場並びに目下摂津尼崎工場にこの新式醸造を持って盛んに醤油の醸造に着手する由。製品は不日中に発売すべく将来は大いに海外輸出を図る計画にて目下米国に委員を派遣しその調査中なりという。
当時、醤油業界は欧米等に輸出することに関心があった。戦国時代から南蛮船によって醤油は輸出され、日清・日露戦争後中国大陸・朝鮮半島に日本人進出し、ハワイ・米本土にも日本人移民があり醤油の需要が出た。昔から醤油にカビが出るからだろうか福神漬製造時に調味液となる醤油を加熱殺菌している。
醤油新式醸造
鈴木藤三郎氏が苦心の結果発明せる醤油の新式醸造はその結果良好により、この方法によれば従来醤油醸造に一年以上を要したものをわずか二ヶ月にし従来の品と変わらず良品を醸造しうるのみならず醤油には免れざるカビが少しも生じることも無かった。この器械によりこの方法を用いればいかに多大な需要にも応じることを得て、全く斯業の上に一新生面と聞きたるものにつき(今回一千万・払い込み250万円)の資本をもって日本醤油醸造株式会社を組織し、既記の深川小名木川工場並びに目下摂津尼崎工場にこの新式醸造を持って盛んに醤油の醸造に着手する由。製品は不日中に発売すべく将来は大いに海外輸出を図る計画にて目下米国に委員を派遣しその調査中なりという。
当時、醤油業界は欧米等に輸出することに関心があった。戦国時代から南蛮船によって醤油は輸出され、日清・日露戦争後中国大陸・朝鮮半島に日本人進出し、ハワイ・米本土にも日本人移民があり醤油の需要が出た。昔から醤油にカビが出るからだろうか福神漬製造時に調味液となる醤油を加熱殺菌している。