明治37年春から東京小名木川の鈴木藤三郎の邸宅内の試験工場で三年の月日と14万円の経費をかけ,醤油菌の発酵熟成を促進して物理的に促成醸造する方法であったため、従来の醸造方法で製造された醤油と品質・栄養価が変わらなかった。都内の料理店での使用試験や外国等に輸出し商品のテストをした結果、充分事業化の見通しがついた。
従来の醤油と違う所は①醸造期間が短いため資本の回転が速く約9倍の差があった。②一万石の醤油を作るのに旧式の醸造方法だと標準労働力は100人だが新式だと10人ですんだ。③醸造期間が短いので醤油製造工場に広い敷地が必要でなかった。
以上のことから製造原価が2~3割安く出来るようになった。
明治40年6月10日資本金一千万円で日本醤油醸造株式会社が発足した。
従来の醤油と違う所は①醸造期間が短いため資本の回転が速く約9倍の差があった。②一万石の醤油を作るのに旧式の醸造方法だと標準労働力は100人だが新式だと10人ですんだ。③醸造期間が短いので醤油製造工場に広い敷地が必要でなかった。
以上のことから製造原価が2~3割安く出来るようになった。
明治40年6月10日資本金一千万円で日本醤油醸造株式会社が発足した。