年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治42年11月4日伊藤博文国葬日にもかかわらず。

2007年02月23日 | 福神漬
明治42年11月4日 東京朝日新聞
不正醤油全滅
日本醤油醸造株式会社尼崎分工場の製品に多量のサッカリンを混入したる為、大阪出張所の1600余樽(一万円)を押収したるは昨紙に記載の如し、然るに会社側にはしばしば隠蔽策を講じたるも片端より看破され二日午後に至り尼崎醸造所に於いて星野技師自ら売品全部にサッカリンを混入したる旨白状した。(大阪)警察部にて事態極めて重大なりとその処分に付き内務省に伺い方針確定の上全国に販布せる同社製品の数万石はことごとく廃棄を命ずるに至るべく会社の損失はほとんど計算できない
 同社製品は売出しの当時より評判悪く芳香と甘味において著しく欠けているところがあってこの悪計を企てたるものにて技師の手一つにて該薬品の混入をなし職工すらこの不正手段を知らざりしとはよほど注意したるものと見えた。
 尼崎工場の建築には多額の固定資本を要し、一方製品はさらに売れず紛議を重ね、結局大将軍毛利公爵家令田島信夫氏が社長となり岩下清周氏が取締役に加わり某銀行より多額の融資を受け営業を続けている有様なれば今度の打撃の結果については非常に悲観している者が多い。

日本醤油醸造は資本金一千万という資本で始まったので、出資者が株価下落の心配があった。現在の未公開株騒動に似ている。
11月4日は伊藤博文国葬の日であったが続報が出ていた。
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