年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治初期の関東の醤油事情

2007年02月12日 | 福神漬
醤油から世界を見る 田中則雄 都立中央図書館所蔵
142頁
明治維新時の関東の醤油事情
① 江戸における武士の減少で需要が減った。
② 蒸気船の発達で、品質の良い関西の酒が関東に安定して入荷し、関東の地回りの酒造業を圧倒していった。関東の酒造業者は醤油醸造に転換するものがあり、醤油がだぶついていった。明治8年醤油税廃止以後は価格も低下したと思われる。
③ このような醤油状況時に東京醤油会社がキッコーマンを中心として設立し、海外にだぶついた醤油を輸出しようと努力したが中国産の安い醤油にたちゆかなかった。明治22年解散となる。後にこの時の努力が実を結び海外に醤油輸出の道が開かれる。

明治19年に醤油と砂糖で味付けた7種の野菜を漬け込んだ福神漬が現れるには少なくとも醤油と砂糖の価格の低下が必要である。さもなければ一時の食べ物で終わってしまっていただろう。明治30年代の終わりに砂糖王とも言われた鈴木藤三郎が精糖から手を引いて醤油に向かったのは当時でもかなり話題となっていた。



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