明治42年11月3日 大阪朝日新聞
不正醤油の検挙続報 ▲1600挺の押収
▲ 会社内の混乱
醸造元の本体
昨紙(11月2日)醤油にも劇薬と題して某会社が醸造の醤油に甘味料として、薩可林(サッカリン)を混入した上腐敗を防ぐため劇薬ホルマリンをも混入し乱売したのがこのほど発覚し大阪警察本部の手において検挙中の趣き記載したが某会社とは日本醤油醸造株式会社のことにして資本金一千万円、本社及び第一工場を東京深川区小名木川通に、第二工場を摂津尼崎町に置き、かの大伏魔殿たりし大日本精糖の前身日本精糖の社長だった鈴木藤三郎氏が最近の学問を応用して従来は早くて十ヶ月遅ければ二年内外の時日を要していた醤油界のレコードを破り、わずか二ヶ月内外において完全なる醤油を生産しうると呼号し社長兼技師長となり、(目下は社長を辞して取締役兼技師長)八万五千坪の広大なる敷地内に建設した工場において一ヵ年24万石以上生産の予定でどしどし醸造していたものである。
同日の東京の朝日新聞と比較して記事の内容が詳しくなっている。
大伏魔殿というのはほぼ同時期に日糖事件として歴史に残る明治の大疑獄の裁判が行なわれていた。日本醤油醸造の鈴木藤三郎は日糖事件の会社である大日本精糖の前身の会社・日本精糖の社長であった。日本精糖の経営方針の食い違いで社長を辞して醤油醸造に向かっていってた。
不正醤油の検挙続報 ▲1600挺の押収
▲ 会社内の混乱
醸造元の本体
昨紙(11月2日)醤油にも劇薬と題して某会社が醸造の醤油に甘味料として、薩可林(サッカリン)を混入した上腐敗を防ぐため劇薬ホルマリンをも混入し乱売したのがこのほど発覚し大阪警察本部の手において検挙中の趣き記載したが某会社とは日本醤油醸造株式会社のことにして資本金一千万円、本社及び第一工場を東京深川区小名木川通に、第二工場を摂津尼崎町に置き、かの大伏魔殿たりし大日本精糖の前身日本精糖の社長だった鈴木藤三郎氏が最近の学問を応用して従来は早くて十ヶ月遅ければ二年内外の時日を要していた醤油界のレコードを破り、わずか二ヶ月内外において完全なる醤油を生産しうると呼号し社長兼技師長となり、(目下は社長を辞して取締役兼技師長)八万五千坪の広大なる敷地内に建設した工場において一ヵ年24万石以上生産の予定でどしどし醸造していたものである。
同日の東京の朝日新聞と比較して記事の内容が詳しくなっている。
大伏魔殿というのはほぼ同時期に日糖事件として歴史に残る明治の大疑獄の裁判が行なわれていた。日本醤油醸造の鈴木藤三郎は日糖事件の会社である大日本精糖の前身の会社・日本精糖の社長であった。日本精糖の経営方針の食い違いで社長を辞して醤油醸造に向かっていってた。