明治42年11月3日 大阪朝日新聞
会社の窮状
鈴木主任技師の理想は第一回製製造に失敗し、また樽の製造等他の副事業に固定資本をおびただしく投入したため、負債二三百万円の多額にのぼり、ついに十月一日に同技師は責任を負って社長の席を降り毛利公爵家令田島信夫氏社長となり、同氏の裏書により市内の銀行より資金の融資を受け醸造を続けているも品質のよいものを生産しようとすると醸造期間を延長せざるを得ないし、それを延長すると生産量が非常に減少し、従って相当の利益をあげることは出来ず。やむなく依然短期製造を続けていれば腐敗変質を招くは自然で、防腐剤の使用を招くは必然というものである。
大阪朝日新聞の記事の結論としてサッカリン混入は不完全な醸造から来ていると結論としている。この事件後の対応で醤油業界の格差が生まれたといってよい。運良く味の素は騒動の渦中にありながら難を免れた。しかし、味の素の社史にはわずかか書いていない。
樽の製造等というのは樽製造の機械を海外から輸入したが西洋の樽はワイン・ビールの醸造用の機械で中太りの樽用なので日本の樽には使えなかった。(鈴木藤三郎伝より)
家令とは華族の家の事務・会計を管理し、使用人の監督に当たった人のこという。毛利公爵邸は今の品川プリンスホテルの所にあった。
会社の窮状
鈴木主任技師の理想は第一回製製造に失敗し、また樽の製造等他の副事業に固定資本をおびただしく投入したため、負債二三百万円の多額にのぼり、ついに十月一日に同技師は責任を負って社長の席を降り毛利公爵家令田島信夫氏社長となり、同氏の裏書により市内の銀行より資金の融資を受け醸造を続けているも品質のよいものを生産しようとすると醸造期間を延長せざるを得ないし、それを延長すると生産量が非常に減少し、従って相当の利益をあげることは出来ず。やむなく依然短期製造を続けていれば腐敗変質を招くは自然で、防腐剤の使用を招くは必然というものである。
大阪朝日新聞の記事の結論としてサッカリン混入は不完全な醸造から来ていると結論としている。この事件後の対応で醤油業界の格差が生まれたといってよい。運良く味の素は騒動の渦中にありながら難を免れた。しかし、味の素の社史にはわずかか書いていない。
樽の製造等というのは樽製造の機械を海外から輸入したが西洋の樽はワイン・ビールの醸造用の機械で中太りの樽用なので日本の樽には使えなかった。(鈴木藤三郎伝より)
家令とは華族の家の事務・会計を管理し、使用人の監督に当たった人のこという。毛利公爵邸は今の品川プリンスホテルの所にあった。