鈴木藤三郎が日本精糖の社長を解任された後、日本精糖の新経営者は無謀な積極策を取り、精糖所の買収・砂糖関税改正・精糖官営をたくらんで代議士20数名の買収をおこない日糖事件を起こした。
砂糖は世界商品で、江戸時代でも茶道の普及で砂糖の輸入がふえ銀貨の国外流出が激しかったため、国産化を進めたこともあった。
明治政府は富国強兵のために正貨=金を浪費することはゆるされなかった。砂糖消費量の増大は不平等条約による低関税であったため国産砂糖より低価格で、輸入制限することは出来ず金の流出を招いていた。日清戦争で台湾を領土とした日本は砂糖を台湾の基幹産業として保護育成を計り自給をめざし正貨流出を阻止しようとした。しかし同時に日本本土の精糖業者と競争することとなり、砂糖関税の戻し税の問題が生じていた。このような時に日糖事件がおきたのである。
とにかく明治半ば以後砂糖の価格の低下で漬物に使用できるような環境になった。醤油と砂糖の価格の低下が福神漬の成立に必要となる。
鈴木藤三郎は「醤油エキス」の製造法の研究中に、その原料となる醤油そのものの製法の研究をした。すると江戸時代から当時までほとんど進歩がなく、醤油醸造に一年半から2年の歳月かかかるのを知って、戦争が長引いたら醤油エキスを作るための醤油そのものが尽きてしまうだろうと考えた。そして、間もなく醤油を短期間で製造する促成醸造方法(明治37年4月特許7247号)を発明した。
鈴木藤三郎伝より
砂糖は世界商品で、江戸時代でも茶道の普及で砂糖の輸入がふえ銀貨の国外流出が激しかったため、国産化を進めたこともあった。
明治政府は富国強兵のために正貨=金を浪費することはゆるされなかった。砂糖消費量の増大は不平等条約による低関税であったため国産砂糖より低価格で、輸入制限することは出来ず金の流出を招いていた。日清戦争で台湾を領土とした日本は砂糖を台湾の基幹産業として保護育成を計り自給をめざし正貨流出を阻止しようとした。しかし同時に日本本土の精糖業者と競争することとなり、砂糖関税の戻し税の問題が生じていた。このような時に日糖事件がおきたのである。
とにかく明治半ば以後砂糖の価格の低下で漬物に使用できるような環境になった。醤油と砂糖の価格の低下が福神漬の成立に必要となる。
鈴木藤三郎は「醤油エキス」の製造法の研究中に、その原料となる醤油そのものの製法の研究をした。すると江戸時代から当時までほとんど進歩がなく、醤油醸造に一年半から2年の歳月かかかるのを知って、戦争が長引いたら醤油エキスを作るための醤油そのものが尽きてしまうだろうと考えた。そして、間もなく醤油を短期間で製造する促成醸造方法(明治37年4月特許7247号)を発明した。
鈴木藤三郎伝より